歴史的岐路に立つ日本への省察を

2026-03-04 11:17:00

月号は先月の問題意識を継ぎ、「高市発言」で俎上そじょうに上ることになった「存立危機事態」という「概念」を生み出すことになった歴史的転換点に目を向けて、私たちが向き合うべき論点を提起したいと考えます。 

その際、「高市発言」に関わる今回の問題は、「中国が問題にした」から問題なのではなく、その前に、日本の私たち自らが直視し省察しなければならない、本来的にわれわれの問題だから問題なのだという認識こそが大事だということを、前提として確認しておかなければなりません。 

歴史的転換点の「安保法制」 

「存立危機事態」という言葉に私たちが出会ったのは10年余り前、安倍晋三首相の第2次政権時代の「安保法制」に関わる議論においてでした。このとき「集団的自衛権」の行使を巡って、激しく議論が重ねられました。それまでの日本は、国際法上の「集団的自衛権」を有してはいるが、憲法第9条の下では「行使できない」という見解に立っていました。しかし、2014年7月、安倍内閣は従来の憲法解釈を変更し、「一定の条件」の下で集団的自衛権の行使を認めることを閣議決定しました。その行使が認められる条件として、従来の「武力行使の三要件」を改めた以下の「新三要件」が定義されました。 

1 わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険があること(存立危機事態) 

2 他に適当な手段がないこと 

3 必要最小限度の実力行使にとどまること 

ちなみに旧三要件は、「わが国に対する急迫不正の侵害がある」「これを排除するために他の適当な手段がないこと」「必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと」となっていました。 

これにさかのぼる5月、安倍首相がテレビの生中継で記者会見に臨み、米艦に乗る乳児を抱く母親とそれに寄り添う幼児のイラストの描かれたパネルを使って「邦人保護」を説く姿が記憶に残る方もいらっしゃると思います。「日本を取り巻く情勢は一層厳しさを増している。あらゆる事態を想定して国民の命と平和な暮らしを守るため切れ目のない安全保障法制を整備する必要がある」と安倍氏は訴えました。 

そして15年秋、「安保法制」(平和安全法制)が成立します。日本の戦後の安全保障政策が大きく転回することになった、まさに歴史的転換と言えるもので、今回の「高市発言」の淵源えんげんとなったとも言えるでしょう。重要なことは「憲法解釈の変更」という実に便利な言葉が使われて、為政者たる安倍首相の意向に合わせて憲法の解釈がなされるという、歴史を画する転機となりました。いま私たちが思い起こさなくてはならないのは、法制化への議論の中で15年6月に開かれた衆議院憲法審査会で、自由民主党推薦を含む参考人の3人の法学者全員が、法案を「憲法違反」だとする判断を述べたことです。それから10年余り、戦後の「平和憲法」ののりを超えた現実がどんどん進んでいるということを、あらためて直視しなければなりません。「戦争のできる日本」へと大きくかじを切った安保法制定でした。 

「反撃能力」保持という転回点 

もう一つの大きな転回点は22年の暮れに訪れました。岸田内閣による防衛3文書の策定です。防衛3文書というのは、外交や防衛などの指針となる全体的な戦略方針を定めた最上位の文書とされる「国家安全保障戦略」、具体的な防衛目標の設定とその達成方法についての「国家防衛戦略」、自衛隊の保有すべき防衛力の水準、体制を示し、それを達成するための中長期的な整備計画、5年間の経費の総額などをまとめた「防衛力整備計画」の三つの文書です。 

では、そこで何が行われたのかというと、「反撃能力」という新しい文言が書き込まれました。この「反撃能力」というのは、それまで「敵基地攻撃能力」としてきたものを議論の過程で「言い換えた」もので、「わが国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の3要件に基づき、必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、わが国が有効な反撃を加える能力」と定義されました。要は「遠く離れた脅威圏の外(スタンドオフ)から、わが国への攻撃を効果的に阻止する」攻撃能力のことで、相手が攻撃に「着手」している段階で行使できるとなっています。そして、「国家安全保障戦略」では中国について、「対外的な姿勢や軍事動向等は、わが国と国際社会の深刻な懸念事項であり、わが国の平和と安全および国際社会の平和と安定を確保し、法の支配に基づく国際秩序を強化する上で、これまでにない最大の戦略的な挑戦であり、わが国の防衛力を含む総合的な国力と同盟国同志国等との協力連携により対応すべきものである」としました。この岸田内閣による防衛3文書の策定、「反撃能力」の明記もまた、憲法第9条を超えるものだという指摘がなされたことは言うまでもありません。 

つまり私たち日本の現実は、「憲法改定」を待たず、いうところの「平和憲法」をすでに大きく超えたところに来ているのです。 

首相の戦略観と日本の軍事化 

高市内閣ではこの防衛3文書のさらなる「見直し」と防衛予算の飛躍的増額が図られるといいます。加えて、「非核三原則」の見直しも俎上に上っていることが言われています。さらに首相側近による日本の「核武装」に関わる「オフレコ発言」まで伝えられました。 

こうした流れの中で、高市氏がどんな戦略的観点に立っているのかが大事になります。紙幅の関係で先月号では触れることができなかったのですが、高市氏の考えをつまびらかに知ることが重要なので、「私が総理なら台湾と合同訓練」と題した櫻井よしこ氏との対談(「Hanada」セレクション「高市早苗は天下を取りにいく」24年9月)から、少し長くなりますが引用します。 

