「三農」問題の行方を考える

2024-04-09 14:29:00

号では中国の「三農(農業農村農民)」問題について考えます。 

2月初め、今年の「中央1号文書」_「中国共産党中央国務院の『千万プロジェクト』経験の学習運用による力強く効果的な農村の全面的振興推進に関する意見」が発表されました。 

21年続くテーマ 

「中央1号文書」というのは中国共産党と政府が毎年年初に発表する政策文書で、重要度の高い政策文書だとされています。この「中央1号文書」では2004年からずっと「三農」問題が取り上げられています。それにさかのぼる1982年から86年まで5年連続で「三農」問題をテーマとする「中央1号文書」を発表し、農村改革と農村発展についての計画を打ち出していました。その後、2004年から今年にかけて21年連続で「三農」問題をテーマとする「中央1号文書」を発表しているわけですから、中国において「三農」問題がいかに重要かつ難しい課題として存在しているかが分かります。 

しかし、振り返って考えてみると、中国の「農業問題」について深く知る機会はとても少ないことに気付きます。もちろん、中国共産党全国代表大会の「報告」や全国人民代表大会の「政府活動報告」などさまざまな文書で「三農」問題に関わる記述に出会っていますから、重要な問題だという認識はあります。それでも、中国のハイテク技術の進化など産業、経済についてのニュースを目にしない日はないという日常と比べると、中国の「三農」問題や農業政策について触れる機会は圧倒的に少ないと言わざるを得ません。ましてや中国の農村の様子や農民の暮らしぶりについて知る機会は、日本では、ほとんどないに等しいと言えます。そこで今年の「中央1号文書」を手掛かりに、中国の「三農」問題について問題意識を深めていこうと考えます。 

その際大事な視点は、「新時代の中国の特色ある社会主義」という新たな歴史段階における「三農」問題はどんな位置付けとなっていて、中国はどう取り組もうとしているのか、あるいはすでに取り組みが進んでいる政策はどのようなものなのかということです。 

農業農村の社会主義化の歩み 

新中国誕生以来、社会主義建設において農業は非常に重要な問題でした。とりわけ欧米の資本主義と比べて資本主義の発達が未成熟な中国社会における革命が農民農村に依拠して勝利にたどり着いたこと、すなわち中国の歴史、社会に立脚した中国独自の革命への道を歩むことで新中国誕生へと歴史を進めたことを踏まえると、土地所有の問題をはじめ農業農村の社会主義化は極めて重い課題としてあったと言えます。加えて、日本にも「農は国の大本」という言葉があるように、農業は国の存立にとって死命を決する重要な問題としてあります。 

読者の皆さんの中には中国の農業問題について深い知識をお持ちの方もいらっしゃるでしょうから言わずもがなのことかもしれませんが、1960年代から中国に関心を抱き、中国といくばくかの交流を持ってきた筆者の世代にとっては、中国の農業については、というより中国の社会主義の歩みそのものと切り離せないものとして「人民公社」があったり、「農業は大寨に学べ」といった言葉が記憶に残っていたりします。しかし、時代とともに「三農」問題への取り組みは大きく変わっていることを、まず知る必要があります。 

