栗原小巻さんと『松井須磨子』

2022-03-08 16:03:25

劉徳有=文 

日本では、栗原小巻さんのファンのことを「コマキスト」と呼んでいるそうだが、中国にも「コマキスト」がたくさんいる。筆者もその一人と言えるかもしれない。 

筆者が最初に栗原小巻さんにお会いしたのは、確か日本にいるときだった。1960年代から70年代にかけて新華社記者として、東京に駐在していたが、確か1975年の6月、新華社社長の朱穆之氏の率いる新聞報道界代表団が日本に見えたとき、団に随行して、TBSのスタジオで栗原小巻さんにお目にかかったことがある。丁度、テレビドラマを撮っておられたときだった。 

  

栗原小巻さんの舞台姿(独り芝居『松井須磨子』、北京にて、劉徳有氏提供) 

栗原小巻さん主演の映画やテレビドラマは数多く見たが、舞台は2016年10月に北京で観劇した独り芝居の『松井須磨子』が初めてだった。 

松井須磨子という人物は、中国ではあまり知られていなかったが、栗原小巻さんの公演によって、中国の観衆は、日本における新劇の黎明期に活躍された女優――松井須磨子について理解を深めることができたのではなかろうか。 

松井須磨子は悲劇的な人物である一方、日本の新劇の草分けとして、また新劇という芸術形態を広める点で立てた功績は、不滅だと思う。 

劇『松井須磨子』は、須磨子が当時演じた『人形の家』『復活』や『故郷』などの名場面の上に、さらに、島村抱月との愛情と幸福を追い求め、美しい人生と芸術に憧れ、果ては社会の不公平と冷遇に遭い、波乱に満ちた須磨子の一生を重ねることによって、1904年に起きた日露戦争前後、「大正デモクラシー」の高揚をみせた時代と社会の背景を再現し、そのような時代と社会背景の下で生きた松井須磨子の直面したもろもろの社会的矛盾によって引き起こされた心理的な葛藤や苦悶、悩みなどを反映したものとして注目された。 

幕が開いた後、栗原小巻さんは、明治時代に、芸術を通して個性の解放を追求し、自我の確立を一貫して主張した与謝野晶子が1904年に書いた長い反戦詩『君死にたまふことなかれ』を朗読されたが、この詩は、兵隊にとられて旅順で服務していた弟に対する愛と、正義にもとる例の戦争に反対であることを歌ったものであり、詩の朗読を聞きながら、日本の大衆が「平和を求め、戦争反対」のプラカードを掲げてデモ行進する情景や、子どもを連れた母親たちが「二度と子どもを戦場に送らない」と叫ぶあの心をゆさぶる場面が目の前に浮かんできた。 

1910年代、男優が舞台を占領していた日本に、初めて新劇女優の地位を確立した素晴らしい女性が生まれたのはなぜだろうか? 日露戦争後の戦後現象として生まれた「大正デモクラシー」の高揚およびそれに伴う社会的雰囲気と切っても切れない関係があったからだと思われる。それはまた、松井須磨子がその頃に演じたイプセンの名劇『人形の家』の中でうたい上げられた女性解放、女性の独立、女性の目覚めや男女平等などの新しい思想などとも完全に合致していると思う。劇の中で、ノラが「人の妻、人の母である前に、私は一人の人間です」「『人形の家』を『人間の家』に変える」と叫んだあのせりふが忘れられない。また、ノラが家を出るとき、ドアを「バターン」と大きな音をたてて閉めたあの音響も忘れられない。それは、古い思想との決別と新しい思想の勝利を告げる宣言であったのではなかろうか。 

終わりに近づいたとき、劇中人物のあの長いせりふは、封建的な圧迫と束縛を受け、また社会のどん底に置かれた日本の婦人たちのこれまでに受けてきた差別と不平等な待遇と悲惨な運命に対する血と涙の告発であると思う。その告発は、社会の不合理や封建思想の残渣、女性を差別する思想や行為の全てと闘うことを呼び掛けているようであった。 

今日、北京で演じられた新劇『松井須磨子』の積極的な意義と現実的な意義をここに見いだすことができたと強く感じた。 

栗原小巻さんはお一人で90分間も舞台を務められたが、せりふあり、演技あり、歌あり、踊りありで、栗原さんはこれらを見事にこなし、混然一体の舞台をおつくりになって、満場の観客を驚嘆させた。 

その原因は栗原さんが歴史と社会を深く研究され、劇中の人物の生き様と考え方を的確に把握しておられるからであり、また、演劇の面で大きな底力と豊富な蓄積をお持ちになり、修養を積んでおられるからだと思う。例えば、『人形の家』のくだりで、役の振り当てを待つときの期待感とじれったさや、役がノラに決まったときの飛び上がるほどのうれしさの表現などには、真実感があふれていた。栗原さんの演技は、言ってみれば過不足なく、実に的確で、けれん味などみじんもなく、賞賛されるべきであり、中国の演劇人も虚心に学ぶべきだと思う。 

また、栗原小巻さんは劇の中で、松井須磨子が歌って流行になった『カチューシャの唄』『さすらいの唄』『ゴンドラの唄』を歌われ、懐かしくもあり、いろいろなことを思い出させてくれた。 

一口に言って、栗原小巻さんの『松井須磨子』は中国の観衆に素晴らしい印象を残してくださったといえよう。 

  

栗原小巻さんと筆者(2016年10月、北京にて、劉徳有氏提供) 

栗原さんは平和を愛し、中国を愛し、中国人民との友情を常に大切にされ、中日両国の演劇界、映画界との合作の推進と中日文化交流事業の発展に努力してこられた。 

思うに、文化は音を立てず、静かに政治・経済の到達し得ない隅々にまで入り、芸術作品によって、人々の気持ちを通い合わせ、心を潤わせ、今後どのようにして中日友好の堅固な基盤を築き、調和の取れた麗しいアジアと世界を築いていくかについて考えさせてくれるだけに、極めて重要であろう。 

観劇後、栗原小巻さんのお名前を入れた漢詩らしきものを作って、お贈りした。 

 栗木多挺抜, 栗の木よ すっくと天にそそり立ち 

 原為劇壇人。 原はと言えば 劇壇の人 

 小大由之筆, 小も大も自由に書ける筆を持ち 

 巻帙絵風雲。 巻物に絵かん 世の風雲を 

各行の詩の最初の文字をつなげば、「栗原小巻」となり、中国ではこのような形の詩を「蔵頭詩(頭の文字を隠した詩)」と言う。 

栗原さんは大変喜んでくださり、すぐにお返事を下さった。 

「劉徳有先生からいただきましたお手紙、そして漢詩、とても嬉しく、生涯、大切にいたします」「中国の文化芸術界の皆様の温かいお気持ちと変らぬ友情に感情があふれます。芸術の道、一歩ずつ前に進めるよう精進いたします」 

 

関連文章