文・写真=須賀 努
「旅って本当は何だろうか?」既に7年半近く、アジアを放浪しているが、時々そんなことをふと思う瞬間がある。元々は「多くの場所を巡り、多くのものを見て、その地域のことを知りたい」、そんな思いから始めた放浪だったが、最近は原点に立ち返って?「旅の定義」などを考え始めて、少々混乱している。
タイ 偶にはバイクに乗って移動する
バンコックで偶々であった日本人女子2人が「私は明日旅してくるから、あなたは旅行してきて」というのを聞いて驚いたことがある。思わず「旅と旅行の違い」を尋ねると、「何となくだけど、旅行は全て日程がアレンジされているもの、旅は何も決めずに歩くこと」だという。
確かに団体旅行は旅とは呼ばないような気がする。個人旅行でも、「台湾3泊4日の旅」となっていても、ガイドブックや検索サイトで、行くべき観光地、レストラン、買い物場所などは、全て事前に決めてから出発し、1つでも多く回ることを目的としている人、日本人や中国人に実に多い気がする。
旅行には家族や友人と楽しく行くもの、と言う面もある。その場合、全員の希望を取りまとめ、出来るだけ希望に沿う形で、計画を練る人がおり、特に日本人の場合は、事前にすべてのスケジュールをおおよそ決めておいて行動する傾向にある。これはある意味で旅というより、移動した場所で買い物をする、宴会をするようなものではないだろうか。
事前にプランを決めてその通りに行動する、「それは旅ではなくて、調べたものを確認しに行く作業だ! 研究者が仮説を立てて、それに基づいて現場に行く行為に似ている」と言った人がいるが、おおむね賛成できる。既にこの人の旅は事前設定の段階で終わっている、と言っては言い過ぎだろうか。
それでも旅行先のサプライズ、ちょっとした出来事に感動したり、いやな思いをしたり、それを味わうのが旅ではないか、との意見もある。日常生活を脱却して、「非日常」に身を置く、という意味で、生きていく活力を得る場、気分転換の場所だ、と言っている人もいる。だからこそ、出来るだけ日頃できないこと、買いたい物を買い、食べたい物を食べ、見たい物を見るために、その計画は重要らしい。
一方、ヨーロッパ人と旅先で出会うと「今日この街で何したらいいと思う?」と聞かれることが何度もあり、「旅はその日の気分と天気で行先を決めるもの」というと、何だか旅慣れた人、という雰囲気が出てくる。実際東京駅の外国人専用コンシェルジェで多いリクエストに「今日どこに行ったらいい?? ここを起点に、日帰りできるおすすめコースを教えて」というものがあり、富士山や鎌倉、横浜などを日帰りする観光バスにひょいと飛び乗る人もいるが、それはだいたいアジア系ではないそうだ。
中国大陸 寝台列車でひたすら前に進む旅
少し前にある旅行作家と中国を旅したことがある。それは雲南から北京まで鉄道に乗る、というものだったが、これまで筆者が経験してきたものとはあまりにも違っており、衝撃を受けた。例えば雲南の大理から夜行列車に乗り、7時間かけて早朝昆明に着く。普通なら昆明に1泊して、観光などするだろうが、そのまま昆明駅で湖南省長沙行きに乗り換え、20時間かけて翌朝長沙に到着した。
ここまで2晩車中泊、当然長沙に泊まると思っていたら、数時間街を歩いただけで午後の列車で湖北省の赤壁まで移動する。ようやくここで宿泊し、シャワーを浴びたのだが、結局あの三国志で有名な赤壁の古戦場に行くこともなく、次に武漢を目指してまた列車に乗り込んだ。
「これじゃあ、一体何のために旅しているのか分らない」、思わず車中で漏らした愚痴に対して、「それが旅ってものじゃないかな」と悠然と旅行作家は言う。「旅とは目的地を目指すもの!そのために如何にそこへたどり着くかが旅であって、到着してから観光するとか、名物を食べるとかは、旅ではないと思うよ」とやんわり言われ、何となく納得してしまう自分がいた。
台湾 夜市でグルメを味わうのは旅か?
「本来旅とは楽しむものではなく、修行なのか?」そんなことすら考えてしまう。「人が旅をする目的は到着ではない。旅をすることそのものが旅」とドイツの詩人、ゲーテが言ったというのを読んだことがある。「人生は旅だ」という話もよく出るが、その旅には果たして目的地はあるのだろうか。色々と考えながら、今日もタイ中部をバスで移動しているが、その答えは見付からない。筆者にとっての旅とは「旅の意味を考える」ことになってきているように思う。