老秦
作者 李娅煋 鄒源=イラスト
初二寒假前的那个冬天,数学老师家中有事,学校临时调来一位老师任课,我们管他叫“老秦”。
“老秦”当时也就比我们这群毛头小子(1)大十来岁。第一节课,他穿着藏青色外套活似弥勒佛笑眯眯的,站在讲台上自我介绍时,我们看着他那收不住的将军肚(2),再向上瞄到那稀少的发量,心里不约而同地发出感叹:“嚯,这年纪!真不容易。”
“老秦”算是老师界的一股清流,不打上课铃绝不进教室,下课铃一响不说一句废话(3)。但有一次例外,那节课还有两分钟结束,“老秦”转过身来,眨眨眼突然神神道道地问:“你们发现了吗?”问得我们一头雾水,一个个两眼放光地盯着他。结果他依旧用那副平日里笑眯眯的样子补了一句:“我是左撇子啊!”但他丝毫不理会我们呆滞的表情(4),抓起粉笔扭头就开始写板书,边写边扬扬自得地念叨:“左撇子很稀有的……”
从那以后,“老秦”在我们心里就两个字,幼稚。
娱乐归娱乐,从跨进教室门的那一刻起,“老秦”课下的那套绝不会带到课上来,但如果我们还没有从“毛猴”的角色中走出来,是要被亲切问候另加一套习题的。不得不说,效果显著。
“老秦”的课堂从不枯燥,他的解题思路每次都令我们大为惊叹,又简便又高效,经常让我们怀疑自己的智商(5):“这么简单为什么会错呢?”那段时间是我们与数学教研组来往最密切的时候,他也不厌其烦地给我们一遍遍推导着公式(6),讲解困惑。“老秦”又燃起了我们被数学折磨得消失殆尽的热情。
对“老秦”来说,答案只是用来核对结果的。某次作业检查出现大规模抄袭(7),“老秦”蹙起眉头。他把教材往桌上一放,开口说:“教材是人编的,答案是人写的,怎么能用答案来固化人的思维(8)呢?条条大路通罗马,答案就一定是对的吗?所有的题目只有答案上一种解答方法吗?这节课讨论作业,没讨论出自己的路子不许下课!”
那节课“老秦”果真没有再多说一个字,但这堂互动率最低的课令我记忆犹新。那之后我的数学成绩一直不错,我记得这个年轻活泼的老师,他为我上了对待学术的第一课。
严肃,认真,永远不拘于框条。
专业,热爱,但不崇拜权威。
他的出现虽已是过去,但他的影响至今依然存在。
老秦
中学2年生の冬休み前のあの冬の日、数学教師の家庭の都合で、学校に臨時の先生が派遣され授業を担当した。私たちは彼のことを「老秦」と呼んだ。
老秦は当時でも私たち青二才より10歳余り年上にすぎなかった。最初の授業で、彼が濃紺の上着を着て弥勒菩薩のような笑みを浮かべ、教壇に立って自己紹介をしたとき、私たちは彼の引っ込めようのない太鼓腹を見、さらには上に視線を送り少なくなった髪を見て、期せずして同じように感嘆した。「まだこの年なのに、やばくね?」
老秦は教師界の「清流」といえ、授業開始のベルが鳴るまでは決して教室に入らず、終わりのベルが鳴るまで無駄話は一切しなかった。しかし一度例外があって、それは授業終了まであと2分というところで、老秦は向きを変え、まばたきをすると突然、「君たち、気が付いていたかい?」と聞いた。突然のことであぜんとした私たちは、みな興味津々と彼を見つめた。すると、彼はいつものにこやかな表情でこう付け加えた。「私は左利きなんだよ」。しかし彼は、私たちのあっけにとられた表情にかまわず、チョークをつかんで向き直って黒板に字を書き始め、書きながら得意げに「左利きはあまりいないんだ」とつぶやいた。
その後老秦は、私たちの心の中で「幼稚」という二文字となった。
娯楽は娯楽として、教室の入り口をくぐったときから、老秦は普段のあの感じを授業に持ち込むことは決してなく、私たちがまだいたずらっ子気分から抜け出せていなかった場合には、練習問題をもう一つ丁重に課されることになった。その効果は絶大だったと言わねばならない。
老秦の授業が退屈だったことはなく、彼の問題の解き方は毎回私たちを大いに驚嘆させ、簡便で効率的であり、「こんなに簡単なのにどうして間違うのか」と、しばしば私たちは自分の知能指数を疑うことになった。あの頃が、私たちと数学教学研究チームとの行き来が最も頻繁であったときで、彼もまた面倒がらずにその都度公式を導き出してみせ、戸惑う私たちに説明してくれた。老秦は、数学にいじめ抜かれ失せかけていた私たちの情熱を、再び燃え上がらせてくれたのだ。
老秦にとって、答案は結果を確認するためのものにすぎなかった。あるとき、宿題で大規模な引き写しが発覚し、老秦は眉をしかめた。彼は教材を教卓に放り投げると、「教材は人が編さんし、答案は人が書くものだ。どうして答案で人の思考を固定化させることができるというのかね。全ての道はローマに通じるというが、答案が一定のものであるのが正しいと思うか? あらゆる問題が答案上で一種類の解答しかないというのか? この授業では宿題について検討する。自分の道を見いだすまで帰らせないぞ!」と言った。
そのときの老秦は本当にそれ以上のことは何も言わなかったが、この言葉がまるで交わされなかった授業は、今も私の記憶に新しい。それから後、私の数学の成績はずっと良く、この若く生き生きとした先生が、私に学問への態度を教えてくれた初めての先生となった。
厳粛に、真剣に、永遠に枠組みにとらわれない。
プロであり、心から夢中になっているが、権威はあがめない。
彼の出現は過去のことではあるが、彼の影響はいまだに存在している。
翻訳にあたって
「老秦」の「老」は中国語で年上の人を呼ぶ際、姓の前につける尊称で、それには敬意と親しみが込められている。理屈からいえば、10歳ほど年上の人ならば、「老秦」と呼ばれるのはおかしくはないだろうが、彼は他の先生に比べるとはるかに若かったはずで、先生がみな「老~」と呼ばれるわけではないだろう。腹が出て、髪が薄くなった中年のような見た目に、生徒たちはからかいと親しみ、そして敬意を込めて「老秦」と呼んだと思われる。「老秦」を日本語にするとき、普通ならば「秦さん」のような訳を当てるが、この文章の場合、まだ若いのに「老」がつくというギャップを感じてほしかったので、中国語をそのまま使った。 (福井ゆり子)