日中地域交流の力強さ
7月初旬、岩手県盛岡市で開催された「平和を愛し、友好を促す」記念シンポジウムin岩手(主催:中華人民共和国駐日本国大使館、駐札幌中国総領事館、実施:中国外文局アジア太平洋広報センター、当代中国・世界研究院)に参加する機会を得ました。第2次世界大戦終結80年の今年、「歴史の経験を振り返り、交流の物語を共有し、未来の協力関係を望み、友好の共通認識を固め、新時代の要求に合致した建設的かつ安定した中日関係構築のために、新たな力を注ぐ」(シンポジウム趣旨から)を掲げて開催されたシンポジウムには岩手県内のみならず秋田はじめ近隣の各地からおよそ130人の参加者が集い3時間余りにわたる熱のこもった発言、討論が行われました。
筆者は座談会の部のセッション1「国交正常化の初心を振り返り、共に平和と友好を守り続ける」のモデレーターを務めたのですが、セッション2「地方交流を促し、手を取り合って未来に向かう」における地域からの中国との交流に関わる発言や問題提起に新たな発見や気付きがあって大いに触発されました。今号ではその触発について述べながら、地域からの日中交流の可能性について考えてみます。
南部鉄瓶とプーアル茶
かつて放送メディアで仕事をしていた当時、東北でも勤務したことはあったのですが、岩手県と中国との交流について深い予備知識があるわけではない状態で会場の席に着いた最初の触発は、来賓として登壇した岩手県の達増拓也知事の「南部鉄瓶とプーアル茶」にまつわるお話にありました。
岩手の伝統的な工芸品である南部鉄瓶の中国における販路の開拓を推し進める中で、プーアル茶の産地として有名な雲南省普洱市との関係を開いたというのですが、南部鉄瓶で入れて飲めばお茶がおいしくなるという発想が出発点だったというのです。なるほどといえばなるほどですが、この二つを結び付ける発想の力に感じ入りました。2010年4月に南部鉄瓶とプーアル茶の宣伝について「協力交流強化に関わる協定」を普洱市との間で締結し、同じ年の5月には上海万博で南部鉄瓶とプーアル茶の共同展示を実現して中国の人々の注目を集めたといいます。そして、13年には、雲南省との間で「友好交流協力協定」を締結して、岩手県と雲南省の間で中・高校生の相互訪問による交流や、農業技術の交流など、分野やプロジェクトを拡大して関係を深めてきたということです。
地域おこしの担当者や研究者の間でよく「グローカル」(グローバル=地球規模とローカル=地域を組み合わせた造語)という言葉が使われることがありますが、岩手の南部鉄瓶とプーアル茶をつなげる発想は、まさにこの「グローカル」を地で行くものだと言えるでしょう。地域の実際に基づいたまさしく地に足がついた暮らしの中で深められ、日中間の交流の力が成長してきたのだと知らされました。
今年夏には雲南省から16人の中・高校生が岩手県を訪れ、雲南省や中国の文化について紹介するとともに岩手の高校生はじめ地域の人々と交流を深めたということです。地元のテレビ局・岩手朝日テレビのニュースによれば、岩手県立南昌みらい高校など3校で交流し、陸前高田市にある「東日本大震災津波伝承館」を見学した後、県庁に達増知事を訪ね「伝承館」で日本の防災の知恵を学んだことや同年代の高校生と交流したときの感動を報告したということです。中・高校生たちを迎えた達増知事は「交流を通じて、岩手を身近な存在として感じてほしい」と話すとともに「いわて親善大使」の委嘱状を手渡したということです。中・高校生たちはこの後、県内の一般家庭にホームステイし、雫石町の小岩井農場などを視察して中国に帰国しています。
まさに地域に中国との交流の力を育む基盤がしっかりと息づいていて、地域から日本と中国の友好交流が深く、広く発展していることを実感できて心励まされます。
地域間交流における宝
もう一つの触発は、シンポジウムの第2セッション「地方交流を促し、手を取り合って未来に向かう」にありました。それはこうした交流を支える「人」(ヒト)の重要性です。登壇者から地方交流の大切さが多角的に語られて、その一つ一つに共感したのはもちろんですが、岩手県の国際室長・畠山英司さんと国際交流員・楊婧菲さんの発言に、地方自治体における国際交流について教えられるところが多くありました。
畠山氏から10年の上海万博におけるプーアル茶と南部鉄瓶の共同出展、13年に友好交流協定の締結、そして18年に昆明市に岩手県雲南事務所を開設と、年を追って発展してきた岩手県と雲南省との交流の歩みや農林業など多様な分野に広がる交流についての説明があったのを受けて楊婧菲さんが、雲南省麗江市出身で少数民族のナシ(納西)族だということに始まり、国際室で取り組んでいる業務について語りました。楊さんが話し始めて、なんと素晴らしい日本語能力だろうかと感動して引き込まれました。
岩手県・国際室のホームページによると、楊さんは、18年に中国青年代表団の一員として東京と長崎を訪れ「日本の伝統文化を身近に感じることができ、胸に刻んだ思い出を多く作りました」と記しています。その後、海外から青年を招致して地方自治体などで任用し外国語教育の充実と地域の国際交流の推進を図る事業「JETプログラム」によって岩手県で仕事に当たることになったということです。シンポジウムでの発言で楊さんは、雲南省との青少年交流に当たって「岩手ならではの風景、食文化、伝統工芸などについて知ってもらうと同時に、岩手からは雲南省についてだけでなく、そこに住む少数民族の文化にも触れてもらいたい。そして友情の種をまいていきたい」と力強く語りました。
