中日平和友好条約締結(その3) 小異残し大同求め
張雲方=文
中日平和友好条約の正式交渉が始まってからも、反覇権条項の問題は依然としてこう着状態だった。日本側は反覇権条項で、「特定の第三国に向けられたものではない」という文言を加えるべきだという態度だったが、中国側は、「覇権を求めない第三国に対して向けられたものではない」という見解だった。
1978年8月1日夜、党中央政治局常務委員会は中日平和友好条約を議論する会議を開き、鄧小平副総理は、「合意達成に向けて努力すべきで、中断と決裂は両国の友好関係の発展にマイナス影響をもたらす。同時に、合意できないという覚悟もしなければならない」と述べた。同日、中日双方は中日平和友好条約締結の第8回交渉を行っていた。
北京の人民大会堂で行われた中日平和友好条約の調印式。着席して署名する黄部長(右)と園田外相(左)(1978年8月12日)
平和友好条約締結という政治的宿願を果たす決意を持った園田直外相が同月8日、自ら乗り出して北京を訪れた。訪中前、福田首相と園田外相、安倍晋太郎官房長官は、北京から帰国した交渉代表の外務省の中江要介アジア局長から報告を受けた。その後、外務省の関係者を招集し、日本側の譲歩案として最終的に2案をまとめた。一つは、反覇権条項を条約に盛り込むと同時に、「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない」という条項を新たに設ける。もう一つは、反覇権条項を条約に盛り込むと同時に、「両締約国は、第三国の利害を損なう意図を有しない」と明記するというものだった。
日本を出発する前、園田外相は記者に言葉をかけ、中国の記者には、「皆さん、きっと良い知らせがありますよ」と話した。私はすぐに「良い知らせとは中日平和友好条約締結のことでしょうか」と質問したが、園田外相はただほほ笑むだけだった。
ここで言っておくが、園田外相は中日平和友好条約締結の功労者である。当時、日本では「園田が譲歩して条約を結べば殺される」とうわさも流れていて、園田外相も強い覚悟があった。その後、私は中江局長から、「園田外相は政治生命を賭けていました」と聞いた。
同月9日に、中日の外相は2回にわたって会談を行った。園田外相は、代表団の交渉を成功させ、条約を締結するために来たとはっきり表明した。同日の午後、中国側は園田外相に、日本側の新しい提案のうち、一つ目の提案に同意すると伝えた。これで中日平和友好条約の交渉は山を越え、後は条約の文言と表現を練るだけとなった。
10日の午後、鄧氏は園田外相ら日本の交渉団全員と会見した。鄧氏は、「中日両国には二千年の友好交流の歴史があり、その中でうまくいかなかったのはほんの一時期だけで、今後われわれの友情は過去二千年を超えるはずだ。国交回復は少し遅れたが、国交回復後の両国関係の発展は遅くない。両国の人民は、早期に条約を締結し、両国の友好関係をより確実なものにしたいと望んでいる」と話した。
鄧氏は続いてこう述べた。「条約の中心となる内容は反覇権であり、反覇権は決して第三国に対するものではない。しかし、覇権を求める者には反対し、戦争の発動には皆反対する。これは決して第三国に対するものではなく、自国に対しても同様だ。今回、条約に書き入れた反覇権条約は、文言は多少修正したが、その精神の本質は残されている。この文書は、園田外相が述べたように、これまでの両国関係の政治的な総括だけでなく、両国の関係発展の新たな出発点でもあるという考えに、私は完全に同意する」
また鄧氏は、中日関係の大局についても率直に意見を述べた。「目下の国際情勢の下で、中国にとって、日本からの援助が必要であると同時に、日本にとって、中国からの援助も必要だと信じている。われわれ両国の間には問題がある。両国の政治体制も置かれた状況も違い、どんな問題に対しても同じ言葉になることはあり得ない。しかし、われわれの間には多くの共通点があり、何事も小異を残して大同を求めることができる。われわれはより多くの共通点を求め、相互協力、相互扶助、相互連携の道を模索しなければならない」
8月12日午後、人民大会堂の安徽の間は喜びの雰囲気にあふれていた。中日平和友好条約の調印式がここで行われ、黄華外交部長と園田外相がそれぞれ中国政府と日本政府を代表して条約に署名した。東京では、福田首相は早々に首相官邸の応接室に席を移し、NHKの生中継で調印式の様子を見守った。園田外相と黄華部長が調印文書を交換する場面が映し出されると、福田首相は少し興奮した様子で思わず拍手した。私は唐突に、「閣下、今のお気持ちはいかがでしょうか」と福田首相に聞いた。すると首相は、「つり橋が鉄の橋になり、重い荷物も運べますよ」と目を細めほほ笑んだ。
9月1日、中日友好協会をはじめとする11団体が人民大会堂で中日平和友好条約締結を祝う盛大な宴会を開き、中日各界から2500人が出席した。日中友好議員連盟は特別に浜野清吾会長を団長とする祝賀団を結成して北京に派遣し、餅や日本酒を持参して中国の友人たちと友情の喜びを分かち合った。
それから2日後、鄧氏は、平和友好条約締結を祝うために中国を訪れた浜野清吾氏、藤山愛一郎氏、岡崎嘉平太氏、鯨岡兵輔氏らが率いる四つの日本代表団と会見した。鄧氏は、「たくさんの友人が来た。大歓迎だ。これは中国人民だけでなく、日本人民も長年努力してようやく実現したことだ。中国人民の立場から、私は皆さんの努力に大変感謝する」とうれしそうに語った。さらに鄧氏はこう続けたのだった。「両国の間で政治的条約が結ばれたことは、われわれの友好を深め、政治、経済、文化など各分野における両国関係の発展を促進した。次に、日本と中国は覇権主義に反対する能力を高めた。これは両国の利益に合致するだけでなく、アジア、太平洋、そしてその他の地域の平和と安全、安定にも寄与する。だから、この条約は世界の平和と、覇権主義に反対する世界に大きな影響を与えるだろう」