覆轍を踏むことはない 日本の失われた30年と中国の未来
陳言=文
今年の夏、中国は異常な高温で、おそらく何年たっても忘れられないだろう。だが、それ以上に忘れてはいけないのは、今年1158万人の大学卒業生が社会に出るということだ。彼らのうち、半分以上が修士か博士の学位を持っており、就職のニーズは歴史上のどの時期よりも差し迫っている。これらの「熱」のせいで少々息が詰まる感じがするほどだ。
中国経済は消費、貿易、設備投資の各方面で明らかに変化が現れた。以前、人々は銀行に並んで住宅ローンを探し、融資を利用して住宅を買ったが、現在、多くの人々はできるだけ早く住宅ローンを返済して、家庭の経済的負担を軽くしたいと願っている。企業も同じだ。今年になってから民営経済は投資が深刻に不足し、輸出も外部の経済収縮の影響を受け、相当大きく減少している。
一部の日本経済を理解している人々は、日本の30年来の事例を使って、デフレやバランスシート不況について語り始め、少子高齢化の問題においても中日比較を行っている。国外の一部の中国経済を理解している人々は、ピークチャイナについて語り始め、もともと勢力をふるっていた中国脅威論はあっという間に中国崩壊論に変わった。
実際、中日は隣国で、経済発展の過程で比較できる内容はもちろんたくさんある。だが、比較できない部分もまた数多くある。
今年7月に開催された「2023世界人工知能大会」でショーに登場したスマートロボット(vcg)
バブル経済と失われた30年
筆者は深く研究したわけではなく、日本の読者に共感していただけるかは分からないが、日本経済に対する分析を少し述べてみる。
1989年、日本の株式市場は最高値が4万円近くまで上がったが、その後急落し、今年6月になっても89年のレベルに戻ることはできず、日本は主要7カ国(G7)の中で唯一株価を34年前に戻すことができない国になっている。不動産価格の各国の状況はさまざまで、日本は91年に土地不動産価格がピークに達し、その後約30年、東京など一部の都市・地域を除けば、他は今でも同じく91年のレベルには戻っていない。
日本経済に現れた長期的な低迷は、日本メディアの言い方を借りれば「失われた30年」だが、これは、バブル経済の崩壊やバランスシート不況のせいなのだろうか? それとも、少子高齢化の必然的な結果なのだろうか? 筆者の感覚では、失われた30年において、日本では通信技術(IT)の革命が起こらず、日本で誕生したITプラットフォームは日本の外に出られなかった。言い換えれば、日本には、社会に変化をもたらす技術革新が欠けていて、これが日本の経済問題の解決を特に難しくしたということだ。
世界経済史には、「失われた10年」という用語があるが、筆者はこれまで20年あるいは30年の経済の落ち込みを形容する言葉を見たことがなく、「失われた30年」は日本の特殊な状況であると言うべきだろう。金融的手段で促進された株バブルや不動産バブルが崩壊した後は、単に金融面の問題を解決するだけで、経済を回復できるのだろうか? 30年間、日本の大規模な量的緩和の金融政策が経済成長をもたらさなかったのは、日本の技術革新に問題があったからだ。未来を展望すると、技術革新も設備投資もなければ、日本の長期的な不景気の問題は依然として解決が難しいだろう。
技術導入から技術自立へ
中国経済に現れている問題は、発展モデルの変化の後、経済がある段階からある段階へと向上する過程で、一時的に「踊り場」で止まるときに遭遇する特殊な問題であるはずだ。
外部の技術・資本の導入、特に日本の技術および資本が、改革開放後の中国経済の発展を促進した重要な推進力だったことは明らかだ。国際通貨基金(IMF)が発表した関連データによると、昨年の中国の経済規模は18兆1000億㌦、日本は4兆2300億㌦で、中国は日本の4・27倍だった。この30年間、日本が技術革新をおろそかにしたため、日本から技術と資本を導入する道はどんどん狭くなってしまった。
昨年以降、ハイテク分野の中日交流を遮断する経済安保政策によって、日本は先端技術を有償あるいは投資の方法で中国に譲ることができなくなった。加えて米国が「デカップリング」「デリスキング」を理由に全力で中国を抑えつけたため、中国にとって国外からの技術・資本の導入はますます困難になっている。
では、中国は自主開発技術の能力を持つようになったのか? 1949年の新中国成立の際、人口4億人のうち大学卒業生がたった5万人だったのは言うに及ばず、78年に改革開放を実施したときでも、人口9億6300万人のうち、大学に合格した人は1年間で27万人しかいなかった。中国には一貫して技術・経営が分かる人材が欠けている。
今年9月には少なくとも1100万人の若者が大学に入学する。中国の特徴は、大学の理工系の学生の数が文系を大きく上回っていることだ。中国の大学研究員、国有および民間企業の技術者は、論文の数、特許の数において米国を抜きつつあり、一部の分野では世界のトップにある。中国の科学研究と製造能力は密接に関係しており、市場は十分に大きく、資本は絶対的に余裕があり、科学技術の成果を市場の商品に転化することにおいて、中国の力は同様に強大である。
確かに、日本は経済安保を通じて中国の半導体産業の発展を制限できるが、経済安保が全ての分野で全面的に中国の発展を阻害できるわけではない。研究開発能力にしろ工業生産レベルにしろ、未来の数年、数十年において、日本が中国の経済発展の足手まといになる必要はないし、なることもできない。
デカップリング、デリスキング、経済安保などは、ある時期、ある分野では確かに中国の技術や経済の発展を遅らせることができる。だが逆に、これらの政策は、技術や生産の各方面において、中国ができる限り自主を実現するのを加速することにもなっている。
今後30年に自信を持つ中国人
多くの場合、日本が通ってきた道は確かに中国にとって参考になるが、これは中国が必ず日本と同じ道をたどるという意味ではない。筆者は日本で働いた15年間でも、帰国後の20年間でも、中日の最大の違いは未来に対する自信の違いだと感じた。「方法はいつも問題より多い」。このような言い方を筆者は中国の多くの場面でよく聞いてきたが、日本では聞いたことがなかった。
中日の経済データを比較するとき、歴史や社会の角度からも分析を行うべきだろうか? ここでは中国脅威論や中国崩壊論についてコメントする余裕はないが、新たな角度から中国あるいは中日経済を分析すれば、結果は大きく異なるのかもしれない。