「二〇一五年、安倍政権では、とてつもない大騒ぎのなかで平和安全法制を成立させました。これによって、重要影響事態が起きた場合には、他国軍への後方支援が可能になった。さらに武力攻撃事態、存立危機事態になれば、自衛隊が出動して武力行使もできるようになりました。ただ台湾に関していうと、いま『国家』ではなく『一つの地域』として扱っています。米軍が台湾軍の応援に回れば、自衛隊は米軍の後方支援をできますが、もし台湾で重要影響事態が起きた際、台湾軍を後方支援できるのかどうか。いまの法律ではまだそこが明確になっておらず、議論する必要があります」 

「私が総理なら『ガッツリ』受け止めて、(台湾との:筆者注)合同訓練も含めてやります。台湾有事が起きたら日本の安全にかかわりますし、台湾には約二万四千人の在台邦人がおります(二〇二〇年十月時点)。彼らをどう保護し、救出するかという現実的な問題もある。そういう問題を放置していいはずがない」 

「抜本的に防衛予算を増やさなくてはいけません。総裁選(21:筆者注)のときは『米欧並みにするならばGDPの二%で、十兆円規模』と主張していました。防衛費の金額はある種の決意表明、メッセージにもつながります。中国に対するメッセージにもなりますし、日本のなかにも憲法を守ってさえいれば平和、専守防衛していれば平和なのだと考えておられる方がまだまだいらっしゃいますから、そういう方たちに対するメッセージにもなる」 

こうして読み込んでみると、率直に言って、昨年秋の発言が出てきても不思議ではないと思えるものです。そして、高市氏の下で進む「3文書見直し」や「防衛費」の飛躍的増額、さらに防衛装備(武器)輸出に関わる原則の見直し、防衛産業の位置付けの変容、「非核三原則」の見直しなど、これまでの安倍内閣、岸田内閣の二つの大きな転回を一層上回る、日本の平和と安全保障戦略を巡るより大きな歴史的転換となっていく、すなわち「戦争のできる日本」への歩みを一層加速する懸念を拭えないものと言えます。さらに重要なのは、こうした流れに常に「中国の脅威」、中国を事実上の敵とする戦略観が通底していることです。 

軍備増強の道を突き進む日本 

また、ここでは端折はしょらざるを得ないのですが、こうした日本の「安保戦略」の転回は「日米防衛協力のための指針」いわゆる「日米ガイドライン」の見直しと深い関わりの中で進んできたことも忘れてはなりません。それゆえに、「サンフランシスコ講和体制」と「日米安全保障条約」の下で日本の「再軍備」が進んだ戦後日本の歩みと「日米同盟」の深化の歴史をあらためて検証することを迫られることになったと言えます。その際、吉田茂以降で戦後日本の保守の基軸となってきた「非核軽武装」の日本という在り方を根本から変えるものになっていることに、注意を払う必要があると思います。この「非核軽武装」ですら本来は吟味が必要となっていた、すなわち、すでに「軽武装」というレベルを大きく超える軍事力を備えた日本になっていることなど、厳密な意味では言葉と現実の乖離が大きく、実態に合わないということなのですが、それでも、憲法の下でかろうじて踏みとどまる日本の在り方としてはこの「非核軽武装」と「専守防衛」は重要なキーワードとなっていたと言えます。その戦後保守の系譜さえ否定し大きく踏み越えていく高市内閣は、敗戦後から今に続く日本の在り方を根本から変える大きな変容、歴史的転換を導き出すことは間違いありません。つまり、私たちは大きな歴史の岐路に立っていると言えます。 

日本を訪れたトランプ大統領と共に空母ジョージワシントンに降り立ち「私は決意しています。今後、日本の防衛力を抜本的に強化して、この地域の平和と安定により一層積極的に貢献していきます。そのことにより、トランプ大統領と共に、世界で最も偉大な同盟になった日米同盟をさらなる高みに引き上げていく覚悟です。日米は共に帆を掲げ、自由で開かれた海を進みます。この横須賀から紡がれる航路は、日米の絆を輝く未来へと導くことを確信しています」と語り「日米黄金時代」を築いていくとうたい上げた高市首相の下で、日本がどう歩むのか、実に深刻な危惧を抱かざるを得ない時代に足を踏み入れたことを痛感します。 

戦後を戦間期にしないために 

「戦後レジームからの脱却」を掲げ、戦後保守の「非核軽武装」の考え方すら捨て去ろうとしている高市氏の危うさは、さらに深刻な問題を浮かび上がらせます。 

近代以降の日本の歴史を振り返ると、これまで戦後は常に戦前となった、すなわち戦後が次の戦争への戦間期となってしまった歴史だったと言うべきです。よって、1945年の敗戦から80年を経て、今度こそ戦後はまさしく戦後だったと言える歴史にしていかなくてはならない、戦間期にしてはならないと痛切に思います。ですから冒頭に戻りますが、今回の「高市発言」は中国が問題にしたから問題なのではなく、本来的に日本の私たちこそが問題としなければならない重大な問題なのです。日本がこれからの時代を、すなわち未来をどう歩むのかという重く大きな歴史的問題なのです。「日本をもう一度世界のてっぺんに押し上げたい」「世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す」と強調する高市氏ですが、「外」すなわち諸外国から高市氏の目指す日本の姿がどう見えるのか、自身を客体化する想像力が必要とされていることを知らなければならないと言うべきです。なぜなら、「高市発言」を契機に、「サンフランシスコ講和体制」と日米安全保障条約の下でひたすら日米同盟強化、米国への自発的隷従の道を歩み、侵略と植民地支配の歴史を深く受けとめ、反省して、戦争責任を全うすることを回避する「行き方」を歩んできた敗戦後の日本の在り方とあらためて向き合うことを迫られることになっているからです。 

いま、私たちは、中国をはじめとしたアジアの諸国、そして世界の人々と真に信頼を結び、平和な未来を目指して共に歩みを進めることができるのか、まさに今を歴史の「負の転換点」としない見識と覚悟が求められているのだと考えます。 

人民中国インターネット版

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