アジアに散った中国料理

2019-02-13 10:40:23

文・写真=須賀 努

マレーシア 海南チキンボールライス

  30年以上前、上海に留学している時、初めて海南チキンライスを食べ、そのうまさに圧倒された。そして本場の海南島へ行けば、もっとうまい海南チキンライスが食べられると夢見て、海南島に行って見たことがある。だがそこにはこの食べ物はなく、愕然とした。発祥の地、本場は海南島ではなくマレーシア(シンガポールも含む)であり、なぜそうなのかを調べると、福建あたりから労働者として渡っていた人々が編み出した食べ物であり、タイではカオマンガイという名前で今も食べられている。それは華僑の歴史に大いに繋がり、大変興味深かった。

マレーシア ドライ肉骨茶

  マレーシアに行けば、今でも肉骨茶とか、福建麺とか、ウマい華人系の料理が沢山あって嬉しい。だが元々は貧しい労働者が知恵を絞って食いつなぐために発明した食べ物であり、素直に喜べない部分もある。ある意味では福建人は僅かな材料から美味いものを作り出す能力に長けているとも言えるのではないだろうか。

福建安渓 沙茶麺

  福建の厦門や安渓には沙茶麺という麺があるが、これはどう見ても、インドネシアのサテーから名付けられた逆輸入の食べ物である。筆者は茶の歴史を特に勉強しているので、肉骨茶や沙茶麺のように「茶」という文字がつくとそれだけで興味を覚えてしまう。しかも現地の発音は「the」という英語のTeaの語源でもある福建語が付いているので益々興味をそそられている。

福建と言えば、香港に福建炒飯という名前の餡かけ海鮮炒飯があるが、福建でこの炒飯を見たことはない。なぜそういう名前が着いたのは不明である。福建の炒飯はむしろ日本の炒飯に似ているものがあり、個人的には福建の炒飯が台湾経由?で日本にあのきつね色のお椀をひっくり返した炒飯は入ってきたのだ。そして刻んだ叉焼を入れて日本風になったのだ、と勝手に思っている。

インドにはチャイナタウンはない、と言われたので、本当にないのか見に行ったこともある。デリーにもムンバイにも華人は住んでいるようだが、チャイナタウンと言われる場所はなく、コルカタだけはあるというので、出掛けてみたら、かなりの家が引っ越しており、人の姿はなかった。

インドの野菜炒め

だがそんなインドでも中国料理店は街で何軒も見ることが出来る。中には日本と中国、韓国などをミックスさせたレストランもあり、どんなものが出来るのか興味津々で訪ねた。野菜炒めがあったので注文すると店員が、「ご飯もいるよね」というではないか。そして出てきたのは、どろどろになった餡かけ野菜炒め?それをご飯にかけて食べるのだ。これはカレーと同じようにしないと食べた気がしない?という、インド人の食習慣からきているのだろうか。

因みにインド北部では、チャウメンという食べ物を路上で売っていたが、これは炒麺の発音から来た焼きそばだった。もう一つ麺と言えば、ハッカヌードルというタンメンがあったが、どこが客家なのか全く分からなかった。インドには昔客家が多く住んでいたのだろうか。何だかとても謎めいている。

インドと言えばカレーを思い出すが、中国料理に無い物は、このカレーとチーズだと思っている。仏教はインドから伝わったのに、カレーは何故伝わらなかったのか、これもアジア食文化の一つの大きなテーマだろう。イギリス植民地だったシンガポールでは、フィッシュヘッドカレーという、魚の頭を入れて煮込んだカレーが有名だが、これは中印の見事な折衷料理ではないだろうか。日本人がタイで好むパッポンカリーも、カレー粉を使って中華鍋で豪快に作るのだから、この類だろう。

豆腐は中国の偉大な発明だと思っており、ミャンマー北部のシャン州などは雲南から伝わった豆腐をペーストにして、麺と混ぜて食べているものがあるが、これは絶品だ。また揚げ豆腐を甘いたれに付けて食べる料理もあり、いくらでも食べられてしまう旨さがある。そういえば、日本も沢山の種類の豆腐があるが、日本で玉子豆腐と呼んでいる物を、なぜ中国人は日本豆腐と呼ぶのだろう。これは日本で改良されたものと認識されているのかもしれない。

中国料理及び食材は、アジア、いや世界に広がり、様々な進歩を遂げている。旅先で食べる美味しい物たち、そのルーツを考えることは旅の一つの醍醐味に違いなく、我々に多くの歴史を教えてくれるに違いない。

 

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