中国の農業の社会主義化は、1949年の中華人民共和国成立から78年の改革開放のスタートまでのほぼ30年間を大きな区切りとして捉えることができます。 

成立直後、中国ではまず土地改革が行われたことはよく知られています。封建的地主制を廃して土地を農民に分配することで農業生産力を発展させ農民の生活を向上させることを目指したものです。土地改革の結果、農民の土地所有率は大幅に向上し、農業生産力は大きく向上しました。そして農業合作化の推進へと推移します。農民が自らの土地や生産手段を共同で所有使用することで農業生産力をさらに高めることを目指そうとしたものです。そして1958年、当時の毛沢東主席は人民公社化運動を推進します。人民公社は、土地、生産手段などを全て公社の所有としたものですが、単なる営農に関わる組織にとどまらない、行政組織と経済社会組織を一体化した大規模な集団組織でした。しかし、人民公社化は農業という「営み」の難しさに突き当たります。豊かな土づくりをはじめとする土地と農民の紐帯(ちゅうたい)の強さ、自らの工夫と努力を重ね、精魂を傾けて農作物を育て豊かな収穫を目指す営農作業における個々の農民の自主性と集団化がはらむ矛盾などによって、必ずしも一直線には農業生産力を向上させることにつながらない、あるいは営農意欲を減退させることにさえなってしまう事態となりました。 

こうした段階を経て、78年、鄧小平氏の主導の下で改革開放政策へとかじを切るなかで農業生産責任制が導入されました。農家が政府から一定量の生産を請け負い、それ以上に生産された農作物は個々の農家が自由に販売できる制度で、農業生産責任制導入によって、農民の生産意欲は高まり、農業生産力は大きく向上しました。 

このように、中国の農業の社会主義化は、多くの試行錯誤、曲折を経ながらも、どうすれば農業生産力の発展と農民の生活向上を目指すことができるかを模索してきたと言えます。そして、いま、習近平総書記国家主席の時代の中国で、農業の社会主義化も新たな段階を迎え、新たな歴史の歩みを進めることになっているというわけです。 

今年の内容とは? 

しかし、新時代といっても農業に内在する問題が容易に解消することにはなりません。どれほど科学技術が進歩したとしても、肥沃(ひよく)な土地、痩せた土地という立地や地勢的な環境の差異、さらに気候、天候の変動など、農業は人知をこえたいくつもの難題に立ち向かうことを必然とされる営みです。加えて、社会主義市場経済という社会環境で、農村と都市の発展の不均衡、地域格差、そして貧富の格差の拡大といった問題が複合して進むという現代的な問題が生じているのです。 

今年の「中央1号文書」では、「中国式現代化を進めるには、農業の基礎をたゆまず固め、農村の全面的な振興を図らなければならない」として、習総書記が浙江省で勤務していた時期に自ら計画し進めた「千村示範、万村整治(万の村を整備し、千の村をモデルケースとする)」プログラム(以下「千万プログラム」)を挙げて「『千万プログラム』が持つ発展の理念、活動方法、推進の仕組みを学習活用し、農村の全面的な振興の推進を新しい時代の新しい征途における『三農(農業農村農民)』活動の全般的な足掛かり」とすることが提起されました。(北京2月3日新華社=中国通信) 

具体的には、第一に「国の食糧安全保障を確実にする」を挙げ、続いて「大規模な再貧困化の発生を確実に防ぐ」「郷村の産業発展レベルを引き上げる」「郷村建設のレベルを引き上げる」「郷村統治(ガバナンス)のレベルを引き上げる」「『三農』活動に対する党の全面的指導を強化する」の六つのパート、28項にわたって詳細に説いています。 

「国の食糧安全保障を確実にする」では、食糧増産に関わって、重点を大面積での単位面積当たりの収量の向上に置き、食糧生産量を1兆3000億斤(6億5000万)以上に保つことなど数値目標を具体的に挙げて語っています。 

「大規模な再貧困化の発生を確実に防ぐ」では、再貧困化の防止のための追跡扶助の仕組みの実施や「三つの保障」(義務教育、基本医療サービス、住宅の保障)と飲用水の安全保証の成果を定着、向上させていく、あるいは、重点地区に対する助成、支援の増大など「再貧困化」を防ぐための施策についてきめ細かく説いています。 

また、「郷村の産業発展レベルを引き上げる」では、農村における1次2次3次産業の融合した発展を促進し、各地方が地元の実情に合わせて特色ある産業を大いに発展させることを奨励し、郷土の特色あるブランドを創るのを支援するとして、農村地域の経済産業振興について具体策を提示しています。 

