「質の高い発展」と中国の新時代
文=ジャーナリスト・木村知義
「質の高い発展」、中国に関心を持っていらっしゃる皆さんは、最近、習近平国家主席はじめ中国の指導者の言説で、あるいは中国から発表される文書などでこの言葉に頻繁に出会うことにお気付きだと思います。今月は「両会」、第14期全国人民代表大会(全人代)第2回会議と中国人民政治協商会議(全国政協)第14期全国委員会第2回会議が開かれますが、そこでも、多分この「質の高い発展」という言葉に出会うことになると思います(執筆時は両会開催前)。今号ではこの「質の高い発展」について考えてみます。
曖昧なスローガンか?!
年の初め、ブルームバーグニュースに「中国経済の『質の高い発展』–習氏の曖昧なスローガン、混乱招く恐れ」という見出しの記事が掲載されました。習主席は、昨年12月31日夜の「新年のあいさつ」を含め「少なくとも128回にわたってこのフレーズを口にした」と回数まで数えて論評を綴っています。「少なくとも」というので、データとしてはちょっと頼りないのですが、でもまあ、それぐらい頻繁に語られていることを知ることは意味のあることだと思います。つまり今の中国を知ろうとする時に重要なキーワードとなっているということです。
「曖昧なスローガン、混乱招く恐れ」という見出しからは懐疑的な論評だと思うのが普通ですが、引用されているフランスの金融グループの投資銀行のエコノミストのコメントは「『質の高い発展』には持続可能性や革新性といったポジティブな考え方が含まれる」として「『質の高い発展』とは定義上、どちらかといえばより高い成長率を示唆しているのかもしれないとの見方も示した」と書いています。もう一人の香港の金融調査会社のエコノミストは「一見したところ、そのコンセプトはかなり明確だ」としながら、「それを突き止めようとすればするほど、ますます分からなくなる」というのです。そして、「結局は政治的スローガンであり、柔軟性を持たせるために意図的に曖昧にしているのだろう」と語るのでした。
コンセプトが明確なのにそれを突き止めようとすればするほど分からなくなる、とは読む方が「ますます分からなくなる」と言いたくなりますが、現在の中国について考える時にここが勘所だということは伝わってきます。そこで、「質の高い発展」について考えてみることにしました。
まず、すぐに分かる結論から言えば、「質の高い発展」とは「より高い経済成長率」といった浅いものではない、ということです。もちろん「曖昧なスローガン」などではありません。昨年3月の全人代で、江蘇省代表団の政府活動報告についての審議会に参加した習主席は「質の高い発展は社会主義現代化国家を全面的に建設するための最優先課題だ」と強調し、「発展の成果を絶えず生活の質に転化させ、人民大衆の達成感、幸福感、安心感を絶えず高めなければならない」と述べています。まさに、「質の高い発展」が、これからの中国社会にとって非常に重要な意味を持つ言葉だということが分かります。
心に残る旅と「庶民の姿」
ここで少し時代をさかのぼって筆者の体験談をお話しようと思います。
1987年の8月、暑い夏のことです。当時、学生時代からの友人が欧州と日本の合弁企業の北京事務所で仕事をしていました。夏季休暇を取って中国に出掛けると連絡したところ、彼も休暇を取って一緒に旅行しようと言ってくれました。実は、私は上海で大先達の国際問題の研究者を訪ねる約束がありました。すると友人が杭州の西湖、魯迅の故郷、紹興を訪ねる旅を考えてくれました。北京–杭州–上海を巡る旅になったというわけです。友人に、中国の庶民の生活に触れる旅をしたいと話したことから、杭州から上海までは硬座(普通座席)の列車に乗ることになりました。それは、まず杭州駅に行って2日後の切符を買う難儀極まりない体験に始まりました。駅の切符売り場は人で埋まっていて長蛇の列どころではありません。列に並んで2~3時間はかかったでしょうか。途中、前の方に割り込む人も、どころか、列などお構いなくどんどん割り込んできて言い争いも。切符を手に入れることが「戦い」だということを体験したのです。そして手にしたのは小さな薄紙の紙片。友人は「これが大事なんだ、失くしたら大変だ」と言って財布の小さなポケットにしまい込みました。乗車当日、また早くから並んでその薄紙の紙片を切符と交換、ようやくホームへ。目を疑いました。列車に乗客が殺到しているのです。「構わず突進して乗るんだぞ。待ってても乗れないぞ!」と言われ、押し合いへし合いに揉まれながらとにかく列車に乗り込み、押されるままに奥へ。ニワトリを何羽も入れた大きな籠を持って乗り込んでくる老婆、山のような荷物を担いでいる真っ黒に日焼けしたじいさん、などなど、立錐の余地がないどころか身動きもできない状態で発車。言うまでもありませんがエアコンなどは付いていません。乗車前に友人から言われて首にはタオルを巻いていましたが、滴り落ちる汗、肌を接する隣の男性の腕から汗まみれの泥も。まさに中国の庶民の体臭の中で揺られながら列車はゴトゴトと進むのですが、停車駅でまたもや乗り込んでくる人が絶えないという、かつて経験したことのない列車の旅となりました。席に座っているおばさんが果物をかじってぺっ、ぺっと皮を通路に立つ私の方に飛ばす、窓際の人は弁当を食べ終わると発泡スチロールの容器をポイと窓の外に捨てる、それも一人や二人ではなくあちこちで同じ光景が。その白い発泡スチロールの弁当殻が線路から舞い上がるのが窓の外に見えるのでした。今では快適な高速鉄道で最速45分ほどというのですが、3時間余りはかかったと思います。汗でぐっしょりと黒ずんでしまったタオルを首に、まさに汗みどろになって上海駅に着いたのでした。
この旅は中国の社会について考えるかけがえのない貴重な体験となりました。
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