「白髪三千丈」は大げさ?

2020-10-21 15:56:08

劉徳有=文

「白髪三千丈」――言うまでもなく、李白の五言絶句『秋浦歌』の中の一句である。とりわけ日本人になじみ深いこの詩の冒頭の一句が「白髪三千丈」で、いつしか、この言葉は「大げさ」を意味するものとして独り歩きするようになった。

「白髪三千丈」という表現を根拠に「中国人の言うことは大げさである」と短絡的な見方をする日本人もいまだに多いようである。そうした誤解を解くために、もう一度、この詩(抜粋)を鑑賞してみよう。

白髪三千丈  白髪三千丈

縁愁似箇長  愁に縁って箇の似く長し

不知明鏡裏  知らず明鏡の裏

何処得秋霜  何れの処にか秋霜を得たる

「白髪三千丈」は李白が遠く故郷を離れて、安徽省池州の秋浦に仮住まいしていたときに、老いた自分を嘆いて歌ったものだ。口語訳にしてみた。

 

私の髪は愁いのために三千丈にも伸びてしまった。澄んだ鏡に見える我が頭髪に、いったい、どこから秋の霜が降りたのであろう。

さて、問題の「白髪三千丈」だが、一丈が約3㍍だから、三千丈は実に9000㍍にもなり、確かに大げさと言えばとてつもなく大げさではある。

しかし、これは詩を読めば分かるようにあくまで文学的な誇張なのであり、この場合の「三千丈」は「孔門弟子三千」「食客三千」「宮女三千」などの言い方があるように、数量の多いことを表す慣用句であるにすぎない。

というと、「いくら誇張にしてもほどがある」という声が聞こえてきそうだが、この三千丈は物理的な誇張だけを表しているのではない。

承句に書かれた「愁に縁って箇の似く長し」を見ていただきたい。この「長」は白髪の長さだけを意味するのではなく、愁いもまた長し、という意味が含まれている。いつの間にか長く長く伸びてしまった白髪は、李白本人の説明もできぬほど深い深い愁いの象徴でもあるのだ。むしろ、「白髪三千丈」には、李白の実感がありのまま込められているといってもいい。

この一言で中国人が大げさと言うのなら、「汗が滝のように流れる」「目を皿のようにする」などの比喩を使う日本人だって同じことだ。汗がどんなに流れても、「滝」ほどにはならないだろう。ちなみに中国では前者を「汗流浹背」(びっしょりと汗をかく)と言い、後者のようなケースでは「眼睛瞪得像牛眼大」(カッと見開いた目は牛のようだ)と言う。皿に比べたら、牛の目玉など知れたものである。確かに、中国語の表現には、例えば、すごい意気込みを「気呑山河」(山河をのみ込むほどの意気込み)、色とりどりを「万紫千紅」と言うようにオーバーなものが往々にしてあるが、これは一種の伝統で、文学の影響から来ているのかもしれない。

さて、文学的な表現、誇張、比喩の話が出たついでに、ある中国の故事を思い出した。

日本でもおなじみの『三国志』で知られる魏の国に代わって打ち立てられた晋の国に、謝安という宰相がいた。ある日、にわかに雪が降ってきたので、家のものを集めて、「さあ、この雪は何に例えたらよいか? みんなで言ってご覧」と問うたところ、 おいの謝朗は「『塩を空中に撒くにやや擬すべし』とでも表現したら……」と答えたが、めいの謝道韞は、「それより、『柳絮の風に因りて起こる』と言った方がよっぽどいいわ」と言ったので、伯父の謝安は大いに感心し、喜んだ。それ以来、謝道韞は才女の誉れをほしいままにし、世間では女性の文才を褒めて「柳絮の才」というようになった。

1996年4月、青森県八戸にある俳句の団体『たかんな』が企画した日中漢俳交流の旅に、岡山県出身の俳人・難波政子氏が参加され、初めて訪れた北京で、空港や故宮の空に舞う柳絮の美しさに目を奪われ、それ以来、この景に接することを楽しみに何度か春の北京に足を運ばれた。その思いを託する気持ちで句集を出版されるときタイトルを『柳絮』とされた。そのときの句作に、「前門の空より柳絮湧くごとし」がある。句集に収録された300首の俳句のうち、中国の旅吟が36首、なんと全体の10分の1強を占めていることから、難波さんの中国への思い入れがひしひしと伝わってくる。句集『柳絮』を拝見しての感想だが、難波さんは感受性が強く、表現力が豊かであり、女流俳人として優れた文才の持ち主のお一人であるとお見受けした。

タイトルの「柳絮」を目にしたとき、中国をこよなく愛する難波さんのお顔を思い浮かべると同時に、句集の出版に先駆けて「何か一筆」と依頼されたとき、前述の「柳絮の才」という中国の故事を思い出し、一文を草した思い出がある。

 

柳絮が舞う中歩く北京市民(劉徳有氏提供)

日本人の書かれた漢詩にも奇抜な比喩のあることを発見した。まず詩をご覧いただきたい。

富士山

仙客来遊雲外巓 仙客 来たり遊ぶ雲外の巓

神龍棲老洞中淵 神龍 棲み老ゆ洞中の淵

雪如紈素煙如柄 雪は紈素の如く煙は柄の如し

白扇倒懸東海天 白扇倒に懸る東海の天

おおよその意味は、富士山を仰ぎ見れば、かつて仙人が来て遊んだことのあるあの山頂に、降り積もる雪は真っ白。大昔、神龍の棲家と言われた噴火口から立ち上る絹のように白い煙は、扇の柄のように見える。富士は、さながら東海の空高く白扇をさかしまに懸けたかのようだ。なんと美しいことか。

この詩の作者は、石川丈山(1583~1672年)。三河国(静岡県)の人。徳川初期の武士出身の文人で、詩に長じていた。広島の浅野侯に仕えたこともあるが、のち洛北に詩仙堂を築いて住み、詩文を楽しんで晩年を送ったという。主な著述に、『詩仙堂志』『丈山壁書』などがある。

日本では、富士山について詠じた詩歌は昔からすこぶる多いが、この詩は代表作の一つに数えられている。この詩は、上智大学教授の山田勝美博士の評価によれば、個々の表現に難点もあるが、全体として、秀麗な富士の山容が見事に歌い上げられており、特に結句の「白扇倒懸東海天」は、後世の追随を許さない名句であると称賛されている。中国の有名作家・劉白羽氏も、「倒にかかる白扇」の比喩を惜しみなく絶賛していた。

 

漢詩にも詠まれた美しい富士山(劉徳有氏提供) 
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