「中国脅威論」を乗り越えるために

2023-03-29 12:13:00

元NHKアナウンサー、ジャーリスト・木村知義=文

春、月。日本では、新学期を迎える子どもたち、社会人として一歩を踏み出す若者たちにとって、希望に胸を膨らませる新たなスタートの季節です。 

中国はといえば、第14期全国人民代表大会を経て政府の陣容と政策実施の態勢を整え、経済はじめ社会の建設が「新たな段階」へと進む歴史的な時に立っていると言えるでしょう。年に及んだコロナパンデミックという「難局」と中国共産党第20回全国代表大会(20回党大会から全人代へという二つの歴史的な画期を越えて、中国は新たなスタートの春を迎えているというわけです。

 

安全保障政策の大転換 

しかし、私たちにとっては日本のこれからのり方、さらに日中関係のこれからに深く関わる「重い問題」と向き合わざるを得ない状況となっています。 

昨年末、「防衛文書」と総称される「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」が閣議決定され、岸田文雄首相自ら「日本の安全保障政策の大転換」と力を込めたことはすでによく知られるところです。年明けには岸田首相が訪米してバイデン大統領と会談。「共同声明」でバイデン大統領は、先だって開催された日米外相・防衛相による「日米安全保障協議委員会」(プラス)における「合意」と合わせ「日米同盟の現代化に向けて成し遂げた比類なき進展」と賞賛しました。敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有、防衛費のGNP%への増額など、日本の新たな防衛力増強への取り組みを、いわば米国への「公約」とする重い意味をはらむものでした。 

なによりも重要なことは、中国を「最大の戦略的挑戦」と位置付け、事実上中国を日米共同の「仮想敵」とする意味合いを強くしたことです。そして、その背景にいわゆる「台湾有事」があります。台湾有事がまさに「つくられた有事」論であることは本稿でも触れたことがありますが、今回の「大転換」によってなし崩し的に「一つの中国」という日中国交正常化以来の日中関係における基本原則を揺るがしかねない事態に進む恐れを拭えないものとなっているのです。さらに注意しなければならないのは、日本社会において、「中国の脅威」を挙げて「防衛力強化」を目指す動きを一定程度支持する「空気」が広がっていることです。 

これら全てが日中関係の発展を阻害する力として働くことは言うまでもありません。米中対立が深刻化するで、世界で起きることの全てが「中国の脅威」という文脈で語られ、中国の抑止へという動きがますます先鋭化する局面を迎えています。突き詰めて言えば、中国の「脅威」というものをどう認識し、どう向き合うのかが鋭く問われる時代を迎えているというわけです。 

  

中国の世界への向き合い方 

そこで、中国は今どのような認識に立ってこれからの時代を歩もうとしているのかを確かめておくことが不可欠になります。中国の行く道を領導する20回党大会の報告(報告)を見てみましょう。 

「報告」の「14・世界の平和と発展を促進し人類運命共同体の構築を推進する」では、「中国は各国の主権および領土保全を尊重し、国家は大小・強弱•貧富にかかわらず一律に平等であるという立場を堅持し、各国の人々が自主的に選択した発展の道と社会制度を尊重し、断固として一切の覇権主義と強権政治に反対し、冷戦思考に反対し、内政干渉に反対し、ダブルスタンダードに反対する。中国は防御的な国防政策をとっており、中国の発展は世界平和の勢力の拡大につながっている。中国はどこまで発展しても永遠に覇権を唱えることはなく永遠に拡張をすることはない」と語っています 

「台湾」については、ここに先立つ「13・『一国二制度』を堅持•整備し、祖国の統一を推進する」において「一つの中国の原則と九二年コンセンサスを堅持し、それを踏まえて、台湾の各党派、各業界、各階層人士と、両岸関係・国家統一について幅広く踏み込んで協議し、共同で両岸関係の平和的発展と祖国の平和的統一のプロセスを推進していく」としたわれわれは、最大の誠意をもって、最大の努力を尽くして平和的統一の未来を実現しようとしているが、決して武力行使の放棄を約束せず、あらゆる必要な措置をとるという選択肢を残す」としていますがその対象は外部勢からの干渉とく少数の台湾独立分裂勢力およびその分裂活動であり、決して広範な台湾同胞に向けたものではない」と明確にしています。 

果たしてこれが中国は「脅威」だとなるのか、言うまでもないでしょう。しかし、「これは言葉だけで信用できない」という人たちがいることも否定できません。 

  

「脅威」とは何か 

そこで、百歩譲って、では、それを乗り越えるには防衛力を増強して対抗するしか道はないのでしょうか。何が言いたいのかというと、「中国脅威論」を超克するために、「脅威とは何か」という命題と向き合い考えてみようというわけです。 

「脅威」は、脅威=能力×意図という計算式で表すことができるというのが安全保障を考える際の定式となっています。つまり、脅威とは無前提にある絶対的なものではなく、対象の能力と意図についての分析次第で変化するものだということです。さらに、一つの因子が巨大であっても、もう一つの因子を限りなくゼロに近づけることができれば、それは脅威とはならないということです。卑近な例を挙げれば、世界最大の軍事力(能力)を誇る米国を日本にとっての脅威となさないのは、日本に対する攻撃意図をゼロとしているからです。いかに巨大な能力といってもゼロと掛け合わせればゼロとなる、これは子どもでも分かる計算です。 

ここから導き出される結論は重要です。相手の軍事力(能力)が強大な場合、どうすれば意図を限りなくゼロにできるのかという命題として存在しているということなのです。よって、能力(軍事力)に対して能力(軍事力)で対抗するというのは愚策というわけです。冷静かつ論理的に考えれば、こうなるのです。 

  

「中国脅威論」の超克 

端的に言えば、中国の軍事力(能力)が強大であるとしても、それを脅威とさせない、すなわち中国の「攻撃」の「意図」を限りなく「ゼロ」に近づける構想力、すなわち日中関係をどうすれば良いものにしていけるのかの構想力が問われ、「外交の力」がなによりも重要になるのです。軍事をもって抑止、対抗しようという今回の「大転換」は、そのことへの努力の放棄を意味すると言っても過言ではありません。 

さらに言えば、「中国脅威論」の超克という私たちにとっての重い課題は、日米同盟基軸のくびきから自由に世界を見つめ、考えるという深く、重い命題から逃げることなく「日本の外交の力とは」という問いと{しん・し}真摯に向き合う、そんな覚悟を迫られることでもあるのです。 

日中関係を一歩でも二歩でも前に進め、アジアそして世界の平和と安定、発展を目指すために、こうした思考に立つ「新たなスタート」の春にすることを忘れてはならないと考えます。 

 

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