「新型軍国主義」批判とどう向き合う

2026-07-07 13:36:00

文=ジャーナリスト・木村知義

本稿の筆を執ろうとした時、思わず手が止まりました。「沖縄慰霊の日戦没者追悼式」のテレビ中継が始まったのでした。その中継映像に、役職、立場からはそこに居て当然なのですが、その人物の日ごろの口舌、立ち居振る舞いからはどうしても違和感を拭えない人物がいることに目が釘付けになりました。その人とは日本国内閣総理大臣高市早苗氏でした。なぜ「違和感」を抱いたかは後述しますが、この日は改めて「沖縄戦」を巡って考えが巡り、そこから、言うところの「先の大戦」について考えさせられる一日となりました。

6月号で「極東国際軍事裁判」と「尽くされなかった戦争責任の糾明」そして戦後日本の在り方について問題意識の一端を述べた際、中国から日本の「新型軍国主義」という批判が提起されていることに触れましたが、そこでの問題意識を引き継いで、さらに深める必要があるという思いが募りました。

日本の私たちの足下を見つめる際に、まず、中国の「新型軍国主義」という批判について知ることから始めることにします。

「新型軍国主義」批判とは? 

「新型軍国主義」という言葉に初めて出会ったのは、「『新型軍国主義』は日本を再び深淵へ導く」と題した、今年1月の人民日報に載った国際評論「鐘声」でした。重要な指摘、論点が含まれるので、少し長くなりますが、抜粋して引用します。この評論は、過去の日本軍国主義について振り返ることから始まっています。

「『戦争機械』(国家の戦争遂行体制)を駆動させるため、日本軍国主義は侵略を民族振興とアジア解放の『正義の戦争』と美化し、近隣諸国の人々への抑圧をいわゆる『大東亜共栄』と美化した。これらを社会に押し付けるため、軍国主義者は思想のかせを造り上げた。『皇国史観』を植え付け、日本は『神国』であり、日本民族は他の民族よりも優れていると主張した。『教育勅語』『臣民の道』などを公布し、皇民・奴隷化教育を推し進め、民衆を国家の戦争意志に従わせた。たとえ惨敗を喫しても、『大本営発表』を通じて虚偽の戦果を捏造し、日本国内に現実と完全に乖離した『インフォメーションコクーン』を築き上げた」

極めて端的かつ鋭く日本軍国主義と日本について語っています。この後、日本における戦争の「惨禍」について述べたうえで現在の日本に視線が向けられます。「防衛予算」の増大、「安保3文書」の見直しなど現在日本で進む軍備増強の動きを挙げて、「歴史の失敗は遠く過ぎ去ってはおらず、日本右翼は古い手口を再び用いている。彼らはいわゆる『普通の国へ』という概念をでっち上げ、『自主防衛』の強化や『戦える国』となることを旗印にして、『新型軍国主義』を推し進めるための機運を醸成している。彼らは侵略の歴史を否定し、歴史教科書を改ざんし、若い世代を洗脳し、毒することをもくろんでいる。彼らは『外的脅威』『存立危機』を最大限誇張し、『非核三原則』の見直しを企て、『平和憲法』から完全に離脱し、敗戦国としての制約から抜け出すことを望んでいる。彼らは対外的に対立をあおり立て、混乱に乗じた利益獲得と機に乗じた拡張実現をもくろんでいる。一言で言えば、日本右翼は、戦後日本の発展を支えてきた平和路線を完全に放棄し、自らの『新型軍国主義』の執念に基づき日本を改造しようとしているのである」と語ります。

そして、「80年余り前、日本国民に約束されたのは『戦争に勝てる』という空手形だったが、手にしたのは塗炭の苦しみであり、破壊し尽くされた焼野原であった。80年余り経った今、日本右翼は執念を変えず、再び国民を『新型軍国主義』の深淵へと引きずり込み、他国にも自国にも惨禍をもたらす過ちを繰り返そうとしている。これに対して、平和を愛する日本国民は強く警戒し続けなければならない。日本の未来は、右翼が描く危険な幻夢の中にはなく、侵略の歴史の徹底的な清算の中にあり、アジア近隣諸国との友好な付き合いの中にあり、地域の平和的発展を断固として守ることの中にあるのだ」と結ばれています。

