展覧会の安全を見守り経済の回復を見届ける

2023-08-26 18:05:00

高原=文 王焱=写真

趙思雨さん(30)は北京の大型コンベンションセンターの運営コーディネーターだ。その主な仕事は、展覧会開催前に主催側、運営側、業者らの提出書類をまとめ、現地の公安機関への手続きを済ませ、期間中に公安や消防と共に現場を見回ることだ。コンベンション業界では安全管理者の経験もあり、仮設建築物建設の監督をしていた。そのため、会場の安全管理には人一倍敏感で、見回り中に各部門へ日常業務におけるさまざまな潜在リスクを指摘する。 

コンベンション業界で10年近く働いてきた趙さんは、業界の急成長、新型コロナ期間中の低迷、そして今年の顕著な回復を経験し、この業界が「経済発展の風見鶏」だと実感した。 

コロナから立ち直る 

8月の大型展覧会を控えた1カ月余り前から、趙さんは主催側に許可の申請書類の一覧を提出して準備させた。大型展覧会の開催に対する現地の公安機関や城管(都市管理機関)の要請を、主催側に一刻も早く形にしてもらう必要があると趙さんは言う。過去3年間は、新型コロナウイルス感染症が原因で、趙さんのコンベンションセンターで開催した展覧会は、2021年でたった20余り、20年と22年に至っては1桁しか開催しておらず、規模も制限され、質も低下した。「今年から徐々に回復してきました」と趙さん。「新型コロナ前は毎年2、3回、アニメ・コスプレイベントがありましたが、今年は3、4回あります。5月のイベントでは、朝9時から来場者が地下鉄駅からコンベンションセンター入り口まで列をなして壮観でした」 

アニメ・コスプレイベントが人々の元気と消費熱を反映しているのなら、展覧会は経済情勢全体の変化を表している。「コンベンション業界は経済情勢に大きく左右され、景気が良いときはみんなの出展意欲が高く、現場で大口契約を結ぼうと期待しています。不景気だと、みんなが支出を抑えようとして積極性も下がります。コンベンション業界を後押しする北京市政府の力はいまなお大きいです。今年、私たちのコンベンションセンターが請け負った大型展覧会は、3月に二つ、4月に三つ、5月からは毎週最低一つあり、通年で40回に達する見込みです。私たちの会場は面積がとても広いので、開催されるのはいずれも大型展覧会で、この数に達するのはたいしたものです」。展覧会のノベルティーで、業界の状況をうかがい知れるとも語る。「景気が良いときはノベルティーが凝っています。全世界対応コンセント変換プラグなどは、どれだけ安くても数十元するはずです。それにモバイルバッテリーなども。しかし不景気になったらただのノートになりました。今年はどうかチェックしてみるのもいいでしょう」 

商務部の統計データと趙さんの「コンベンション業界の回復」の直感は一致する。統計によると、今年、中国大陸部の展示館で開催された展覧会は前年同期比3・3倍増の134回で、2019年同期比83・8%にまで回復し、展覧会の総面積は同期比5・8倍増となり、2019年同期比93・8%にまで回復した。そのうち、1万平方㍍以上の大型展覧会は44・8%を占める60回開かれ、同期比4・5倍に増え、2019年同期比90・9%にまで回復した。デジタル経済、新エネルギー車、トータルヘルスケアなどをテーマとする展覧会の再開がとりわけ早く、北京、上海、遼寧、広州、深圳しんせんなどの省や直轄市・大都市の回復が比較的早い。 

展覧会と共にあった10年 

趙さんは2015年に大学を卒業後、北京国家会議センター、杭州国際博覧センター、北京展覧館などで働いた。15~18年で、現場の安全管理者から安全管理責任者、運営コーディネーターとなり、コンベンション業界が急成長を遂げた3年間を見届けた。北京国家会議センターで働いていたときは、手掛けた会議や展覧会が大小合わせて毎年400~500回あったと振り返る。「1年365日、イベントがない日はなかったです。一番遅かったのは大晦日に企業がやったイベントで、閉会して撤収したら全員家に帰って年を越しました。特に思い出に残っています」 

当時は展覧会の勉強や交流をするために上海や広州などへよく行っていた。「上海の展覧会で特に印象深かったのが、17年に行った会場にコンビニがあったことです。当時、私たちの展示館には飲み物や軽食を売る飲食部門があったのですが、上海のそこにはコンビニが常設されていて、しかも市場価格で販売していたんです。他の設備も充実していて、宿泊施設も飲食も印刷も、サービスは全てそろっていました。初めて参加したという運営会社は、指定の業者がいなくて、展覧会の業者チームから選ぶことが可能でした。その点は私たちも学ばなければいけないと思いました」 

コンベンション業界で働いた最初の数年間はずっと安全管理の仕事に就いていたため、安全に関する問題には敏感なままだ。「安全対策とは誰かが責任を負って誰かがやるものだと多くの人は考えていますが、実はそうではありません。全員が安全対策に参加しなければいけないのです。安全管理部門は各部門の安全対策を点検し、注意を出しているだけにすぎません」 

会場内に仮設展示ブースを造るという展覧会で、主催側からそれらの展示ブースの設計図をもらい、じっくりと目を通した。「木製のもあれば鉄骨構造のもあり、トラスの長さやスパンがいくらか、最大使用荷重、構造強度はどうか、これらを全て把握しないと改善書に落とし込めません。専門性が求められる仕事です」そう言ったときの趙さんの顔は誇らしげだった。 

専門科目から最適な仕事へ 

趙さんは大学時代に経済工学部で安全技術・管理を専攻していた。これは父親から大きな影響を受けている。「父は排水システムの技術者で、炭鉱の付属工場で働いていましたが、それから製紙工場、とうもろこし加工場で働いていました。子どもの頃はとうもろこし加工場の家族寮で育ったので、とうもろこしペーストの匂いが強く印象に残っています。男ですから、小さい頃は父と一緒に遊ぶのが好きでしたし、仕事中もそばで見ながらレンチを手渡したりしていました。こうして強く影響を受けたので、建設機械の類が大好きなんです」 

「大学入試で点数が本科に行けるギリギリでしたが、無理に4年制大学に通うよりも自分の好きな専門科目を学ぶことにしました。父からアドバイスをもらい、安全関係の専攻を選ぶことにしました。自分が好きなことだったら、着実に技術を学べます」 

安全技術という専門性を身に付けたいま、趙さんはコンベンション業界にしっかり根を下ろし、安定した仕事に就き、確実な昇進コースも用意され、満足している。今は妻と北京の中心部に住んでおり、毎朝6時頃に出勤し、通勤に往復3時間かかり、設営準備が完了しないと一緒に深夜まで残業することもある。大変な仕事だが、大好きだと語る。 

すっかり職業病にかかったと冗談さえ飛ばす。趙さんは妻と映画を見に行くたびに、場内をぐるりと見渡すのだという。妻から「何か探しているの?」と聞かれた趙さんはこう答えた。「いや、避難階段や非常口がどこにあるのか探していたんだ。万が一のとき、君を連れてどこに逃げればいいか分かるからね」。安全意識は趙さんの身にしっかり染み付いている。 


自動運転技術展覧会で、出展者に屋外展示の注意事項を説明する趙さん

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