中国の友人からの二つの「問い」
文=ジャーナリスト・木村知義
つい最近のことです、中国人の2人の友人から「問い」が投げ掛けられました。一つは「東京裁判から80年になるがあなたはどう考えるか?」もう一つは「小泉防衛大臣が『太平洋防衛構想室』を作ったが日本は何を目指そうとしていると思うか?」という二つの「問い」でした。いずれもハッとさせられる鋭く、深い「問い」でした。というのは、「東京裁判」(極東国際軍事裁判)は日本の敗戦と戦後のありように深く関わる問題ですし、「太平洋防衛構想室」は日本の現在と将来の「姿」に関わる重要な問題と言えるからです。とりわけ、中国の識者から日本の「新型軍国主義」という批判的論評が提起され、一方、日本の大方のメディアや識者からは、日本に対して「軍国主義」などというのは為にするあげつらいだといった論調さえ見られる世情にあって、この二つの「問い」は、中国と向き合う日本の私たちにとって、誰もが主体的に向き合い、他人任せではなく、それぞれが「答え」を持たなくてはならない大事な問題だと考えます。
尽くされなかった戦争責任の糾明
「極東国際軍事裁判」(以下裁判)についてここでの問題意識は、この裁判において日本軍国主義の戦争責任は本質的かつ徹底的に問われ、それを乗り越えることができただろうかというものです。結論から言えば、戦争責任の糾明は尽くされず、それが戦後日本の在り方を決定付けるという根の深い問題となって現在に至っているという認識にあります。
まず、「裁判」では天皇(昭和天皇)の戦争責任については問わないことが大前提となった、日本の占領政策に内在する問題です。天皇の訴追に関しては連合国の中にも議論があったことはよく知られています。しかし最終的には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)を率いたマッカーサーによって、天皇の訴追はしないということが決められました。これは米ソ二大陣営による冷戦の始まりという国際情勢の下、米国における日本及び日本人の歴史と精神性についての精緻な研究に基づいた占領統治を進める上での政治判断であり、他方、日本側の何をおいても「国体護持」を全てに優先するという念願と合致したものでした。ふり返れば、「ポツダム宣言」の受諾、すなわち「無条件降伏」を受け入れるまでの過程では、この「国体護持」を巡って連合国側から保証を取り付けるための模索が重ねられ時を費やしたことが、沖縄における惨劇と広島、長崎における米国による原爆投下の「遠因」となったという指摘もあるくらいです。天皇側近および日本政府、軍部においては、天皇を守り、天皇制に基づく「国体」を守り抜くということが至上命題となっていたということです。このことが、「裁判」の過程で連合国側にさまざまに議論がありながらも、天皇の訴追が見送られることにつながりました。注意が必要なのは、これは天皇個人を断罪するかどうかということに狭められる問題ではなく、東条英機はじめ7人の極刑という判決を重く受け止めることは当然としても、日本軍国主義における戦争責任の糾明が極めて不徹底に終わることになったということです。そして、「国体護持」のためには、何をおいても万能の占領統治者たる米国の意に沿いながら戦後を歩むことを運命付けられたのが「東京裁判」だったというわけです。このことは、政治、外交安全保障、経済、社会、文化とありとあらゆる分野、領域で「米国への隷従」という根の深い問題を、日本のわれわれが抱えることになる淵源となりました。そして、この戦争責任糾明の不完全さは、さらに「問題」を引き起こすことになりました。
戦争責任糾明の不徹底と戦後日本
1948年12月24日、クリスマスイブのこの日、何があったか記憶する人は多分そう多くはないと思います。この日、のちに日本国内閣総理大臣の地位に就くことになる岸信介が赦免されて巣鴨プリズンから世に出ることになりました。岸は「A級戦犯」容疑で収監されていた身でした。しかし、東条英機、広田弘毅ら7人の処刑が実行された12月23日の翌日、「自由の身」となったのです。巣鴨最後の日(23日)の日記に岸は、「今暁零時半から東条氏以下の絞首刑が執行せられた(と)いふ情報が伝へられる。まだ真偽は判らぬけれどもどうもあったらしい気配である」と記しています。
