トナカイ飼いになる道選ぶ故郷を興すエベンキの若者
高原=文 新華社=写真
森でトナカイに豆かすを与えるジュラさん
内蒙古自治区フルンボイル(呼倫貝爾)市の管轄下にある根河市から80㌔余り離れた営林場で、エベンキ(鄂温克)族のジュラ・ブリトーティエンさん(39)は先祖から伝わる獣皮衣をまとい、飼いトナカイを呼んでいる。彼はうなり声を上げると、続けて「アマガ!」(エべンキ語で戻ってこいの意味)と叫び、その長く高らかに響き渡る声が広大な雪林に絶えずこだました。叫ぶたびに彼は立ち止まって静かに耳を傾ける。付近にいるトナカイが呼び声を聞けば、一斉に動き出して、首に掛けられた鈴が鳴り出す。ジュラさんにとってその鈴の音は、大自然が奏でる音楽のように胸を打つ。
中国唯一のトナカイ村
ジュラさんは敖魯古雅(オルグヤ)・エベンキ族のトナカイ飼いで、60頭余りのトナカイを飼育している。普段はトナカイを森に放牧し、自由にエサを食べさせたり運動させたりし、その2、3日後に彼らを探しに来る。そうする理由についてジュラさんは、「トナカイがあまり遠くへ行くと探すのは大変ですし、生態系が回復したいま、森には熊やオオヤマネコ、狼などの猛獣もたくさんいますから、トナカイがそういった肉食動物に襲われていないか時折様子を見なければいけないんです」と話した。ジュラさんの放牧は、オルグヤ・エベンキ族の伝統的なやり方だ。
エベンキ族は主に内蒙古自治区と黒龍江省に住む少数民族で、エベンキは「森に住む人々」という意味だ。オルグヤ・エベンキ族はその一派で、オルグヤ・エベンキ民族郷は中国で唯一トナカイを飼育している村落だ。オルグヤとはエベンキ語で「ポプラが茂る場所」という意味を指す。
紀元前2000年頃、エべンキ族の祖先はバイカル湖とスタノヴォイ山脈付近に暮らしていた。19世紀にエべンキ族の四つの氏族75世帯300人余りは600頭以上のトナカイを引いてアルグン川とシルカ川が合流するアムール川流域を通ってスタノヴォイ山脈の根河市内の激流地域に移り住み、トナカイの飼育と狩猟をして暮らし続けてきた。
トナカイはオルグヤ・エべンキ族の信仰と祭祀において重要な位置を占め、彼らの生産活動における重要なよりどころと収入源でもある。トナカイは「森の船」と呼ばれ、中国では主に大ヒンガン山脈(大興安嶺)西の麓の日当たりが悪い寒冷湿潤の場所に多く住み、原生林のコケを食べている。世界で最も緯度が低い最南端で暮らしているトナカイだ。
トナカイを食べさせるためにトナカイ飼いたちは頻繁に移動しなければならず、その習慣は今も変わっていない。決まった移動ルートには「猟師の野営地」が多数分布しており、移動時の宿代わりにもなる。
森のトナカイはつながれることなく、時には遠くまで餌を食べに行って数日後に戻ることもある。迷っていたり、わなにかかっていたりするトナカイもいるので、トナカイ飼いたちは山や川を越えて探しに行かなければならない。大ヒンガン山脈の原生林の奥地は悪路で、天候の問題もあり、トナカイ探しは容易ではない。だがどれほど過酷な環境であっても、彼らは探しに行くのだ。
テントで干し肉を焼くジュラさん
鈴の音に導かれ帰郷
2003年8月、数百人のオルグヤ・エベンキ族は根河市西の外れにあるオルグヤ・エベンキ民族郷で定住を始めた。山の麓の定住地に建てられた住宅は政府が無償で提供したもので、山中の森林にある「野営地」は残された。政府はさらにキャンピングカー、太陽光発電パネル、トラクターなどを提供し、オルグヤ・エべンキ族がトナカイを率いながら営林場に移り住めるようにし、そのおかげで今では山中でもテレビを見られる。そして政府は観光業の発展にも力を入れており、オルグヤ・エべンキ族の収入増加を手助けしている。
