文・写真=須賀 努
数年前、中国の友人たちが日本を旅するようになり、そして日本好きになっていき、何度も通うようになっていった。やはり百聞は一見に如かず、実際に見た日本は素晴らしかったという声が多く聞かれ、その反響はこちらが面食らってしまう程だった。
どこがそんなに良いのかと聞くと「街にゴミが落ちておらず、きれいだった」「京都や奈良には中国が既に失ってしまった歴史的な文物・文化が数多く残されていて驚いた」など、中国にはない良さが強調されていた。同時に日本政府が宣伝に努める「おもてなし」なる伝統的な優良サービス、例えば「旅館を去る時、従業員全員バスが見えなくなるまで頭を下げて送ってくれた」なども称賛されているが、「日本のコンビニ店員の丁寧なサービスに感動した」など、日本的な日常サービスをたたえるものが多かった。
確かに中国での一般的なホテルやレストランのサービスは決して褒められたものではないから、日本に行って嬉しくなる気持ちもわからないではない。ただ日本のサービスも以前と比べるとかなり低下していると感じている日本人は多いと思われるし、日本に長年暮らしている中国の友人たちからも同じような意見が聞かれる。
筆者が実際に体験した驚いた日本のサービスとして、「とんかつ屋でビールを注文したら、バイトの女の子に『ビールは食後で宜しいでしょうか』と言われたオジサン、可哀そうに目が点になっていて、反論できなかった」というのがあった。日本のおじさんはビール好きであり、食事の前に一杯が基本なのだが、このアルバイト女子の前職は恐らくファミレス。「ドリンクは食後」というマニュアルが頭から離れなかったのかもしれないが、一方で彼女の家に晩酌する男性がいないのだろうか、など、核家族化、母子家庭などの問題を想起した人もいて、この問題の奥の深さを感じた。
またアジア人が日本のコンビニに違和感を持っている例もある。「日本の接客は中国に比べればしっかりしており、丁寧ではあるが、まるで芝居を見ているようだ」と評したインドの知り合いがいた。しかも相手が誰でもあっても全く変化のない、「完璧に決められたセリフをアドリブなしでただただ話すだけ」という棒読みには驚きを感じるともいう。
北京 日系コンビニ
コンビニで働く若者に聞いてみると「マニュアルはあるのかもしれないが、バイトに一々マニュアルを読ませたり、研修したりなどしない」という。それでも入店してすぐに業務ができる理由は「自分もいつもコンビニを利用しているから、どうすればよいかは何となく分かる」というのだ。ただコンビニのバイトには外国人留学生などが徐々に多くなっている。運営側もこのままでは「何となく分かるは通用しなくなる」と危惧しているとの話もあった。
決してマニュアルを暗記して棒読みしている訳ではないが、人まねで業務をこなしているという点には違いはない。前述のとんかつ屋のバイト女子にはその経験がなかったということだろう。この点は中国でも、一流ホテルや高級レストランのスタッフに「いかに実際に良好なサービスを受ける経験を持たせ、良いサービスとは何かを理解させることだ」と10年以上前に世界的なホテルチェーンの支配人から聞いていたが、今はその経験値も積み上がっただろうか。ただ一般の商店などでは、顧客もそれほど期待しないこともあり、丁寧さの向上は限定的だ。
インド 地元のスイーツ屋さんで
先日インドの田舎に行った。買わなければいけない物があり、指定された家族経営の商店に行ったのだが、前の客(ヨーロッパ人)と店員のインド人が実に楽しそうに会話しながら、商品を選んでいた。他の店員に「この商品はないか?」と聞いてみると、「担当は娘だから」と言い、その店員(父親)は相手をしてくれなかった。こんな時、日本人は非常にイライラしてしまうが、他のインド人客は悠然と構え、特にクレームする人もいなかった。
ちょっと興味があり、その父親と会話してみると、「確かに急いでいる人は怒るのかもしれないが、買い物はスピードだけが全てではないだろう。何よりもきちんと説明して、楽しく、有意義にするものだ」と言われて面食らった。そうだ、日本人は(今や中国人も)そのような態度を店員に取られれば、不満に思い、買い物をする前に怒りだしてしまうのだ。
この感覚の違いは、うまく説明できないが、意外と重要ではないかと思われ、本来の良いサービスとは決して手早くすることだけではない。インドに行くと、時々「物事の本質」を考える機会を与えてくれて喜ばしい。