「苦み」と「渋み」
2019-12-18 15:03:07
劉徳有=文
日本の女性高級官吏として珍しい存在の遠山敦子氏は、文化庁長官や文部科学大臣、国立西洋美術館館長、国立美術館理事長などを歴任されたことがあり、筆者も中国政府の文化部に勤務していた関係で、遠山氏とは北京や東京でたびたびお会いしている。
1994年11月、当時中日友好協会の会長をしていた孫平化氏と一緒に、茶道裏千家第15代家元・千宗室氏(現在の千玄室氏)の招待を受け、京都で行われた「平安建都1200年」記念活動に参加したときのことだが、記念大会と祝賀パーティーに天皇、皇后両陛下(現在の上皇、上皇后両陛下)が出席された。その祝賀パーティーで乾杯の音頭を取られたのが、ほかでもない遠山敦子氏で、あいさつに立った氏の落ち着いた話し振りが、とても印象的だった。
その翌年の2月、東京で行われた「アジア・太平洋地域文化交流有識者懇談会」に出席した折、遠山敦子氏は文化庁長官として、赤坂の料亭「福田家」でおもてなしくださった。その席で、「平安建都1200年」の行事のことが話題に上った。遠山氏は、「実は、あの日、祝賀パーティーに出る前に、裏千家のお茶室『今日庵』を訪ねて、床の間に劉先生の書かれた『漢俳』の掛け軸が掛かっているのを拝見しました。短いながらも、お茶のことが歌われていて、大変興味を持ちました」と言われた。「書」に関心がおありなのかな、と何げなしに思ったのだが、不思議にも、そのことがずっと頭を離れなかった。
遠山氏の言われた茶道についての「漢俳」というのは、
端座倣禅家,
点茶旋碗啜三咂,
苦渋味尤佳。
のことで、読み下しにすると、次のようになる。
端座すること 禅家に倣い
茶を点じ 碗を旋して 三咂 啜れば
苦渋なるも 味は 尤 佳し
「福田家」でごちそうになりながら、料理の名前や材料が話題になり、ちょうど早春だったので、食卓に「フキノトウ」と「ツクシ」が出て、図らずも早春の山菜談議になった。
遠山 中国の人は「フキ」を食べますか?
劉 周りの中国人がフキを食べるのを、見たことも聞いたこともありません。フキは中国語で「蜂斗葉」もしくは「款冬」といいますが、あまり知られていないようです。
遠山 「ツクシ」は?
劉 北方の人は食べないようです。南の人は、よく分かりませんが。
遠山 そうですか。
続いて、食卓に「ウド」が並べられた。そこで、ウドの話になった。
遠山 ウドは旬の野菜で、日本人は好んで食べます。
劉 実物は、今日初めて見ました。
遠山 日本語に「うどの大木」という言葉がありますが、「体ばかり大きくて、弱くて役に立たぬ」「無用の長物」という意味です。このほかにも、「うどの大木柱にならぬ」「うどの皮は殿様に剥かせろ」というようなことわざもあります。
劉 その「うどの皮は殿様」うんぬんは、どんな意味でしょうか?
遠山 「もったいないと思わないで」というような意味です。
後で辞書を引いてみたが、普通の辞書には、このことわざは出ていなかった。
フキは数少ない日本原産の野菜の一つ。中国にも分布しているが、食材として一般的ではない(劉徳有氏提供)
また、三重県出身の遠山氏はこんな面白い話もされた。
「三重県に『桑名』という地名がありますが、『その手は食わぬ』というのを、しゃれて『その手は桑名の焼きはまぐり』と言います。『桑名の殿様しぐれのちゃちゃ漬け』というのもありますが、ご存知でしょうか? 『しぐれ』というのは『はまぐり』のことで、この言葉は、毎日おいしいものばかり食べ、たまに、はまぐりのちゃちゃ漬けを食べると、その味も捨てたもんじゃない、というような意味です」
図らずもその日の宴席は、筆者にとって日本語を勉強するまたとない場となった。
この食事の席で交わした、94年に裏千家のために書いた「書」の話がずっと頭にこびりついていたので、6年後の2000年の春だったと記憶しているが、たまたま日本を訪れる機会があり、東京の椿山荘で遠山敦子氏に再会した際、北京であらかじめ用意しておいた筆者の「金釘流」の書を記念に差し上げた。内容は言うまでもなく、茶道を詠んだ例の「漢俳」である。とても喜んでくださった。
03年4月、東京訪問の際、遠山大臣に再度お目にかかったが、それは花柳千代氏の著書『実技 日本舞踊の基礎』の中国語版の出版記念会であった。ごあいさつの中で、前に差し上げたあの拙い「書」について触れられ、こんなことを言われた。
「ご在席の劉徳有先生から、茶道についての『漢俳』の掛け軸を頂いて、床の間に掛けて拝見していますが、その中に『苦渋なるも 味は 尤 佳し』という一句があります。今は仕事の中で『苦渋』をなめることもありますが、その苦渋の中に楽しみもあります。おそらく、この一句もそういう意味ではないかと理解しています」
筆者も中国文化部の副大臣をしたことがあり、遠山大臣の言われたお気持ちが痛いほど分かるような気がした。
この「苦み」と「渋み」について、最近『朝日新聞』の「天声人語」に、遠山氏と数年前に行った「フキ」や「ツクシ」などの山菜談議を連想させる面白い話が書いてあった。少し長いが、引用させていただく。
「山うどやふきのとう、たらの芽などの山菜が出回り始めた。暦より一足先に早春の香りを届けてくれる。独特のほろ苦さが舌に心地よい刺激をもたらす、日本ならではの味覚だろう。(中略)
緑茶の渋みが嫌で、砂糖を入れたら飲めるという外国人がいたが、日本人だったら考えもしないだろう。ある種の苦みや渋さを尊重するのは、日本の食文化の特徴かもしれない。
食べ物だけではない。『苦みの走ったいい男』という。甘さのない厳しく引き締まった容貌のことだ。『渋い』というのも、なかなかのほめ言葉だ。華美でなく、落ち着いた趣味の良さをいうことが多い。江戸時代の洗練された美意識の世界『いき』に通じる感覚だろう。
寒さが残るなか、節分から立春へと季節はゆっくり巡る。そんな季節の移ろいと会話をかわすように、野山で採れたほろ苦い山菜を味わうのは、また格別。<山独活のひそかなる香の我が晩餐>(有馬朗人)」
この文章に共感を覚えるのは、私だけだろうか?
「福田家」で山菜談議をする遠山氏(左)と筆者(劉徳有氏提供)
「漢俳」の掛け軸を遠山氏に贈る筆者(中央)(劉徳有氏提供)
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