伊藤巴子の「凛として」

2023-01-17 16:02:41

劉徳有=文

1960年代に、文学座の名優・杉村春子が北京で、『女の一生』(森本薫作)を演じたためか、日本に「『女の一生』の杉村春子」という言葉があることは前から知っていたが、劇団「仲間」創立メンバーの伊藤巴子が1958年以来サムイル・マルシャーク作の『森は生きている』の中でみなしごの少女役を通算2000回演じるという記録を作ったことで、日本に「『森は生きている』の伊藤巴子」という言葉もあることは知らなかった。このことについて、こんなエピソードがある。


児童劇俳優・伊藤巴子氏

伝え聞きだが、『森は生きている』の公演で「金字塔を打ち立て」、高い評価を得たにもかかわらず、伊藤さんにはある「迷い」があったそうだ。児童劇に飽き足らず、大先輩の杉村春子氏に「大人の芝居がやりたい」と、文学座への入座を頼んだ。しかし、杉村氏はきっぱりと断り、強い口調で次のように言ったと伝えられている。「あなた傲慢ね、自分の一生で『森は生きている』の伊藤巴子、『女の一生』の杉村春子といわれる俳優は、そうやたらにいないのよ。あなたのことを覚えている皆さんに、どう責任とるの」 

伊藤さんは翻然と悟り、「芝居に、子どもも大人もない。いやむしろ、未来に生きる子どもたちにこそ、舞台を通して美しい精神の花束を届けねばならない」(著書『舞台歴程――凛として』の編集者・松本昌次)と、以来主として児童劇に打ち込む。 

筆者が伊藤巴子氏に最初にお目にかかったのは、確か94年、中国政府文化部で対外文化交流の仕事をしていたころだったと思う。伊藤氏がお見えになって、沖縄で行なわれる国際児童少年演劇フェスティバルへのメッセージを依頼されたときだった。 

日本の演劇界で伊藤巴子氏を知らない人はおそらくいないだろう。氏は、日本の演劇界では「巴子さん」の愛称で親しまれている。伊藤さんの一生は、役作りの一生、舞台づくりの一生、特に青少年の心に愛と美を植え付ける一生であった。 

伊藤巴子氏にとって演劇とは何かを考えたとき、それは氏の生命であり、理想への追求であり、ご自身の全てであるとつくづく思う。「『俳優とは知的な職業でなければならない』と自分を厳しく律し、演技論に止まらずに、日本の演劇の変質と退潮に対して、今なお批判精神をたぎらせている」という伊藤氏に対する菱沼彬晁氏の評価は、当を得ていると思う。伊藤巴子氏が求めていたのは、 

〝演劇のための演劇でなく〟、人々の幸福のため、日本の未来と世界の平和のために、常に観客に問題を投げ掛け、観客と共に考え、共に創り上げる芝居の構築であり、また、生涯取り組んできた児童劇は、「子どもたちの人間形成にとって欠かせないもの」という信念を燃やし続けた重要な場であったと言えよう。 


舞台姿の伊藤巴子氏

2015年、伊藤巴子氏が健在のころ、日中演劇交流話劇人社事務局長の菱沼彬晁氏より、伊藤氏の近著『舞台歴程——凛として』が送られてきた。うれしさのあまり、早速ひも解き、第一印象をメールで送らせていただいた。 

「ご恵贈の伊藤巴子先生のご著書『舞台歴程――凛として』、たしかに落掌いたしました。 

ご著書は、伊藤先生の演劇史であり、日本演劇史の一側面でもあります。そして、日本と、中国を含めた諸外国との演劇交流史であるとお見受けしました。中国人民に対する伊藤先生の真摯な、友好的なお気持ちに頭が下がる思いがいたします。 

サブタイトルの〝凛として〟がとても気に入りました。この一語に、伊藤先生の人生観、あくまでも正義と真理を追求する真骨頂を見出したような気がいたします」 

伊藤巴子氏は、中国でも有名であり、尊敬されている鋭い感覚を持った国際人でもあると思う。失礼な言い方だが、あんな小柄な体でどこからあのようなエネルギーが生まれてくるのか、不思議でならない。 

中でも中国との交流は特筆すべきであろう。伊藤巴子氏の訪中は、1965年4月、第2次日本新劇団のときが初めてであり、周総理との会見を果たし、『竹取物語』の主役を演じられたのもそのときである。以来、中国との交流の中で、多くの親しい友人ができ、友好の実をあげられたが、「文化・芸術の交流は、人間と人間の信頼を基礎の上に」つくられるものであり、「相手の心を開くためには、先ず自分の心を開かなければならない」と訴え、持論として次のように語っている。「私たちの世代が次の世代に引き継がなければならない大切な仕事があります。それは日本が中国を侵略した百年を超える歴史を伝えることです。若い人たち、特に日本の若い人たちが曇りのない目で歴史を直視し、きちんと認識できるように教えることです。私たちの世代から次の、さらに次の時代へと21世紀が動いていく中、歴史に学び、歴史を把握することなしに新しい時代の方向を見定めることはできませんし、この基礎がなければ、日本と中国の友情も信頼も築き上げることはできないからです」 

これも、本のタイトルに掲げる〝凛とした〟ものではないだろうか。 

ところが、思いがけなくも2016年の1217日、菱沼氏より悲しみのメールが届いた。 

「伊藤巴子さん(日中演劇交流話劇人社理事長・国際演劇協会日本センター監事)が本日、1217日未明、お亡くなりになりました。自室で息を引き取り、ご主人の舟本貞夫様が朝、声をかけたときはもう冷たくなっていたということです。 

相変わらずのご多忙とお疲れの中、亡くなる前夜遅くまでお仕事をなさっていたと聞きました。 

日本の演劇界と日中演劇交流に大きな足跡を残し、まだまだこれからやっていただくことがあるのに、まさかのご他界です」 

早速お悔やみの返信をお送りした。 

「驚きです。まったくの驚きです。 

伊藤巴子様が急逝されるとは……心から悲しみ、哀悼の意をささげます。 

老朋友・伊藤巴子先生のご逝去は、日本の演劇界にとり、また中日友好事業・中日文化交流事業にとって大きな損失です。中国人民、中国演劇界に惜しまれてなりません。 

今年の9月26日、北京でお会いしたのが最後でした。あのときのお姿、お声は永遠に忘れることができません。 

伊藤巴子先生は、日本の麗しい未来のため、日本演劇の発展のため、中日友好・文化交流の発展のため、また世界平和のために、凛としたお姿で一生を貫かれました。先般、中国でお目にかかった折、先生をたたえた漢俳(詩句)を差し上げ、小生の気持ちをお伝えさせていただきました。 

    

凛然良莠明, 凛として 善悪をはっきりと見分け 

劇作人生燦若星, 劇作の人生は燦然と輝くきら星のよう 

無畏籲和平。 なにものをも畏れず 平和 をアピール 


改めて、この漢俳を伊藤巴子先生のご霊前にささげます」 

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