日本は時間に拘り過ぎるのか

2018-02-02 17:01:45

文・写真=須賀 努             

中国の高速鉄道の発展には本当に目を見張るものがある。以前は飛行機でなければいけないと思っていた地域間も、今やかなりの確率で高速鉄道が利用できる。この1年だけでも、江蘇省無錫から湖北省恩施(約9時間)、安徽省黄山北から北京南(約6時間)など、かなりの長距離にも挑戦してみた。

恩施 窓口に並ぶ行列は外まで続いた

ただ外国人にとってちょっと不便なのはその切符の購入。パスポートを提示するため、窓口に並ばないと買えないのだが、行列が長いとチケットを予約していても乗り損ねる恐れがある。最近駅ができたばかりだという恩施では、何と窓口に辿り着くまで1時間20分もかかってしまい、大いに困った。勿論一度になんでも便利になるわけではないので、今後の改善に期待したい。 

筆者が初めて中国の鉄道に乗ったのは30年以上前のこと。当時乗車時間が一番長かったのは、上海-昆明66時間と記憶している。34日、最初はワクワクして外を眺めていたが、いつまで経っても荒涼とした大地で景色は同じ。そのうち時間の感覚もなくなり、最後は6時間ぐらい遅れて昆明に着いたと思うが、全く気にならなかった。その後の昆明-成都間など、24時間が短く感じられたほどだ。

    タイののんびりしているローカル線 

期待している時間に到着しないことにイライラするということだろうか。例えばアセアンの先進国タイ。数年前バンコックからラオスのビエンチャンへ行くのに、タイ国境のノンカイまで列車に乗ったことがある。時刻表では12時間で着く予定だったが、結局16時間もかかってしまい憤慨した。だがやはり乗客のタイ人で怒っている人はおらず、タイの鉄道に詳しい人からは「ほぼ毎日あの列車は2-6時間遅れている。4時間遅れならマシな方だよ」と言われ、驚いてしまった。毎日遅れると分かっているなら、なぜ時刻表を改定しないのか。我々の常識では測れない何かがそこにはある。

今や中国は完全にスピードの時代に変化した。列車は定刻に到着して、時間通りに運行されることが多いのだが、先日黄山北駅から乗った高速鉄道では到着が7分遅れていた。だが出発後もその遅れについての説明は何もなく、また途中駅の到着時間についても何も触れず、ついには北京到着が30分以上遅れていたのに、何一つ説明がなかった。ただ乗客は誰一人騒がず、淡々と乗車しているのが少し奇妙に見えた。放送は殆どが自動音声で、車掌の声は聞かれなかった。

一方日本に行ったことがあればお分かりと思うが、東京のJRでも私鉄でも、もし少しでも遅れていれば、「ただ今2分遅れで運転しています。お急ぎのところ、誠に申し訳ありません」とほとんど駅ごとに車掌がアナウンスしている。僅か2-3分の遅れで一々謝罪などしていては、東南なジアの鉄道などどうするんだよ、といつもそれを聞いて、煩いとさえ思うことがある。

では日本ではなぜそこまで時刻に拘るのか。先日ある列車が出発時刻の20秒前に発車してしまい、その会社がHPに謝罪を掲載したので、ちょっとした話題になった。「僅か20秒、時刻表にしてみれば1分以内は誤差だよ」と流石の日本人も多くがそう思っている。

だが現代の日本人はネット検索で列車の乗り継ぎを分刻みで行っている。もし1つの列車に乗りそこなうと、全ての予定が狂ってしまうのである。個人的にはもっと余裕を持って出掛ければよいと思うのだが、そこは忙しい? 日本人のこと、全てがぎりぎりに行動されている。そして仕事で取引先に1分でも遅刻することは許されないのだ。

 また先日は飛騨高山から特急で名古屋に向かったが、やはり7分遅れていた。すると車掌が「東京行きの次の新幹線の指定席を予約しているお客様は、申し訳ありませんが、乗り継ぎに間に合いません。その次の新幹線で席が空いていればお座りいただけます」とアナウンスする。全てがシステマティックに決められている社会、どれかが遅れれば、誰かが被害を受ける訳だ。

だがその時間の制約があまりにきつい日本社会は、一方で膨大なロスを出しているともいえる。時間を守ろうとするあまり、それに固執し、それが目的になってしまっているようにさえ見える。容赦のない社会を作り出し、ある意味自分で自分の首を絞めているようなものだ。ビジネスでも人との関係でも、もっと緩やかで、ゆとりを持っていた方がよいと感じる。

 

 

 

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