「新型軍国主義」という言葉に出会うのはこの論評が初めてでしたが、言うまでもなく、日本の軍国主義に対する批判、警戒感は以前から中国の識者、あるいは外交部の会見などで繰り返し語られていたことは忘れてはならないと思います。とりわけ昨年11月の「高市発言」以降、中国の各メディアにおける日本の「外交」「安全保障」「軍事」「社会動静」に関わる警戒感や批判は、「見出し」だけでも全てを挙げる暇がないほど重ねられていることは知っておく必要があります。それらを読みながら、率直に言って、これは「鐘声」が語る「日本右翼」に限られる問題ではなく、現在の日本社会の根深い問題として受け止める必要があると痛感します。

「戦争」を断ち切れない戦後社会 

そこで、6月号で述べた「戦争責任糾明が尽くされていない」という問題の「続編」です。つまり、敗戦によってそれまでの戦争の歴史は「断ち切られた」わけではないという認識の重要性です。ここでは一点だけですが挙げておきます。

本稿の筆を執るにあたって日本における「軍国主義」をどう認識するべきなのか、原初に戻って勉強し直さなければと故井上清氏(京都大学教授)の「日本の軍国主義」を読み返したのをはじめ、敗戦と戦後日本の歩みについてまた少し復習しました。その中で驚くような事実を知ることになりました。

ジャーナリストの保阪正康氏の講演録『軍国主義という病がひそむ国』所収の「新しい戦前にしないために/戦後80年を前に学ぶべき教訓」(2024年8月7日)を読んでいる時のことでした。かつて保阪氏が東条英機夫人のかつ子さんに取材した時のことが語られています。

「途中で電話が鳴り、やり取りが終わって娘さんとかつ子夫人が話をしているんですね。『お母さん、いいわよね、これで』と。総理府(現在の内閣府)からかかってきた軍人恩給に関する電話でした。日本の軍人恩給は物価スライド式で支給額が毎年上がり、かつての役職に応じてもらえました。東条は総理大臣、陸軍大臣、内務大臣、参謀総長、いろんなことをやっていたから恩給は青天井になるんですね。2人が話しているのを聞いていただけですけども、『今年は400万円なんですって。いいわよね』と。このころのサラリーマンの平均年収は140万円ぐらいの時代でした。私は2人の会話を聞いていて、奥さんは半分だそうですから、東条が生きていれば800万円もらえたわけです。こんないいかげんな年金制度で旧軍人がいかに優遇されるかということを含めて日本社会は軍国主義を反省していないんです。恩給制度だけじゃありません。いろんなシステムが温存されているんです」というくだりに驚くだけでなく、こうした「システムが温存されている」という事もまったく知らずに生きてきた己の不明を恥じました。そして、「私たちの国は恩給制度だけではありません。いろんなシステムが旧軍の形を温存しているんです。私はそれを恩給のほかにもいろんな問題で指摘できます。それは本来政治がきちんとやらなければいけないことですが、なぜ政治はやらないのでしょうか。戦争の反省とはそういったシステムにメスを入れることですが、入れていないんです。私たちの国は戦争について反省しているとか、戦争がなぜ起こってどういう形で決着がつくのかに対して、ほとんど現実的な反省はしていないと言っていいですね」という保阪氏の言葉を重くかみしめたのでした。われわれは依然として「戦争の歴史」を「清算」できていないことを思い知るのでした。

