嶺南の美味はすなわち人情味
中国社会科学院日本研究所助理研究員 熊淑娥=文
『燕食記』は葛亮が2022年に人民文学出版社から出版した料理の世界を舞台とした長編の最新作で、第11回茅盾文学賞にもノミネートされている。主な舞台は香港の粤式(広東式)料理店「同欽楼」と上海料理店の「十八行」で、主人公は料理人の栄貽生とその弟子である陳五挙だ。
前半は広東系の料理人である葉鳳池、栄貽生、陳五挙の3人を登場人物の主軸とし、栄貽生の民国時代の初期から現在までの人生がつづられている。困窮し流浪の日々を送っていた栄貽生は、1949年以降に香港へと流れ着き、同欽楼に根を下ろす。以降70年研さんを積み、ついには伝説の料理人となって孤児の陳五挙を後継者に育て上げた。
後半は上海系料理人の戴明義、戴鳳行、陳五挙が加わる。陳五挙は義父の上海料理を広めたいという思いに応えるため、後ろ髪を引かれながらも師匠の栄貽生のもとを去る。四大名菜に名を連ねる広東料理と上海料理の進化と師弟の物語が絡み合い、一世紀にわたる嶺南(南嶺山脈から南の地域。現在の広東省、広西チワン〈壮〉族自治区、海南省、香港と澳門〈マカオ〉などに当たる)の食の変化が生き生きと描かれると同時に、本作は煮炊きという日々の営みから歴史を俯瞰し、広東や香港独自の食文化を鮮明に描いた生活史でもある。
『燕食記』のテーマは言うまでもなく「食」だ。「燕食」という言葉は『周礼・天官・膳夫』の「王燕食,則奉膳賛祭」(王が昼餉と夕餉を取る時、膳夫は料理をささげて食前の儀を手伝う)に由来しているが、東漢の古典学者・鄭玄(127〜200年)はこれを「燕食,謂日中与夕食」(燕食とは昼餉と夕餉を指す)と解説している。古代中国語の「燕」は「宴」の通仮字(字音が同じ漢字を同じ意味とし転用すること)とみなされたので、「燕食」は「宴食」と同義語ということになる。『燕食記』というタイトルの中の「食」は孟子の「食色性也」(食欲と性欲は人間の本能)と管仲の「民以食以天」(民は食を天とみなす)の「食」と似ている。作中で「風光に恵まれた江南(長江の南一帯)と嶺南の世情と味は、常に人心と結び付いている」と描写されているように、「食」の後ろには常に人々の処世がついて回り、食べ物の「味」とはすなわち人生の「味」なのだ。
「食在広東」(食は広東にあり)と昔から言うが、広東料理の神髄の一つが点心だろう。広東点心の「双蓉月餅」(2種類のあんを詰めた月餅)は、粤式料理店「同欽楼」や上海料理店「十八行」と共に物語の中核をなす菓子で、葉鳳池の作るそれは「ねっとりとした蓮の実あんとナツメあんは甘すぎず、舌の上で混じり合い、味蕾の奥深くにまで染み込んでいくようだ」と描写されている。葉鳳池の師父がどう教えたかには触れられていないが、葉鳳池は栄貽生に「工夫して自分の味を完成させなさい」と命じる。栄貽生は「互いが混じり合いながらも、おのおのの個性が際立つ」双蓉月餅の完成を目指していたが思い通りにならず、師父たちの手を借りてようやく配合を突き止めた。そして後年、孤児の陳五挙を一人前の料理人として育て上げた栄貽生は、蓮の実あんの秘訣を惜しみなく、ずばり「滑」(なめらか)という一言で陳に伝授した。当時の月餅はすでに大量生産が始まり、さまざまなつなぎを入れてなめらかな食感を出そうとしていたが、それによって蓮の実あん独自の香りやなめらかさがとうに失われていたからだ。陳五挙は戴鳳行が作る「スープに浮かぶ、柔らかくふっくらと煮えた豆腐の細切り」にそのイメージを結び付け、唯一無二の双蓉月餅を編み出した。かくして葉鳳池の師父から葉に、葉から栄に、栄から陳にと受け継がれた双蓉月餅は、伝わるごとに変化し、味わいを深めていった。食も師弟関係も、人から人へと受け継がれて進化し続けるものなのだ。
