「戦後80年」の年を送るに当たって

2026-01-29 14:20:00

025年が暮れようとしています。本当に激動の世界、大変局の時代という感慨を強くする一年でした。日本の私たちにとっては、「戦後80年」、正確に言えば「敗戦80年」と向き合った今年一年はとても重く、痛切なものだったと言わざるを得ません。「敗戦80年」の今年を送るに当たって、改めて、過去の歴史と向き合う問題意識の一端を記して深めておきたいと思います。 

石破「戦後80年所感」を読む 

「戦後80年」を振り返る際、秋の退陣間際になって発表された石破茂前首相の「戦後80年に寄せて」と題した「所感」を素通りすることはできません。6400字に及ぶ「所感」を繰り返し読みましたが、次々と違和感、疑問が浮かび、琴線に触れるとは言い難いものでした。 

「過去3度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は『外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった』という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか」と石破氏は「所感」に込める問題意識を提示しています。また、「第1次世界大戦を経て、世界が総力戦の時代に入っていた中にあって、開戦前に内閣が設置した『総力戦研究所』や陸軍省が設置したいわゆる『秋丸機関』等の予測によれば、敗戦は必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争を回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜むこの命を犠牲とする結果となってしまったのか。(中略)戦後80年の節目に、国民の皆さまと共に考えたいと思います」とも述べています。そして、「大日本帝国憲法の問題点」「政府の問題」「議会の問題」「メディアの問題」「情報収集分析の問題」と項を立て考察し、「今日への教訓」へと論を進め、「歴史に正面から向き合うことなくして、明るい未来は開けません。歴史に学ぶ重要性は、わが国が戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に置かれている今こそ、再認識されなければなりません。戦争の記憶を持っている人々の数が年々少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている今だからこそ、若い世代も含め、国民一人一人が先の大戦や平和のありようについて能動的に考え、将来に生かしていくことで、平和国家としての礎が一層強化されていくものと信じます。私は、国民の皆さまと共に、先の大戦のさまざまな教訓を踏まえ、二度とあのような惨禍を繰り返すことのないよう、あたう限りの努力をしてまいります」と結んでいます。 

これに対して、日本近代史を専門とする歴史家が新聞紙上に長文の論評の筆を執って、「日本国民に向けて、内省を促すメッセージである」と高く評価しました。「戦争の責任を追及するのではなく、戦争の過誤を繰り返さないためにはどうすべきか。このような問題関心は、敗戦直後に幣原喜重郎内閣が設置した戦争調査会の目的に類似する。石破『所感』は首相一人で進めた国家的なプロジェクト=戦争調査会の報告書の趣がある」として「文民統制の重要性を確認する一方、国民の生命財産の保全こそ『実力組織』(戦前の軍隊、戦後の自衛隊)の本務だと強調しているのは、防衛庁長官防衛相を歴任した首相にふさわしい」「『所感』に答えがないと批判するのは筋違いだろう。『所感』は『戦後80年の節目に、国民の皆さまと共に考えたいと思います』と前置きして本論を展開する。私はこの呼び掛けに応答したいと思う。たとえ『所感』の歴史解釈に不十分なところがあるとしても、あるいは発表のタイミングや形式、発表の政治的な意図効果影響などを巡って、批判すべき点が多くあるとしても、それでもこの1点において、『戦後80年』の今年、石破『所感』を発表したことは、大きな意義があった」というのです。 

しかし、冒頭に述べたように、随所で違和感が生じ胸に響くものとはなりませんでした。 

「先の大戦」は何に「敗れた」のか 

なぜ、中国アジアへの侵略、植民地支配に分け入って考えないのか、なぜ侵略の歴史に触れないのかに始まり、「総力戦研究所」などの予測で敗戦は必然だったのに「無謀な戦争」に突き進んだことが間違いの本質なのか、「文民統制」が機能しなかったことが戦争を阻止できなかった根本的な原因なのか、そもそも「先の大戦」とは一体何だったのかなど、「所感」を読み進みながら「問い」が浮かび尽きないのです。当方の考えが浅いのだろうかとたびたび自問しました。しかし、率直に言って、石破氏がなんとしても「所感」を出すことにこだわっていたにもかかわらず、過去の歴史と本質的に向き合うことができていないのではないかと思わざるを得ないのです。 

中でも、何より重いのは、改めて「先の大戦」とは一体何だったのか、敗戦は何に対する敗戦だったのかという最も原初的な「問い」に突き当たることです。 

「先の大戦」は、一般に広く知られているように、あるいは教科書で教えられるように、米国の圧倒的な国力、物量の前に敗れた戦争だったのでしょうか!? 断じて否! です。そうではなく、中国アジアの民衆の抵抗に日本帝国主義が敗北したのだという認識、視座に立つ必要があると考えます。もちろん「先の大戦」が中国への侵略とともに米英などとの帝国主義国間の争闘、角逐だったという二重性を帯びた戦争であったことは承知しています。しかし、米英との戦争は中国アジアへの侵略と植民地支配の結果として突き進むことになったのです。何が戦争の本質的起源かといえば、日本の中国アジアへの侵略、植民地支配にあったと言うべきです。 

