三文魚と四喜飯
2020-05-25 18:56:46
劉徳有=文
日本語に「二束三文」という言葉があり、日本人が中国語の「三文魚」の字面から受ける感じは、おそらく安っぽい、おいしくない魚だろう。ところが、中国人のいう「三文魚」は日本語のサーモン、つまり鮭のことである。
筆者の小さいころ、生まれ故郷の大連では、鮭のことを「大馬哈魚」と呼んでいた。北方の黒龍江あたりから運ばれてくる有名で高級な魚で、塩漬けのものが多く、普段はあまりありつけなかった。たまに、母がおかずとして弁当箱に入れてくれ、うれしかったのを覚えている。というわけで、新鮮な鮭の姿を拝んだ記憶はない。
筆者の記憶では、改革開放前までは「大馬哈魚」で通っていたが、改革開放後あたりから、「三文魚」と呼び名が変わっていった。それというのも、外部の世界との交流が増えていったからであろう。
推測だが、「三文魚」の言い方は、たぶん香港、台湾あたりから入ってきた可能性が大きい。「三文」は中国語の標準語で「サンウェン」、広東語を使う香港あたりでは「サームン」と読み、「サーモン」の発音に近い。
いま、三文魚は中国では大変ポピュラーで、魚市場などに出回っており、いつでも買える。料理店のメニューにも登場して、人気を集めている。例えば、「三文魚塊」「三文魚片」「三文魚柳」「三文魚腩」などは、魚肉の切り身の炒め物のようなもの。ただ、切り方や魚のどの辺りの肉を使っているかによって、呼び方が違うだけの話である。また、洋食に近い形で、「燻製サーモン」「カレーサーモン」「トマトサーモン」「サーモンと野菜のサラダ」などもあり、伝統的風味を生かした「サーモンギョーザ」はそれこそ本場の中国料理であろう。
今では、中国でも大人気の「三文魚」の刺身(劉徳有氏提供)
このように現代化の波が押し寄せてきている今日、料理の名前を昔風に、「燻製大馬哈魚(鮭)」「カレー大馬哈魚(鮭)」「トマト大馬哈魚(鮭)」などと言ったら、「田舎者」と笑い物にされること請け合いだ。
日本も、似たような状況ではないだろうか?
戦前は、農村も都会も「鮭」を「さけ」もしくは「しゃけ」と呼んでいたが、戦後になって、日本の伝統料理は依然として「さけ」もしくは「しゃけ」だが、洋食は「サーモン」でないと通じなくなったようだ。
外来語が時には物事を新奇に見せる役割を果たす日本でも、洋食の時は「サーモン」といい、日本料理や家庭では依然として「しゃけ」が主流のようだ。
こんな話がある。
日本の作家・土岐雄三氏が、夫人を連れてレストランへ行った。メニューは全て横文字で書かれており、何が何なのか判断のしようがない。そこで作家はメニューに「サーモン」と書かれているのを見て、「これ!」と叫んだ。すると、運ばれてきたのは、何と家でも常々食している「鮭のバター焼き」ではないか。土岐氏はこう書いている。
「往年カミさんをあるホテルのレストランに連れて行った。献立表は、みな(ルビはふってあったが)英語かフランス語だ。わが老妻も洋名によわい。なにがなんだかさっぱりわからん。ボーイさんに聞いても、その説明すら異国風だ。ええ、ままよ、とばかり『これ頂戴』と注文したら、出てきたのは鮭のバタ焼きだ。『ふん、もっともらしくサーモン何とかいって、こりゃァ、時々家でつくるシロモノじゃない』と彼女はせせら笑った。
洋語でいうと、さもご馳走らしく聞こえるが、現物はさしたることはない。カタカナが、なにか高級めいた錯覚を起こさせる」
日本料理の場合、「サーモン」でなく、「しゃけ」を使う証拠に、こんな例がある。
1972年9月、中日国交正常化を図るため、田中首相が訪中したが、出発前に『朝日新聞』(9月24日)に、側近のスタッフが日常生活の面から首相の訪中に万全の準備を整えていることについての記事が載っていた。それには次のように書かれていた。
「首相周辺が一番気にしたのはもの凄い汗かきの首相の飲み水をどうするか、ということだったが、首相が中華料理攻めでネをあげはしないかとの心配もあった。首相もたまには油っこい中華料理を食べるが、和食一辺倒型。ところが、これは中国側が首相の好みをたっぷり事前取材していた。首相秘書官によれば『鮭の頭や大根の煮つけが好物で、どう味付けするかまで中国側はちゃんと知っていました』」
その頃、筆者は新聞記者で日本に駐在していたが、田中首相訪中前、田中首相の生活習慣を早坂茂三第一秘書から取材して、参考資料として新華社本社に送っていた。早坂氏も著書『政治家田中角栄』の中でこのことに触れ、「田中に同行し訪中した際、中国側が取材結果を完璧に実行したのを経験した」と書いている。
日本語に「三文雑誌」「三文小説」「三文文士」という言い方があるが、「サーモン」は「三文魚」ではなく、レッキとした高級魚であると思うが……。
さて次は「四喜飯」。
「四喜飯」の中国語の発音は「スーシーファン」であり、日本語の「すし」の当て字である。
中国における日本料理はというと、文革が始まるまでは北京の東安市場に「和風」という店が1軒あるだけだった。文革後、北京をはじめ中国の大都会に日本料理店がどんどん増えているが、数年前に日本料理店というと、高級ホテルの中で日本人相手に日本人が経営しているというものばかりであったし、数も限られていた。今では、町中の至る所に日本料理店がある。一昨年、友誼商店の入り口脇に、回転寿司もできた。
「寿司」は、数年前まで、日本語の音に似せて中国では「四喜」もしくは「四喜飯」と呼んでいたが、今では「寿司」で通るし、むしろ「寿司」と言ったほうが格好がよく、通のように聞こえる。
これと似たようなことが「サシミ」についても言える。以前「サシミ」のことを中国では「生魚片」と呼んでいたが、今では「生魚片」より「刺身」と言った方が通に見える。「刺身」はサカナだけでなく、貝あり、エビありで、果ては馬刺しとか鶏刺しもあるので、サシミを一概に「生魚片」とも言えず、むしろ「刺身」の方が合理的かもしれない。
北京の日本大使館の近く、日本料理店が多数入居しているグルメスポット「好運街」(写真・籠川可奈子/人民中国)
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