巣鴨プリズンに収監された身として、東条、広田らが刑場へと連れ出される獄舎の響きを遠く聴きながら恐怖に怯えたであろう岸にとって、一夜明けた24日、突然の赦免はいかほどの衝撃的「喜び」としてあったか、想像に余りあると言えるのではないでしょうか。そして、あたかも米国からの、まさに、絶妙なクリスマスプレゼントとして身に沁みて感謝の念を抱いたとしても不思議ではないと思います。「娑婆」に出た岸は米軍の車で永田町を目指し、弟の佐藤栄作官房長官公邸を訪ねたということです。後に岸の「日記」や直接のインタビューなどをもとに詳細な論考を重ねた原彬久氏の労作『岸信介』には巣鴨在監時期の「揺れ惑う岸の心理的葛藤」について記述があります。そこには岸が、米ソ冷戦を己の身の上にとって「好機」ととらえていたことが記されています。岸は、釈放1カ月余り前の「日記」に「『東亜全体の赤化』に通じる中国共産党の『天下』を阻止するために、米国はドルと武器で蒋介石を助けること(焼け石に水)はやめて、米国がみずからの軍隊をもって直接毛沢東軍を『抑圧』すべきこと、しかもこの米軍は日本の義勇兵をもって編成されるべき」という「時局認識」を記していたというのです。「米国が対日占領政策を一日も早く断ち切って、『反共』のために闘う対等の『盟友』として日本を遇すべきことを主張する」というのです。傀儡国家「満洲国」で辣腕を揮った岸の「面目躍如」というべきか、彼の中国観、世界観の本質を如実に物語る述懐と言えるでしょう。
また、米ソ冷戦の本格化のなかで、GHQの「情報・治安」(謀略)担当部局である、ウィロビー少将率いる「G2」から「岸釈放勧告」が出されたことも注目に値することです。原氏は「岸が以後10年を経ずして今度は官房長官公邸どころか首相官邸そのものの主人におさまってしまうという、いまひとつの光景をこれに重ねてみるとき、われわれは歴史の巧まざる妙を感じないわけにはいかない」と記しています。
ニューヨークタイムズ記者だったティム・ワイナーの著『CIA秘録、その誕生から今日まで』には戦後日本にあって「アメリカの国益を高め、新しい日本政府を米国の国益に沿った方向に向けさせることを企図」してCIAが「重要な人物を操ることを目指す」数々の秘密工作を行っていたことが赤裸々に記されています。ワイナー氏はCIA、ホワイトハウス、国務省の公文書館から入手した5万点以上の文書と、2000を超える「諜報担当官、兵士、外交官らのオーラル・ヒストリー(口述記録)」そして元長官を含むCIA職員、元職員ら10人に対するインタビューを元に著わした本書で、岸についても触れています。重要な言及なので以下に少し引用します。
…「おかしなものだな」と岸は弟(筆者注、佐藤栄作)に言った。「いまやわれわれはみんな民主主義者だ」。それから7年間の辛抱強い計画が、岸を戦犯容疑者から首相へと変身させた。(中略)岸はアメリカ大使館当局者との関係を、珍種のランを育てるように大事に育んだ。(中略)岸は一年ほどの間、隠密にCIAや国務省の当局者とハッチンスン(筆者注、元OSS・米戦略情報局要員で東京の米国大使館情報宣伝担当官)家の居間で会っていた。「彼がアメリカ政府から少なくとも暗黙の支援を求めていたことは明らかだった」とハッチンスンは回想している。一連の会談はその後40年間の日米関係の土台を築くことになった。(中略)岸は日本の外交政策をアメリカの望むものに変えていくことを約束した。アメリカは日本に軍事基地を維持し、日本にとっては微妙な問題である核兵器も日本国内に配備したいと考えていた。岸が見返りに求めたのは、アメリカからの政治的支援だった。…
