上戸・下戸・大虎

2020-04-24 18:24:21

劉徳有=文

 先月号のテーマは酒。その勢いを借りてでもないが、今月号も酒にまつわる話を中心に進めていきたい。

 のっけから筆者の無学ぶりをさらけ出すようなものだが、長い間、上戸、下戸という言葉は中国にはないと思っていた。ところが、さにあらず、三国時代からあった言葉で、今では使われなくなり、一般の中国人にはなじみがない。

 もちろん、中国にも酒好きの「上戸」もいれば、一滴もダメという「下戸」もいるのだが、総体的には酒好きな民族といってよかろう。

 日本語の「上戸」には「怒り上戸」「泣き上戸」「笑い上戸」「後引き上戸」などさまざまなタイプがあるが、中国語にはピッタリと当てはまる言い方がない。さしずめ、「後引き上戸」は、中国語なら「無底洞」(底なし)だろう。前の三つの「上戸」は、中国では一括して「撒酒瘋」、つまり、「酒乱になる」という言い方をするしかない。

 現代中国では「上戸」の代わりに「酒飲み」を5段階のランクに分けている。ランクは下から順番に、「酒徒」「酒鬼」「酒豪」「酒仙」「酒聖」と上がっていく。日本語に直すと、「飲んべえ」「飲んだくれ」「酒豪」「酒仙」「酒聖」とでもなろうか。

 上位ベスト3の一角である「酒豪」は大酒飲みで、しかも酔って乱れずの風格が必要になる。「酒仙」という言葉は日本にもあり、愛酒家、大飲酒家の意味だが、中国では「酒豪」を上回るたたずまいがないと務まらぬ。先月号でも少し触れたが、李白が「酒仙」といわれ、一斗の酒を飲み干しながら、百編の詩をひねり出したことは、杜甫が『飲中八仙歌』で次のように歌っている。

 

 李白一斗詩百篇 李白一斗、詩百篇

 長安市上酒家眠 長安市上、酒家に眠る

 天子呼来不上船 天子呼び来たれども船に上らず

 自称臣是酒中仙 自ら称す臣は酒中の仙と

 

 李白は自らを「酒仙」と称し、玄宗皇帝からお召しを受けても、差し向けの船に乗ろうとはせず、「てまえはのんべえ仲間じゅうの仙人格ですから、平にお許しを」と平気な顔で言っている。酒の実力は、たとえそれがどぶろくであっても、「一斗」というのには驚くほかはない。誇張があるにせよ、一斗の酒を流し込めば「詩百篇」というのも超人である。

 「酒仙」クラスでこのすごさなのだから、「酒聖」となれば、文句なしに横綱級の大実力者である。こういう酒飲みたちが飲む酒というのは、日本人の考えるような酒ではない。

 日本で「サケ」といえば、アルコール度の低い清酒を指すが、中国では、田中首相訪中の際、周総理主宰の歓迎宴で出された六十数度もある「茅台」や「五糧液」のように、火をつければパッと燃えるような強い酒を指すことが多い。もちろん、中国にも「老酒」(「紹興酒」)のような、コメで醸造した軽い酒もあるが、「酒飲み」のランクは当然、強い酒で決める。

 物好きな中国人がそういう酒飲みを長い間観察して、酔っ払いの状態を5段階にまとめたものがある。いわく、

 

 好言好語 スタートは、声柔らかにものを言い、

 甜言蜜語 アルコールが入って、しきりに甘言を並べ、

 豪言壮語 メートルが上がるにつれて「オレは酔ってない」と大言壮語。    

 胡言乱語 ろれつが回らなくなって、話がしどろもどろ、支離滅裂。

 不言不語 しまいに、何も言わずに黙り込む。

     

 酒は度を過ぎると健康を害するばかりか、周囲にも迷惑をかける。酔っ払って何も言わずに黙り込む「不言不語」ならいいが、酒癖の悪いのは困ったものだ。

 酒はやはり「ほろ酔い気分」程度が一番好ましい。「ほろ酔い」は、中国語で「微酔」といい、難しい言葉で「微醺」ともいうが、どちらも日本語として辞書に載っている。

 

貴州省の茅台酒は、中国の宴席ではおなじみの白酒の1種(劉徳有氏提供)

 

 明末の儒者・洪自誠の著『菜根譚』にも「花看半開,酒飲微醺,此中大有佳趣」(花は半開を看、酒は微醺を飲む。この中、大いに佳趣あり)とあり、「ほろ酔い」の境地を手放しで賛美している。

 日本に滞在していた頃、夜の盛り場や終電車の中でよく酔っぱらいを見掛けたものである。そのうち、「虎」「大虎になる」「へべれけに酔う」「千鳥足」という酒にまつわる日本語の語句もいろいろ覚えることができた。

 覚えたというくらいだから、酔っ払いを「虎」と呼ぶのはてっきり日本だけだと思っていたが、後になって中国に語源があることを知って驚いた。

 宋の理宗の右丞相・鄭清之の詩に「努力去為酒中虎」(酒中の虎となるために努力す)の一節があり、昔の中国では大酒家を「酒虎」と呼んでいたことが分かったのである。

 さて、その「虎」だが、「虎」はいま中国で別の意味でも使われている。2013年1月、ある会議で習近平国家主席は、腐敗一掃、汚職撲滅に触れて、「『虎』狩りもすれば『ハエ』もたたく」とげきを飛ばしたが、ここでいう「虎」とは汚職など悪事を働いた党の高級幹部、「ハエ」は規律に違反した下っ端の小物を指し、「虎」であれ、「ハエ」であれ、法律に従って情け容赦なく処分することを宣言。以来、人民大衆に心から歓迎され、大きな成果を上げている。

 終わりになったが、ここで日本人の好む「老酒」について一言。今から1650年ほど前、書家・王羲之は名勝地・蘭亭に多くの名士を招き、宴を催した。人々は曲水のほとりに腰を下ろし、流れ下る觴が自分の前で止まったとき、酒を飲み、自作の詩を朗詠するという風流な遊びをしたが、そのときの詩を編んでできた『蘭亭集』に、王羲之が自ら揮毫して書いたのが、世にも名高い『蘭亭の序』である。「曲水流觴」と呼ばれるこの風流な遊びは、今日なお続いており、日本からも俳人や書家が訪れて中国の詩人や書家たちと交流を深めている。昔、王羲之らが飲んだ酒はおそらく今日「老酒」と呼ばれる「紹興酒」であったに違いない。今、日本で「老酒」を飲むときに氷砂糖を入れたりしているが、それは中国で一部の人が砂糖漬けの梅干しを入れるのと同じく、邪道である。「老酒」には甘口のものと辛口のものがあり、度数が低く、口当たりがいい。秋口の上海ガニ(大閘蟹)と「老酒」の組み合わせは天下一品であろう。

 

蘭亭にある「曲水流觴」は今では有名な観光スポットとなっている(劉徳有氏提供)

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