観客の思い出を舞台で再現 芝居で連帯感向上を試みる
高原=文・写真
プレイバックシアターは即興演劇の一つだ。観客が司会者に促されて自分の思い出や気持ちを語り、舞台の役者とミュージシャンがポーズ、言葉、音楽、道具などで瞬時にそれを舞台劇として再現(プレイバック)する。
この形式の演劇は中国で約20年前から存在し、北京、上海、広州、南京、西安などに劇団があり、役者の大半が「アマチュア」だ。役者たちは、立場も経歴も異なる人々の間に交流と理解の橋を架けるとともに、自らの人生経験も充実させる。ポスト・コロナ時代、人々の連帯感の向上を促進させるこのような試みに、より深い社会的意義を見いだせる。
共鳴を呼び一つになる演劇
今年の夏のある夜、北京市で活動するプレイバックシアター劇団「信劇団」が同市朝陽区の小劇場で「家と呼ぶ場所」をテーマとする公演を行った。舞台には司会者1人と役者4人、そしてミュージシャンが2人いて、客席には20人余りの観客がいる。プレイバックシアターではこのぐらいの規模が普通だ。
はじめに司会者と役者、ミュージシャンがそれぞれ自己紹介し、自分たちの「家」にまつわる話をする。新型コロナ対策期間中の子どもとのやりとり、実家で上げ膳据え膳の暮らしで北京に戻りたくない話、北京のルームメイトとの間で起きた出来事などだ。これらに触発された観客たちが手を挙げ、舞台の端に順番に上げられる。そして司会者の隣で自分の話をしながら、それを再現する役者の演技を鑑賞する。
団員の鄭康楠さんによると、普通の舞台役者は、役と台本が与えられれば時間のあるときに役作りができるが、「プレイバックシアター」ではその場でストーリーを聞き、それを理解し、その要となる内容を表現しなければならない。「その人がどうしてこの場所でその話をするのか、話者自身も分かっていないかもしれません。話したいという衝動に駆られただけで、私たちはその話の核心を、話者の意識にすら上っていない何かを聞き取る必要さえあります。話に耳を傾ける際には、自分の考えを完全に捨てなければならず、話者がしゃべっていない心の声を私たちが代弁すると、観客は理解されたと感じます」
劇団の運営が軌道に乗ったころ、観客が一つになれるフィールドが形成される。鄭さんはこう説明する。「意識が一つになると、演劇の内容を最初から振り返ったときに、どのストーリーにもつながりがあったと気付くでしょう」。公演時の状況がこの言葉を裏付けている。最初の観客が、身内の年長者の臨終に立ち会えなかった悔しさを語ると、その他の観客の話にも、別れ、死別、郷愁といったテーマが繰り返し出た。観客たちは無意識的に互いに影響し、共鳴し合った。これは新型コロナによって引き離された人々が、人との交流の再開後に求めている連帯感だ。
ヘルスケアの概念が中国の若者たちの間で日に日に浸透し、重視されてきてから、「連帯感」もSNSによく登場する「流行語」となった。しかしこの劇場での連帯感の濃さと強さは、インターネットから得られるものをはるかに超える。司会者の秋風さんはこう言った。「もう一度、人と人が一つになれ、互いの様子が分かり、お互い見て、聞いて、触れた感覚を抱けるようになってほしい」
芝居中の信劇団の団員。左から2人目が鄭康楠さん、3人目が邱玲さん、右から2人目が姚安琪さん。右端にいるのがその日の司会役だった元宝さん
舞台上での助け合い
信劇団は2013年創立の、北京では早くからプレイバックシアターを上演している劇団だ。団員は現在十数人で、ほぼ女性。彼女らは演劇好きで、心理カウンセラーや教育関係者、公益法人で働いている人もいれば、普通の会社員もいて、一緒にリハーサルしたり、公演したりする時間は週末しかない。彼女らの信劇団に入ったきっかけは、観客として鑑賞し、とりこになったのがほとんどだ。