60年の日米安全保障条約の改定はじめ日米関係と日本の政治、社会における岸信介の根深い影響力、そのなかには「親台湾ロビー」の重鎮としての政治活動も含まれます、そしてその孫としての安倍晋三氏にまで至る日本全体を覆う、いわば「地下の暗闇」における、連綿たる影響力を考えれば、「東京裁判」における戦争責任の追及、糾明の不徹底は、現在の日本のありようを決定づける、歪で実に根の深い問題として向き合わなければならないものをはらんでいると言わざるを得ません。
このように、天皇の戦争責任追及からの「除外」と岸信介に象徴される米国の極めて恣意的と言える戦争責任糾明の不徹底は「東京裁判」が残した、重大なそして歴史の本質に関わる「禍根」として記憶に刻んでおく必要があると考えます。
「中国脅威」論を脱して信頼関係の再構築へ
本稿の筆を執ったその日、高市内閣は「殺傷能力のある防衛装備品」(武器)の輸出に制約を課してきた「5類型」の撤廃を決定しました。同時に、「防衛産業」の強化とそれを日本経済の推進力とすることも掲げました。新聞は「戦後の平和主義に基づいて抑制してきた武器輸出政策を大きく転換させた」と報じました。
本年2月号に「歴史的岐路に立つ日本への省察を」を書きました。「安保法制」「反撃能力」の保持、そして「防衛予算」の膨張、「防衛3文書」の見直し、さらに南西諸島における「攻撃的ミサイル」の配備など、実質的には「憲法」を踏み越えて危険な道へと進んでいる日本のありように、今こそ省察が必要だという筆者の問題意識を述べたものでした。それが今、高市政権によって一層加速の度を速め、深くしていることを直視しなければならなくなっています。
そして、何よりも重大なことは、それらの全てが「中国の脅威」に対する「防衛力強化」の名の下に進んでいることです。冒頭のもう一つの「問い」にあった、防衛省に設置された「太平洋防衛構想室」もその文脈に位置付けられるものです。「中国を念頭に、太平洋側の広大な海空域における防衛体制の強化は喫緊の課題だ」と小泉防衛大臣は強調しました。これらの動きと軌を一にして、米軍とフィリピン軍の合同演習に自衛隊が実働部隊として本格的に参加(従来から「参観」などで派遣されてはいましたが)することになりました。また前後して海上自衛隊の「護衛艦」が台湾海峡を航行するなど、挙げればきりがないほど動きが急です。
こうした一連の動きに対して、人民日報の国際評論「鐘声」をはじめとして、日本における「新型軍国主義」に中国から警鐘を鳴らす事態となっています。すなわち、かつて中国はじめアジア・太平洋に覇を及ぼし惨禍を引き起こした旧来の軍国主義とは形を変えて、「中国の脅威」を抑え込むということを掲げて軍備増強が加速するところに、新たな形の軍国主義の危険が広がりつつあると警戒感が高まっているのです。
大事なことは、こうした日本の軍備増強と軍事的行動を外の世界から見ると、看過できない危険をはらむものとしか見えないということを、日本の私たちは十分に自覚できていないことです。ここで取り上げた二つの「問い」は時を隔てながらも深くつながる問題なのです。まさに、日本は、いま、歴史的な岐路に立っていることを、私たちは真剣に、そして謙虚に受け止めなくてはならないと考えます。
昨秋の「高市発言」によって日中の信頼関係が根底から破壊され、日中国交正常化以前の状態に戻ってしまったという厳しい認識に立つがゆえに、今こそ「中国脅威」論を脱して、日中の信頼関係再構築への真摯な努力を重ねることが、日本のわれわれにとっての喫緊の課題としてあるということを読者の皆さんと肝に銘じたいと思います。

木村知義 (きむら ともよし)
1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース・報道番組を担当し、中国・アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008年NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。
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