畠山氏によれば、この10年間で雲南省からの派遣は7人目だということです。地域間の交流においては、こうした言語能力の高い、そして日本の地域の文化や暮らしを深く理解しその魅力を語る熱意と能力を備えた楊さんのような人材が重要な鍵を握ることになるということなのです。さらに、中国から派遣されてくる人材を迎え入れ、人材を生かす、岩手県側の態勢が整えられ、進化していることも見えてきました。つまり、国際室での仕事を通して相互の理解を深め、信頼し合うという、国際交流の最も大事な基礎であり、かつ難しいことが、文字通り実践されていることが発言から伝わってきたのでした。
岩手県の中国との地域交流は雲南省にとどまらず、05年に岩手県大連経済事務所を開設し、21年には遼寧省との間で友好交流協定を締結して中国との交流を活発に重ねていることも忘れてはなりません。また、こうした歩みや国際室の位置付けから、地域間交流における自治体の首長の見識の深さ、視界の広さそして何よりも熱意がとても重要な意味を持っていることも見えてきて、岩手県の活力の在りかが分かったと感じました。
まさに「人」が全てを決定づける重要な要素だということです。これが二つ目の触発でした。
日中の友好都市関係は今
この稿の筆を執るに当たって、日本と中国の地域間交流の指標とも言うべき「友好都市」関係は一体どれくらいの広がりがあるのだろうかと思って調べてみました。その結果、「自治体国際化協会」によると、日本と中国の友好都市提携数は昨年3月末現在で381件と数えられています。日本の市区町村の総数は、今年7月25日現在1718で、これに47都道府県を合わせて考えると1765となります。すなわち、381という数字をどう捉えるのか、日中の地域間交流の今後を考えていくためにも、深く分け入った考察が必要だと思います。
ところで、友好都市提携の数を調べていて『北海道新聞』の北京駐在、古田夏也記者が興味深い記事を書いているのに出会いました。見出しには「日本と中国、数が合わない友好都市 日本382件、中国は266件 『ずれ』の理由は?」とあります。すでに日本の件数が1件増えて382件となっていますが、これは記事の出稿が今年2月10日で「自治体国際化協会」の統計との時差のせいだろうと推測できます。そこで、この「ずれ」に気付いたきっかけですが、「中国の王毅外相の発言だった。王氏は昨年(2024年筆者注)12月25日に北京で開かれた日中の人的交流に関する会議で『260組を超える両国の友好都市を支点に多くの人々が交流を深められるようにする必要がある』とあいさつした。会議には岩屋毅外相をはじめ日中の要人が多数出席。念のため、日本側にも友好都市の数を確認すると『380組余り』と言われた。なぜ100以上ずれているのか。どちらが正しいのか。日中両政府の関係者に聞いても明確な答えは返ってこず、取材を始めた」というのです。なんだかミステリーのようですが、「調べてみると、承認制度の違いや自治体合併で生じたずれが日中関係悪化などを背景に長年、放置されてきた歴史が見えてきた」というのです。
日本と中国の「友好都市」は日中国交正常化の翌年に当たる1973年に神戸市と天津市が提携したのが始まりとされていて、中国にとっては、外国と結んだ友好都市の第1号だったとされています。記事によると「(天津市と神戸市の友好都市提携を)主導した中国の周恩来首相(当時)は『両国人民の末代までの友好を発展させる』と強調。同じ漢字を使う国同士、対等な関係を築くとの思いを込め、上下関係を想起させる『姉妹都市』ではなく、『友好都市』と名付けたという」のです。また「中国政府は友好都市を人的往来活発化のための『隣国外交』と明確に位置付けており、提携先は79年の10件目まで日本の自治体だけだった。世界3000超の自治体と友好都市関係を結ぶようになった今でも日本が最多だ」というのです。日本との「友好都市」関係がいかに重要な位置付けを帯びているのかがうかがえます。
地域間交流の意義と可能性
こうして見てくると、日中両国における「友好都市」関係は、経済のみならず文化交流、青少年交流、さらに地域活性化など多岐にわたる分野で、日中両国の協力や相互理解を深める上で重要な役割を果たしていて、日中関係の発展に大事な意義を持っていることが分かります。シンポジウムで出掛けた盛岡で体感することができた岩手県と雲南省の素晴らしいケースはあくまでも一つの事例で、全国をつまびらかに見つめてみると、同じように素晴らしい地域間交流が多く重ねられているだろうことは言うまでもありません。
日本の都道府県市区町村と中国における省市はじめ各段階の地方政府間で行われる地域間交流は、国という枠組みを超えて、地域に根差した経済、文化、教育、スポーツなど広く多様な分野で実質を伴う交流が重ねられています。こうしたいわば「草の根」の交流が、日中両国の相互理解と相互の信頼関係を深め、友好関係を発展させていく上でとても大切な役割を担っていることを改めて知ることになりました。
地域間交流はそこに住む人々との濃密な触れ合いを通して、人間的な交流と信頼関係を生み出す重要な意義を持っています。そして、地域から日中両国の関係をより強固なものにするための大きな可能性を秘めていると言えます。ほんの一日の盛岡でのシンポジウムでしたが、そこで触発され学んだこと、そして発見はとても大きなものだったことを、改めて思い返しています。このことをぜひ、読者の皆さんに伝え、思いを共有できればと考えました。
地域間交流については、従来から、この『人民中国』誌においてもさまざまに取り上げられてきましたが、さらに取材が広がることを期待したいとも思います。
地域に人あり、地域と地域の交流に力が宿る! 地域同士の交流が日本と中国の関係を大きく、力強く発展させる無限の魅力と可能性を秘めていることを感じながら筆を置きます。