姚安琪さんは劇団の稽古と公演に出るようになって半年で、まだ正式な団員ではない。初めて信劇団の舞台を見たときのことをこう振り返る。「物語が演じられるたびに、司会者が観客に、これはあなたへのプレゼントですと言ったんです。本当に特別なプレゼントだと思い、その言葉に感動しました」
上演中、姚さんにとって最も難しいことは、観客の話を理解し、舞台でほかの団員の動きやセリフに合わせて、自分なりの反応をすることだ。始めたばかりのころ、団員が何を演じているのか理解できなかったとき、彼女は相手と関わることをできるだけ避けた。「何をやっているのか分からなくて、彼女のやりたいことを邪魔したくなかったので、それとは別の演技をしました。しかししばらくして、それが逃げだったと気付きました。それで、何をやっているのかその場で尋ねたんです。観客だって知りたいことだったはずです。どうせ劇団にタブーはありませんから。入ったばかりのころはいつも、こうしていいですか、ああしていいですかと聞いていましたが、彼女らからは、観客のお話をよく演じさえすれば何をしてもよいと言われました。プレイバックシアターは観客のものだけではなく、役者自身のものでもあります。誰でも自己を表現していいんです」
団員の邱玲さんによると、即興演劇には一つの原則があるという。それは「Yes,And (イエス・アンド)」といって、他の団員がどんな演技をしようともまず受け入れ、そこからアイデアを広げていくというものだ。その日の公演で彼女は観客の話に出てきた子犬を演じることになったが、途中でどう演じればいいか分からなくなった。「しかし心配はありませんでした。全員が支え合うチームですから、誰かがつないでくれると思っていたからです。不得意なところは、誰かが代わりにやってくれます」。彼女にとって、これが即興演劇とチームワークの醍醐味だ。
開演前に肩をもみ合う団員と観客
他人の人生の追体験
鄭さんは2013年入団のベテランだ。演劇を学びに米国へ行き、ブロードウェイのミュージカルに出演したこともある。米国で4年間、脚本や芝居を学び、その面白さに触れ、その限界も感じた。帰国後、プレイバックシアターに携わり、舞台劇のさらなる奥深さを体感するとともに、即興演劇にさらに没頭した。彼女は信劇団の団員を、「理想主義的なところがあり、現実の流れにのみ込まれようとせず、芝居でたくさんの人々とつながろうとしている」と評価する。
信劇団の団員は、専門的な演技レッスンを受けたことがないと鄭さんは話す。「舞台上の表現力、魅力、存在感が少ない点も、一部のプロの劇団員に認められない理由です。私たちの演技は自由すぎると思われています。プロがプレイバックシアターを上演する場合、一見素晴らしい演技を見せるでしょうが、その中身が空っぽかもしれません。自分も始めたばかりのころは中身がありませんでした。観客の話を聞いても、うわべしか聞き取れず、心理カウンセラーの仲間の分析を聞いてから、えっ、どうしてそういうことが分からなかったんだろうと思いました。そのころはまだ、自分の人生経験がそこまで深くなく、人や問題の見方が浅かったので、演技もうわべだけにとどまっていたのでしょう」
芝居の経験を積むにつれて、鄭さんはさまざまな人生の物語を聞いた。最も印象に残っているのは、ある女性がわずか数分という時間で語った、離婚後に子どもと元夫が相次いで亡くなったエピソードだ。「その短い時間で、彼女は自分の一生を語り終えました。彼女を演じながら、私は声をあげて泣きました。そのエピソードはとても消化できるものではなく、一人でそこまで抱えきれません。演技中、頭で消化し加工する時間などなく、ただその場で本能の赴くまま、彼女から受け取ったパワーで演じました」
その瞬間、鄭さんは完全に己を捨て、相手の人生の思い出に入った。プレイバックシアターの芝居を続ける理由について鄭さんは、「自分をより深いレベルへいざない、見聞を広め、さまざまな人の人生に触れさせてくれるからです」と語った。
家で団員と一緒に歌と演奏に合わせて練習する姚安琪さん(左)