屠蘇・爆竹・「春運」・空巣

2020-01-20 14:53:13

劉徳有=文

若いころ日本のテレビで見た連想ゲームではないが、「屠蘇」の2字から連想するのは、おそらく正月だろう。

中国人が正月気分に浸るのは新年より、むしろ旧正月――春節だと思う。新年の休暇はわずか1日。振替休日を入れても2日か3日間。春節の方は連休が3日、振替休日を入れると1週間ほどになる。

正月と言えば、「屠蘇」。「屠蘇」という言葉に初めて接したのは、中国の北宋時代の改革派政治家・文学者である王安石の詩からだった。

 

爆竹声中一歳除  爆竹鳴りて 年が明け

春風送暖入屠蘇  春風そよそよ 屠蘇祝う

千門万戸曈々日  朝の日差しに どの家も

総把新桃換旧符  桃符をば 取り換えん

 

詩の原題は「元日」。思い切り分かりやすく訳してみたが、わずか28字の中に、正月に関する言葉が三つ出てくる。屠蘇、爆竹、そして桃符だ。

屠蘇に関して、筆者は齢90近くになって、いまだに中国で一度も飲んだことはなく、初めて飲んだのは日本人の家庭でだった。周りの人にも聞いてみたが、飲んだことがないという返事ばかりが返って来た。屠蘇はいま、中国では正月に飲まれなくなったということだろう。

だが、屠蘇のふるさとは間違いなく中国である。

 

春節に爆竹を鳴らす光景は都市部では徐々に見られなくなっている(東方IC

中国古代の風俗で、唐の時代から年始の祝いと厄払いに薬酒として飲んだのが始まりだと言われている。なんでも南北朝時代の梁の宗懍が著した『荊楚歳時記』に、「正月一日、年少者から飲み始め、順次年長者に及ぶ」と書かれているが、年少者から飲み始めるのは、子どもたちは先が長く、その前途を祝う意味があったそうだ。この風習はいつの間にか廃れてしまい、今では代わって酒が主役を務めている。つい先ごろ、中国中央テレビ(CCTV)の番組で初めて知ったのだが、清の乾隆帝が工匠に命じて豪華な「金甌」なる大きな杯のようなものを作らせ、正月を祝う儀式の際に、その中に皇帝自らが「屠蘇」をついだとか。屠蘇を飲む風習は清朝の頃まで続いていたのだろうか。

屠蘇を祝う風習は日本に伝わり、今も続いている。平安時代の初期、宮中において正月に屠蘇を飲むことが供御薬として儀礼化し、江戸幕府でもほぼ同様のことが行われたようだが、民間にも次第に広まって、雑煮の前に一家で祝って飲んだり、来客にも勧めたりするようになったらしい。しかし、筆者の観察では、日本人の家庭では、年頭に普通の酒を「お屠蘇」と称して飲んだり、若水で沸かした「福茶」を飲んだりすることが多いようである。

「屠蘇」の起源について、もう一つの説がある。

昔、トソと呼ばれる「茅」でふいたいおりに住んでいた名医が、毎年大みそかに、各家庭に漢方薬を1袋ずつ渡した。それを井戸に投げ入れて、正月に水をくんで飲めば無病息災、1年中無事であったことから、この風習が広く伝わったという。日本でも、平安時代にサンショウなど何種類かの漢方薬を調合して作った「屠蘇散」を緋色の袋に入れて井戸につるし、元旦に取り出して天皇に献上、それを酒に浸して飲んだと物の本に書いてあったが、これなども中国にあった作法で、井戸につるすのは、春の象徴である青陽の気が地中より昇るのを受けるためと言われていた。

一方、正月や慶事に爆竹を鳴らす風習は、中国で千数百年も続いてきたが、都市化の発展に伴い弊害も出てきた。大気汚染や火災、負傷である。北京市を例にとると、新中国成立後、爆竹は幾度も禁止、規制、解除、再禁止と繰り返されてきたが、2018年の春節からは、第5環状線内の都市中心部で徹底的に禁止となった。大みそかの晩の情景を実際に経験した人でないと想像もつかないが、以前は夜中の12時になると、一斉に爆竹が鳴り出し、耳をつんざくようなごう音で、町中まるで激しい「市街戦」が展開されているような錯覚に陥ったものだ。

爆竹禁止後は効果てきめんで、その年の除夜のPM2・5の濃度は大幅に減り、毎年見られた大気汚染が基本的に解消され、第5環状線内は負傷者ゼロ、火災もゼロ。農村部は負傷者がわずか7人、火災は12カ所、例年に比べて半減したそうである。

春節のもう一つの風物は「桃符」。中国では昔から、桃の木に厄払いの効力があると信じられ、正月になると、桃の木の板に「鬼退治の神様」の名を彫りつけて玄関などに掲げる習わしがあった。宋、明以後は、赤紙にめでたい言葉の対句を筆で書き、玄関に貼る春聯へと次第に変わっていき、今日に至っている。

屠蘇、爆竹、春聯が古くからの新年の風物であるというのなら、「春運」は新時代の風物であろう。「春運」というのは、「春節に帰省族を集中的に運送する」をつづめた中国の新造語である。

中国人も日本人もふるさとに格別な愛着を持ち、正月の一家だんらんを特に重視しているように思われる。そのためか、正月になると、連休を利用して両親の元や子どものいるところに何が何でも帰る。ところが去年あたりから、いっそのこと年老いた両親が子どものいるところに行って「だんらん」するという逆の現象が生まれ始めた。

中国は国土が広く、東西南北、労働力の交流が激しいだけに、一斉に帰省するとなると、駅や空港、バスターミナル、波止場などは帰省族でごった返す。「春運」は春節以前から始まり、約40日間、中国の総人口13億の約3倍の延べ40億人が行ったり来たりするものだから、「民族の大移動」ともいうべき帰省ラッシュの壮観を呈する。特に改革開放後は、おびただしい数に上る出稼ぎの「農民工」が経済の発達している東部の沿海地方の大都会に集中したため、例えば広州などから郷里に戻る際に、オートバイに妻やお土産を載せて大部隊で帰還する情景は「すごい」の一語に尽きる。 

 

春節前、オートバイでふるさとに帰る出稼ぎの人々(東方IC

長い間留守を預かっていた年老いた両親は、いま中国では「空巣老人(空き巣老人)」という新語で呼ばれている。「空き巣」と言えば、日本では「留守宅」の意味。例えば、「空き巣狙い」というふうに使われているが、「空き巣」という言葉が中国に伝わってからは、老人だけの家庭のことを「空巣家庭」というようになった。

大みそかの夜、北京市民なら、一家だんらん、和気あいあい、酒を酌み交わし、ギョーザを食べながら春節恒例のテレビ番組を楽しみ、12時になれば、テレビから流れる除夜の鐘を聞き、スマホで親戚や友人と新年のあいさつを交わすに違いない。

「明けましておめでとうございます」

「新年好!」

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