奥付ページの文化史

2022-10-01 17:22:16

 

劉檸=文 

古書好きなら、奥付の著者略歴の下、出版情報の上に四角い紙が一枚貼ってあるのを見たことがあるだろう。それは名刺の半分ほどの大きさで、そこには著者の名前のハンコが押してある。限定版だったら、名前のハンコの下にはさらに通し番号がある。このハンコを検印といい、これには二つの役割があり、一つは海賊版を防ぐため、もう一つは出版社が著者に支払う印税の根拠となり、印税不払いを防ぐためのものだ。 

検印本は作家の押印本というわけではないが、著者が一冊一冊開いて押印した後、また閉じた本は、同様に作家の遺物ともいえ、『文豪と印影』の著者で、文藝春秋元副社長の西川清史氏は、めったに関心を寄せられることのないこの検印に目を向けた。検印という制度が行われていた時期に刊行された130人の作家の著作の中から170枚の印影を選び、各種作家テキストや文学史の史料を整理して印影の背後にある物語を再現し、ハンコの持ち主たちの読書品位、文芸趣味から各種ゴシップに至るまで、四角い検印の紙から、明治から昭和にかけての文化史を映し出し、まさに「小を以て大を見る」といった趣だ。 

作家の出身、境遇、性格の違いにより、検印という事務的な仕事への対処の仕方もまた異なる。西川によると、今日、現代文学史上「珍本中の珍本」とされている太宰治の処女短編集『晩年』の検印は、とても粗末な三文判が押されていて、かつ津島美知子夫人が作業したものだ。三島由紀夫の生前に刊行されたいくつかの主要著作に押された検印もまた、全て一般に売られている印鑑が使われていて、それも父に頼んで押してもらったものだ。 

当然、検印という事柄に厳粛に対処した人も多く、ささいなことにすらこだわりを見せた作家もいて、こうした作家の多くが金石(古代の青銅器や石器など)を趣味とする文豪だった。根津権現付近にある森鴎外の旧居「観潮楼」には、鴎外が生前愛用した16顆の印章が展示されている。これらの印章のほとんどが、鴎外が生前に出版したさまざまな著作に検印として出現している。昭和期の作家の中で、最も印章にこだわりを持っていたと広く認められているのは、無頼派の作家坂口安吾だ。坂口の父の坂口仁一郎は国会議員で、「印癖」と呼ばれるほどの篆刻マニアだった。夏目漱石も篆刻を愛した。1999年、漱石の遺族は、文豪が生前に手書き原稿や所蔵する出版物に使っていた落款印や蔵書印を、全て神奈川近代文学館に寄贈し、それらは合計58顆に及んだ。後に文学館はこれらの印影を『夏目漱石落款集成』として刊行したが、いわくのない印鑑は一つとしてないと言うことができる。 

出版業に従事した西川にとって、それぞれの時代の出版物を飾った種々の印影は、単なる著者の身分の証し、あるいは権利の証拠、作家の金石趣味などの人文的素養を示すオリジナルテキストに終わるものではなく、別の意味をも帯びている。彼は後書きの中でこのように記している。 

「明治、大正、昭和は実に多くの個性的で多彩な作家たちを輩出したものだと、この本を作りながら実感させられた。まだご健在で活躍中の数人の作家を除けば、みんな、この世に生まれ落ち、もがき苦しみながら小説を書き、奥付にペタペタとお気に入りのハンコを捺し、そして死んでいった。 

そう思うと、ここに並んだ印影が作家たちの墓標のようにも見えてくる。健気で可憐な墓標である」 

 

関連文章