中には、「郷村文化の繁栄発展」の項で「農民が主役を演じることを堅持し、『村BA』(村バスケットボール大会)『村超』(村サッカーリーグ)『村晩』(春節を祝う農村の文芸の夜会)などの大衆的文化スポーツ活動の健全な発展を促進する」といったくだりがあったり、「農村の風俗習慣改善の持続的推進」の項で「農民の冠婚葬祭などに包摂的な社会サービスを提供し、郷村の人情的負担を減らすことを奨励する」としていたり、まさに農村における新生活運動の呼び掛けといった趣の内容も盛り込まれています。 

民生を潤し、民心を温める 

この「中央1号文書」の精神について解説した中央農村工作指導小組弁公室の責任者は「『千万プログラム』の経験の学習活用ではその土地の実情に合わせるべきで、そのままうのみにし『切りそろえ』(画一化)をしてはならない」と述べるとともに、「広範な農民に郷村振興の中で実際の達成感を持たせるようにし、幹部のイメージアップだけを考えた事業を進め、うわべのみを取り繕うようなことに断固反対しなければならない」と注意を喚起しています。 

また、文書起草者のコメントとして「郷村建設では伝統的な村落と農村の特色ある姿を守ることに注意しなければならず、都市建設のモデルをやみくもに引き写して、農村の風情と趣をなくしてはならない」と述べていることも注目に値します。さらに、「『三農』活動の良しあしで重要な点は、農民が喜んでいるかどうか、満足しているかどうかだ」として「郷村全面振興を推進するには実事求是を堅持し、実際の仕事をし、実際の効果を重んじ、真に民生を潤し、民心を温めるようにし、(中略)農民が郷村振興に参加する積極性能動性創造性を引き出し、広範な農民が真に郷村振興の参加者と受益者になるようにする」と言葉を尽くして強調しています。(北京2月7日新華社=中国通信) 

こうした取り組みの先には、いま中国が掲げる「共同富裕」の実現という大きな目標があることは言うまでもありません。 

日中両国の農業農民交流への視点 

こうして「中央1号文書」を読むことで中国の「三農」政策について認識が深まってくると、その知見と問題意識の深まりを、日本のわれわれはどう生かしていけるのかという問題が浮かびます。 

学生時代、不出来な経済学徒でしたが、農業経済学の(たい)()で中国の学術界の方々とも深い親交があり日中両国の農業農民交流にも関わった大島清教授のゼミに在籍した筆者としては、あらためて日本の農業政策の「不実」というべきか、失政の歴史を思い起こさざるを得ません。不勉強な記憶を呼び起こして申し述べれば、1960年代の農業基本法に基づく農政が、「開放経済」体制へという掛け声の下で、ひたすら米国からの強い「意向」に基づいて農産物の市場開放を進め、「選択的拡大」を掲げて日本農業の大きな転換を図り、一方では「高度成長」に向かう日本の産業を支えるために農村から都市へと労働力を移動させるという、日本社会を根底から大きく変える農業政策を進めた歴史があります。そうして、いまや、食料自給率はカロリーベースで38%というような「農」と「食」の姿となっていることはよく知られている通りです。 

しかし一方ではまだまだ少数というべきですが、こうした失政の歴史をものともせず、自らの判断と努力で農政の枠を越え時代に立ち向かう、新たな農業の担い手が生まれ、全国各地で力強く農業と取り組み、地域を活力あるものにしている姿を見ることができるようになっています。つまり、「農業農政」に関わって、日本の私たちは正負の両面で語るべきことが多くあり、中国の農業政策担当者や農業に従事する人々と「語り合い、教え合う」ことができるということだと思います。かつての時代の日中の「農民交流」から、より発展、進化した農業に関わる交流も構想できる時代になっているのではないかと、これは、今年の「中央1号文書」を読んだことに触発された筆者の期待としてぜひ記しておきたいと思います。 

木村知義 

1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース報道番組を担当し、中国アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008年NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。 

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