戦争の犠牲者を悼む営みとは 

そこで冒頭に書いた沖縄戦慰霊の会場に座る高市氏に対する「違和感」です。登壇した高市首相が「多くの夢や希望を抱きながらも、国を、家族を守ろうと戦って斃れた若者たち、我が子の無事を願いながら息絶えたお父様・お母様。全ての戦没者の皆様の無念と残された御遺族の方々の悲しみを思うとき、本当に胸が締めつけられる思いです」と語る時、人が亡くなったことを悼むことは誰でもできる、しかし、なぜ死ななければならなかったかの根源にさかのぼって省みて死を悼むことは誰にでもできることではないという感慨に襲われたのでした。案の定というべきか「追悼式」の後記者団の取材に高市氏は「沖縄など南西地域の防衛体制整備は『喫緊の課題だ』とした上で、『平和と国民の命を守るため、防衛力をしっかり自主的に強化したい』との考えを示した」(沖縄タイムス6月24日)というのです。南西諸島の「防衛体制」というものが「中国の脅威」を対象としていることは旧知のことですから、要は中国を対象とした軍備増強の決意を語ったというわけです。沖縄戦を真摯に省みる態度などまったく見いだせないと言うべきです。高市氏の「言葉」が空虚に響くゆえんです。

沖縄におけるメディアではかつて「太平洋戦争末期、大本営は『国体護持』、すなわち天皇制維持しか考えておらず、沖縄は本土決戦に備える時間稼ぎの『捨て石』にされた。日本にとって守るべきは沖縄の住民ではなく、天皇制だった」と重く指摘していました(沖縄タイムス2025年5月14日)。さらに言えば、その戦争の淵源は日本軍国主義による中国への侵略が米英帝国主義との角逐へとつながったことにあるという厳しい省察こそがそこになければならないと言うべきです。戦争の犠牲を悼むとは、そうした確たる歴史観に立って、過去に対する真摯な反省を深くすることがなければできない営みだと言うべきです。

何が「新型」でどう向き合うか 

高市政権において進む軍備増強と「戦争のできる国」への変容によって歴史的な岐路に日本が立つことになっていることは、すでに6月号でも触れました。その後も本当に慌ただしいとしか言いようのないくらい急テンポで軍事的増強の動きが進んでいます。この高市内閣の動きは、安倍内閣で始まり岸田内閣でさらに段階を上げた、戦後の安全保障政策、軍事戦略の大きな転換の集大成に入ったと言えるものです。

そこで、中国が、今、なぜ、「新型軍国主義」への危惧を提起しているのか、という問題を直視しなければならないと言えます。言葉を変えれば、何をもって「新型」というのかです。

井上清氏の「日本の軍国主義」でも明解に語られていますが、かつての日本の軍国主義は、遅れてきた日本資本主義が帝国主義段階に達するのと軌を一にして軍部がすべてを握り、政治を軍部の思いのままに動かして、外に向かっては中国・アジアへの侵略、内に向けては国内の治安統制、総力戦体制を形づくっていったものでした。一方、高市内閣の軍事化は、政治主導で軍事を動員し、国内体制も含め経済、社会などあらゆる分野にわたって軍事化を進めるという、今の時代に即した「軍国化」の道だと考えます。加えて、ことごとく「中国の脅威」を理由とした軍備増強の道ということでも、「新型」として注意すべきものとなっていると考えます。つまり、かつて中国への侵略に乗り出した日本の軍国主義は、中国を「遅れた」存在として蔑視する発想を内に根深く孕んでいましたが、現在は、発展著しい、そして世界で存在感を大きく、重くしている中国に対して、「中国の脅威」を挙げて、中国を「敵視」する軍備増強と軍需による産業経済の強化を目指すという、戦後の日本社会の大きな歴史的転換が起きているということです。

ほんの一端とは言え「新型軍国主義」について考察を深めてみると、かつて中国を侵略した、旧来の日本軍国主義とは姿を変えた、新たな軍国主義の危険性として受け止められている理由と論理を、日本のわれわれは真摯に受け止める必要があると痛感します。

中国からの「新型軍国主義」批判にどう向き合うのか、今、歴史的岐路に立つ日本の私たち一人一人が、鋭く、そして厳しく問われているということを深く知っておかなければならないと考えます。

 

木村知義 (きむら ともよし)    

1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース報道番組を担当し、中国アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。   

人民中国インターネット版 

関連文章