新しい生活様式によってオルグヤ・エべンキ族の若者は選択肢が増えたが、時には戸惑いにも直面した。彼らは自分の考えをさらに深く掘り下げることで、自分に合った選択肢を選ぶことができた。
ジュラさんは子どもの頃から母親についていって山中の森林に住み、トナカイの鈴の音を聞きながら育った。大人になり、北京の病院で医用画像解析技術者として働いていたが、常に故郷のことを気に掛けていた。「(北京の)家のソファーに座りながら、耳元では鈴の音が聞こえていました」。15年に彼はついに自分の心に導かれるまま故郷に帰り、母親からトナカイ飼いの仕事を引き継いだ。
大ヒンガン山脈中腹の山林にあるトナカイの飼育地は一番近い町まで10㌔以上離れている。冬は大雪で山が閉ざされ、積雪の深さは1㍍以上に及び、トナカイが餌を見つけるのが難しいため、ジュラさんは飼料となる豆かすを用意する。彼は毎年11月に山に入り、翌年6月に出る。他の季節は10~15日ごとに山を下り、町まで行って荷物の受け取りと発送を行う。
昨年末、ジュラさんは雪深い森林を毎日8時間懸命に捜索し、9日目となる今年の1月1日にようやく自分のトナカイの群れを見つけた。「最高の新年のプレゼントでした。このプレゼントはまた、今年はいい年になると言っているようでした。毎年、トナカイの飼育や鹿茸(鹿の袋角を原料とした生薬)の販売などで10万元程度稼げるので、家族を養うのは問題ありません」。しかし新型コロナウイルス感染症がまん延した3年間は収入に大きな支障が出たと語る。「早く夏が来てほしいです。夏になれば鹿茸を切り取れるし、根河の観光産業もきっとまた盛んになるはずです」
食事の準備でまきを割るジュラさん。これらの木材は森の倒木や枯れ木を使っている
故郷を守る若者
ジュラさんと似たような経歴を持つグムセンさんも北京で働いた後に故郷に戻った。昨年夏、彼はオルグヤ・エべンキ民族郷で「トナカイ王」大会を企画・開催した。中国のトナカイが近親交配している現状を変えるため、「優秀なトナカイの精子を凍結保存しようと考えています」と語る。
グムセンさんは10年に大学卒業後、北京で数年間働いてから森に戻ってトナカイの飼育を始めた。彼はトナカイの繁殖会社をつくり、現地で専門知識を学ぶ獣医などの若者数人と共に北京の中国農業科学院特殊動物研究所へ人工授精の技術を習得しに行った。「習得すれば、汎北極圏諸国でトナカイの凍結精子の登録を申請し、国境を超えたゲノム編集ができ、トナカイの『家系図』をつくれます」とグムセンさんは自分の事業に自信満々だ。最初は4頭のメスと1頭のオスしかいなかった彼の飼育地には現在、50頭近いトナカイがいる。
11年に開かれた山形国際ドキュメンタリー映画祭で、オルグヤ・エべンキ族の生活を記録した『雨果の休暇』が上映された。まだ13歳の少年雨果が北京や成都などで出稼ぎし、レジ打ちや配達員をして最終的に故郷の森に帰って母親とトナカイを育てるという映画だ。
顧桃監督はこう言った。「雨果はそれまで外の世界を放浪し、都市へ行きたい、外の世界を見てみたいと思っていましたが、誰もが外の世界で自分の価値を見つけられるわけではないことに気付き、森に戻ります。彼はとても真面目ですが、外の世界の目新しいものを森林に持ち帰り、トナカイを育てながら母親の面倒を見て、ティックトックをしたりスノボを楽しんだりもしています」
オルグヤ・エベンキ民族郷が1957年に創設されるまで、現地には136人のトナカイ飼いと400頭余りのトナカイしかいなかった。昨年までに14の「野営地」ができ、トナカイ飼いは340人に増え、トナカイは1200頭余りにまで増えた。現在、世界でトナカイを飼っているのは9カ国の20余りの民族だけだ。オルグヤ・エベンキ族と北欧のサーミ族、ロシアのエヴェンキ族やネネツ族などのトナカイ飼い民族は共に汎北極地域の生態系を守っている。