作者・葛亮は中国伝統文化を「変化と不変」の相互補完と捉え、「今」にどのような新たな価値観をもたらすのかに関心があるという。嶺南が舞台の『燕食記』における「変化と不変」は、香港の飲食史を観察、研究する「私」が広東点心の「双蓉月餅」の変遷を見る、という形で語られている。執筆のために『随園食単』『山家清供』『食憲鴻秘』など大量の料理関係の典籍を当たって、食文化はもちろん、時代の空気の投影にも心を砕いたという。
飲食はすなわち時代の一断面だ。食にこだわる広東人の特性からか、広東語には食にまつわる言葉が数多くある。例えば広東語の「揾食」は「生計を立てる」、「食塞米」は「進歩的でない」、「食得咸魚抵得渴(塩漬魚が食べたければ喉の乾きを我慢しなければならない)」は「ことを始める前にはあらかじめ悪い結果を予想すべきだ」という意味だ。唐代の発音が今も残る広東語は、古典的ながらも表現力豊かでエネルギッシュな言語だが、『燕食記』でも随所に登場する広東語が、作品に活力を与えている。
古典的な美しさが魅力の葛亮の文体は、一作ごとに成熟し自然さを増している。これは彼の家庭や読書歴、心境の変化と決して無関係ではなかろう。
1978年に南京で生まれた葛亮は、南京大学で学んだのち、香港大学で文学博士号を取得、現在は香港に住んで香港浸会(バプティスト)大学中国文学部の教授を務めている。2022年には中編小説の『飛発』で第8回魯迅文学賞を受賞し、香港の作家初の中国国家級文学賞の受賞者となった。ルーツは安徽省南部で、曽祖母の兄弟は中国共産党創設メンバーの陳独秀、叔父は有名な核物理学者の鄧稼先、祖父は中央大学の教授として美術史に残る傑作『据幾曾看』を著した葛康兪だ。葛亮自身も幼い頃は父親の手ほどきで『閲微』『耳新』などの筆記小説(文語体の随筆風の短編小説集)に触れ、その簡潔な文体から中国古典への感性と言語感覚を養った。「中国三部作」の『朱雀』『北鳶』『燕食記』は、中国の広大な歴史を舞台に、人々の悲喜こもごもを描いた作品として知られるが、他の作品、例えば小説集の『瓦猫』『問米』『七声』『謎鴉』『浣熊』『戲年』などのタイトルからも、彼独自の美学が感じられる。
葛亮は成人してから香港に渡り、以後20年にわたってこの国際都市での暮らしを続けている。多文化がクロスオーバーし目まぐるしい生活リズムの香港暮らしで、執筆は彼にとって心安らぐひとときとなったであろうことは、穏やかで心安らぐその文体にも表れている。葛亮の作品について、ハーバード大学の王徳威教授は「祖先の栄華と波乱に思いをはせつつ、古典と現代のはざまを行き交う作風」と、中国中央電視台メインキャスターの白岩松は「清浄で濃密、まるで遠い国から来たような感覚を覚える」と評している。
葛亮は学者と作家という二つの肩書を持つことによって歴史に魅了され、現代人が歴史と対話する『燕食記』という作品を生んだ。文学と歴史の関係ついて、彼は米国のスティーブン・グリーンブラット(シェークスピア学者、文学史家、作家)の見解に賛同しており、「文学は歴史の一部であり、歴史という文脈の中で人間性が形成できる」と考えている。そんな葛亮は本作の魅力を「懐の深い嶺南は、自由で開かれた『文化の器』だ。そこで繰り広げられる現代人と歴史の対話は、実に多彩なものとなる。だから読者は誰であっても、自身の感性や経験をもとに歴史の読み解きが楽しめるはずだ」と語っている。