アソビの無い社会

2018-06-11 20:17:32

                                 文・写真=須賀 努

  1980年代、大学を出て就職した会社で、当時の上司にすぐに言われたことを今でも鮮明に覚えている。「お前は人と少し違っているから王道を行くな。『会社のアソビ』の部分になれ」。「アソビ」?会社で遊んでいていいのか?? こんなことを突然言われて、何が言いたいのかよく分からなかったが、当時はどう考えても褒められているとは思えなかった。

車のハンドル部分

 

  車を運転する時、ハンドルを切ると、一定の遊びがある。筆者は運転しないので、その遊びについて友人に聞いてみると「一般の車のハンドルは少し操作しただけではすぐタイヤの角度が変わらないようになっており、これがハンドルの『遊び』だ」という。

  なぜ車のハンドルには遊びが必要なのか?と聞くと「遊びがないとちょっとハンドルを切っただけでタイヤが動いてしまい、非常に運転しにくい。また道路の凹凸でタイヤが動き、それがハンドルに伝わってハンドルが常に震えてしまう」と説明してくれた。

ただ「レーシングカーのような高速走行では一瞬で直線的に車を操作するためハンドルの遊びはない」ともいう。「決まった道を最速で走りぬくにはこれが一番だ。但し運転しているその時間は一瞬も気を緩められない緊張の連続となる」と付け加えた。

中国人が日本に来ると「車の運転が実に丁寧だ。中国は道路を歩いていてもいつ車が来るか分からず危険で油断できないが、日本は本当に安全で素晴らしい」などと言ってくれる。これは交通ルール順守の問題ではあるが、ただ中国人ビジネスマンの内心は「運転は丁寧だが、スピード感がない。凸凹もないこんないい道を、どうしてもっと速く走れないのだろうか」と思っているだろうことは、経験上容易に察しが付く。

それはロンドンの地下鉄の駅で、切符を買うのにゆっくりと小切手を切る老紳士の後ろに並んでしまった時や、ハワイのホテルのエレベーターに乗っても誰も「Close」のボタンを押さない習慣などを体験した時、一瞬感じることと似ているかもしれない。

 

車の走っていない福建の高速道路

 

以前中国の高速道路を時速200㎞近いスピードで4時間続けて走ったことがある。勿論殆ど車が走っていない道ではあったが、車酔いというか、その疲労感は半端なかった。猛スピードで疾走し、皆疲れを感じていても、それに抗うことは出来ない状況であった。今の社会もそうかもしれない。

少し前の中国は「一秒でも早く、一秒でも前へ」の高度経済成長社会であり、安全よりスピード重視であった。それはまるでレーシングカーのように直線的に突き進んでいき、そこには遊びなどというものはなかったと思う。そして偶にハンドルを操作して切れずに、ゲームオーバーでリタイアする人々もいただろう。

 

どこまでも真っすぐな広東の高速道路

 

車だけでなく会社や社会にも遊びは必要である。それを「ゆとり」と呼ぶのかもしれない。特に現代中国においては、遊びがないと、自らをうまく前に進めることは出来ないだろう。いや、時には激しく暴走してしまうこともある。日本でも1980年代のバブル期にはその遊びが無くなり、崩壊までまっしぐらに突き進んでしまった。

最近は更にゆとりが無くなり、やはり遊びを失って失速しているようだ。かたや近年、遊び部分なしで疾走してきた中国社会だが、遊びをうまく活用した、これまでより安全な運転にスムーズに移行することは果たして可能だろうか。遊びというのはかなり微妙なものであり、そのバランスのとり方は相当に難しい。

そんなことを思っていると、冒頭紹介した上司の言葉が蘇ってくる。会社でも社会でも、遊びの部分がないとうまく進んでいかない。30年以上前に「アソビ」になれと言われた本人は、果たして会社でその役割が果たせていたのだろうか。一定の潤滑油にはなっていたかもしれないと、勝手に思うようにしている。

 

人民中国インターネット版

 

 

 

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