文・写真=須賀 努
昔香港に住んでいる時、週末になると香港島の中環に、ものすごい数のフィリピン人が集まり、楽しそうに仲間とおしゃべりしていたり、食べ物を食べている姿を見て驚いた。2000年代に入ると、銅鑼湾のビクトリアパークがインドネシア人に占拠された。多くが女性だったが、普段は香港の家庭でお手伝いさんなどをしている人々。外国人労働者を初めて意識したのは彼女らを見た時だっただろう。
実は人口の少ない香港には、バングラデッシュやパキスタンなどから働きに来る人々も多くいた。香港島内で引っ越しを依頼した時は、リーダー以外は皆バングラ人だったこともある。こういった人々が、建設工事などいわゆる3K現場で働き、ずっと香港に住み続け、安い賃金で香港の底辺を支えてきた。
香港 工事現場で働くバングラ人
シンガポールも同様に人口が少なく、多国籍の人々が働いている国と言ってよい。公用語だけでも、英語、華語、そしてマレー語やインドのタミル語があり、更には中国各地の方言が飛び交う街だ。ホテルで出会った清掃の女性は、マレーシアからの出稼ぎ者だったが、流ちょうな日本語を話した。何と以前は10年東京で働いていたというのだ。今ではシンガポールの方が給与などの条件が良いのでこちらに来た。実家にも近いし、言葉の問題も少ないので、今後もこちらで働く予定だという。
タイのバンコックの中国料理店へ行くと、普通話が普通に通じる。バンコックの華人は潮州・客家系が主流で、方言しか話さない人が多かったが、店で働いていたのはミャンマー北部から来た華人たち。彼女らは学校で言葉を勉強しているので、コミュニケーションに問題はなく、タイにいてもタイ語を使う必要もない。タイではミャンマーだけでなく、ラオスやカンボジアなど周辺国の出稼ぎ者が、タイ経済を支える原動力とも言われており、一時国に帰る者が続出した際は、政府が留まるように呼びかけすらしていた。
タイ バンコック 中国料理店のミャンマー人ウエートレス
台湾では高山茶の茶摘みをする台湾人はどんどんいなくなり、今や主力はベトナム人になり始めている。また老人の介護は主にインドネシア人女性が担っており、外国人労働者の役割分担も出来ているように見える。自らの足りなり労働力をできるだけ効率的に活用することは重要だと認識させてくれる。
台湾 高山で茶摘みするベトナム女性
日本では最近外国人労働者受け入れに関する話題が多くなっている。以前は外国人労働者と言えば中国人や日系ブラジル人などが思い浮かんだが、今ではベトナムなど東南アジア各国の人々も多く働いており、多国籍化が進んでいる。しかし一般日本人は島国のせいなのか、外国人に慣れていない人が多く、なかなか馴染まない傾向があり、今回の法律改正でも様々な懸念が出ている。
以前も看護師や介護士など特殊業務に従事するフィリピンやインドネシア人を受け入れたことがあるが、4年の間に日本語検定一級に合格しなければ、日本に留まることは出来ないと定めてしまい、殆どの人々が帰国していった。友人がインドネシアのジャカルタ郊外の病院に行くと、流ちょうな日本語で応対してくれる看護師を見かけたが、彼女が日本の病院で4年間働いて帰国したことは明白だった。日本は何ともったいない人の使い方をするのだろうか、と思わず嘆いてしまった。こんなことをしていては、アジアの労働者獲得競争に負けてしまい、将来がとても懸念されている。
一方中国では、これまで外国人労働者を見ることはあまりなかったように思う。やはり圧倒的な労働人口を持つ国、北京や上海の大都市には地方からの出稼ぎ労働者が沢山見られた。15年以上前、中国に工場を出している日本人が「中国には安くて無尽蔵な労働者がいる。この工場は永久に続いていくはずだ」と言っていたのをふと思い出した。
だがその工場は今から数年前、ベトナムへ移転してしまった。理由は従業員が確保できなかったことだったから、無尽蔵な労働者はいなかったことが証明されてしまった。最近は、中国でも労働力不足が言われており、将来外国人労働者の姿が見られるようになるのだろうか。いや、既に筆者が知らないだけで、労働市場は変化しているのかもしれない。