さらに「先の大戦」が米英との開戦以降とされることが孕む問題も重く横たわっています。今年テレビで放送されて好評を博した「朝の連続ドラマ」でも1941年12月8日の米英との開戦から戦争が始まったかのように語られました。知らず知らずのうちに米英との戦争が「先の大戦」だと潜在意識に埋め込まれ戦争観が形作られているのです。厳密に言えば明治以降の日清、日露の二つの戦争にさかのぼって深く検証、考察することが必要なのですが、最低限、1928年の関東軍による張作霖爆殺、そして31年9月18日の「柳条湖事件」(九一八事変)から、かいらい国家「満州国」の「建国」を挟み37年7月7日の「盧溝橋事件」(七七事変)というひと続きの流れの中で日中戦争を見据えることがなくては「先の大戦」の本質は見えてこないのです。言うまでもないことですが、「宣戦布告」もなく(もちろん宣戦布告すればいいという問題ではありません)「事変」という呼び名の下で略奪、殺りく、じゅうりんを拡大した中国への侵略の歴史と真摯しんしに向き合うことが「先の大戦」を振り返る原点になければ何も語る資格はないと言うべきです。従って、中国アジアの民衆の抵抗に敗北したのが日本の敗戦だったということをしっかり認識すること、すなわち、戦後教育の中で形作られた「先の大戦」観を改めなければ、いつになっても中国侵略の加害責任という問題と向き合うことなく戦後を生きる日本のわれわれとなるのだと思うのです。 

さらに、石破氏が挙げる「総力戦研究所」に関わる問題です。負けると分かっている戦をしたのが誤りだったのでしょうか、逆に言えば、勝てるのであれば戦争しても良かったのでしょうか!? そうではなく、侵略という、金輪際許されない、間違ったことをしたからこそ中国の人々の抵抗に遭い、帝国主義軍国主義の野望を遂げることができなかった、間違ったことだったから敗北したのだということを、日本の私たちは、しっかりと自覚しなければならないと考えます。これこそが「敗戦80年」に向き合うべき命題としてあるのだと思います。 

再度問います。「先の大戦」とは一体どんな戦争だったのか、日本は何に敗北したのか!? 「敗戦80年」の今年を送るに当たって、なんとしても、物量の米国、圧倒的国力の米国に負けたという「戦争観」から抜け出る必要があると考えます。 

「先の大戦」の認識と戦後日本 

この「戦争観」がはらむ問題はその後の日本のわれわれの「生き方」に深く関わってきます。すなわち、45年9月2日、戦艦ミズーリの甲板上において連合国軍最高司令官ダグラスマッカーサーの下で降伏文書に署名して以来、米国に敗北した日本という「刷り込み」に生きる日本が決定づけられ、冷戦下、米国の下で中国敵視政策を重ね、72年の日中国交正常化以降も現在に至るまで、日米同盟基軸を深め、中国を脅威として事実上の「仮想敵」とする安全保障戦略観を一層深くする日本となったのです。 

すでに本欄でも触れましたが、51年9月、サンフランシスコ講和会議において、当時すでに成立していた中華人民共和国を排除するとともに連合国のうちソ連、インドなどを除く国々との「片面講和」によって日本が主権回復に至ったことはよく知られている通りです。このとき同時に、米国との間で「日米安全保障条約」に当時の吉田茂首相一人が署名して、日米同盟の下で生きる日本が運命づけられることになりました。そして、「サンフランシスコ平和条約」発効の日である52年4月28日、日本は「台湾」との間に「日華平和条約」を締結し、「中華民国」を正統な政府と位置付けて戦後処理を終えたとする、まさに虚構の歴史を72年の日中国交正常化まで生きることになったことも忘れてはならないと思います。 

さらに、「米国への敗北」という意識と日米同盟を基軸とする戦後の歩みの中で、日本の政治、経済のみならず教育、文化、価値観、精神のありように至るまで米国への自発的隷従に慣れていくという実に根深い問題を抱えることになったのです。 

「敗戦80年」を送る責任と覚悟 

一橋大学教授を務めた中村政則氏は「貫戦史」(トランスウォーヒストリー)という視角を提示して「戦争は国際関係を大きく変え、国内の政治経済、社会構造に激変をもたらし、人々の思考や心理に大きな影響を与える。戦争が終わったからといってその影響は消えるわけではない」と示唆深い問題提起をしました。 

「戦争が終わったからといってその影響は消えるわけではない」という1行は実に重い響きとなって私たちに迫ってきます。8月15日、世に言うところの「終戦の日」で日本は変わったわけではないのです。敗戦の在り方も含め、その後日本の歩んだ道は、先の戦争をきちんと総括することなく、米国との関係の中で、すなわち日米安保=日米同盟基軸の下で、ひたすら米国と共にあることで「戦争のできる国」へと歩みを進めています。この秋発足した高市早苗氏を首班とする内閣は、「防衛費」増額の前倒しをはじめ、いわゆる「安保3文書」の改定など、ますますその度を加速する現在です。 

「戦後の総決算」という言説が繰り返し語られます。「敗戦80年」に際して欠かせない視座は何かという問題意識を深めてくると、はっきりしてくるのは、「戦後の総決算」を言うのならば、米国への自発的隷従に生きることを超えて、自身の目と耳で世界と時代を見つめ、耳を傾け、自身の頭で考え、自分の足で歩く、その覚悟が必要だということです。それゆえに、誤りない歴史認識が必要だというところに戻る、つまり円環をなす論理構造にあることに気付くことになるのです。つまり、「戦後80年」の今こそ誤りない歴史認識に立つ責任がわれわれに求められ、迫られているということです。そして、中国を脅威とし、抑止をもって中国と対峙するという発想と戦略観、その根底にある中国観からの脱却が、「敗戦80年」の年を送る今こそ大事になっていると考えるのです。この歴史的な覚悟と責任の自覚に、揺らぐことなく立ち向かう一人一人でありたいと考えます。 

 

木村知義 (きむら ともよし)   

1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース・報道番組を担当し、中国・アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008年NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。  

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