カードをなくした局長

2021-12-31 14:03:51


劉志堅=文

鄒源=イラスト

午前中、局の小会議室で、優秀局員選出の準備を議題とした全体集会が開かれた。

匡局長は「今年は民主を発揚する。原則を堅持し、虚偽を行わず、現実に即してこつこつ努力する優れた同志を選び出す」と言った。

局は今回の選出活動において、さらに特別予算を設け、優秀局員個人に対し、少なくとも1人につき1000元を賞金として与えるとした。じゃあ多い場合は? 局長は言わなかったが、3000~5000元もあり得るだろう。局長は新しく来たばかりで、なかなか腹を割ることもなく、誰もはっきりとは分からなかった。

間もなくお昼休みという時間になって、総務主任がやって来て、午前中の集会の時に、スーパーマーケットの買い物カードを拾った人はいないかと聞いた。それは1枚500元のカードで、匡局長がなくしたものだという。

どうりで集会が終わった時、匡局長が会議室に一度戻ったわけだ。われわれは口をそろえて、拾っていないと言った。主任は「拾っていたとしても問題ない、返してくれれば選出にはまったく影響はない」と言った。最後に主任はこう言った。「拾った人は直接匡局長に届けてくれ。拾い物を隠さないということは、われわれ幹部が優れた心構えを持ち、邪心がないという証明なのだから」

午後、仕事に戻ると、金さんが意味ありげに私に言った。「今日の午後、少し変だと思いませんでした?」

「何が?」 「みんな代わる代わる局長のところに行っていたじゃないですか」 「それがどうかした? 仕事の報告にでも行ったんじゃないの?」 「違いますよ、仕事の報告だったら、2、3分で出て来るはずがないですよ。きっと局長にカードを届けに行ったんですよ」 「そんなにカードがいっぱいあるはずないよ」 「鈍いですねえ、なかったら買いに行けばいいんですよ」

確かに金さんの言う通りだった。その日の午後、匡局長は本当に何枚も買い物カードを受け取り、500元のものもあれば、1000元のものもあった。カードを届けた人はとっくにそろばんをはじいており、500元を贈っても優秀局員に選ばれれば500元もうかると考え、1000元を贈った人は、局長に貸しをつくったのだから無駄ではないと考えていた。

翌日の午前中、局でまた全体集会が開かれた。匡局長は、「昨日私は買い物カードを1枚なくしたと言ったが、みんなとても気遣ってくれて、本当にカードを拾って届けてくれた同志もいた。ここにみんなに感謝の意を表したい。ただ、私のカードは後で自分のカバンの中から見つかったので、みんなが届けてくれたものは私のではないようだ。後でみんなにお返しする」と言った。

局長のこの話に、戦々恐々とする人も、冷や汗をかく人もいた。みんな息をのんで、もし自分がみんなの目の前でそのカードを受け取るような羽目になったら、面目なさすぎると考えた。取りに行かなくても、局長はカードを受け取ったときに名前を書き留めていたから、言い逃れるすべはない。

しかし幸いにも局長はこの時、話題を変えた。「今回の評価文書についてだが、われわれみんな、まだまだしっかり学ばなくてはならない。実際の状況と結び付け、自己を反省し、自律性を高めてほしい」。局長はそう言うと、事務室から文書の袋一山を抱えて来た。その袋には名前がきちんと書かれていて、間もなく、全局員が自分の文書の袋を受け取った。

みんな、普通の文書をこんな袋に入れ、それも局長自ら渡すことを不思議に思った。しかし受け取ってすぐ理解した。多くの人が贈った買い物カードが中に入っていて、気掛かりは解消された。

その文書の袋の中に買い物カードが入っていなかった少数の人が、ほぼ優秀局員として選ばれていた。

 

翻訳にあたって

「评先进」とは、「先進的な労働者の選出」という意味の言葉で、模範的で優れた労働者や幹部を選び、表彰するという活動。全国レベルの「全国先進労働者」の選出活動もあって、中国じゅうで広く行われている活動だ。また、中国語の「会议」「大会」を、ここでは「集会」と訳している。日本語と同じ単語が使われている場合、そのままその言葉を使いがちだが、日本語と中国語では、指す内容にずれがあることが多いので注意が必要だ。「城府」という言葉は書面語で、もともとは「都市と官庁あるいは大きな邸宅」の意味だが、それらが「大きくて奥底が量り知れない」ことから、転じて「底の知れない度量がある」「警戒心を抱いて腹を割らない」などという意味で使われるようになった。 (福井ゆり子)

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