男子平泳ぎに新王者 猛練習で一足世界新
本誌総合報道チーム=文
世界水泳選手権2023福岡大会で、無名の海洋選手(24)は競泳男子200㍍平泳ぎの決勝で2分05秒48という世界新記録を達成し、優勝した。そして競泳史上初めて同一の世界選手権で男子平泳ぎ50、100、200㍍の3冠を達成した選手となり、「世界の新たな平泳ぎ王」の称号も手にした。
福岡での世界選手権前まで、覃選手の最も誇れる成績は、中国全国運動会の男子200㍍平泳ぎ2大会連続優勝であり、国際大会での成績はさえなかった。それもあり、福岡での鮮烈なデビューに多くの欧米諸国のメディアからドーピング違反の疑いをかけられた。しかし覃選手と中国男子平泳ぎに詳しい人なら、この日が来たのは偶然でもなければ、ましてやドーピングによる不正などでも決してないことが分かる。この裏には、中国男子平泳ぎ全体の大幅なレベルアップがあった。
自己変革で低迷期脱出
覃選手は1999年に湖南省の常徳市で生まれた。5歳から水泳を習い始め、9歳で両親に上海での訓練に送られた。幼かったため、専門的なトレーニングに慣れず、チームから抜けたり入ったりを繰り返したが最終的にはやり遂げた。そのとき教わっていたのが、有名な水泳コーチの葉瑾さんだ。彼女はかつて、男子100㍍自由形でアジア人で初めて世界の頂点に輝いた寧沢濤選手を育てたこともある。彼女は覃選手の潜在能力を見抜き、歩くのもしゃべるのもゆっくりな様子と「龍」を思わせる水中での姿に大きなギャップがあると評価した。「あの子はコツコツと練習し、何があってもへこたれず、のんびり屋に見えるが揺るぎない意志を持っていて、外野の声に影響を受けないなど、見どころがたくさんあった」と彼女は語る。面白いことに、いまでこそ平泳ぎは得意種目の覃選手だが、水泳を始めたばかりのときは苦手だった。「平泳ぎがうまく泳げなかったので、もっと練習したんです」と説明する。
2017年、18歳の覃選手は徐々に頭角を現し始め、中国全国運動会の男子200㍍平泳ぎで優勝し、中国新記録を樹立した。そのとき彼は、「中国男子平泳ぎを新たなステージに連れていく」という野望を打ち立てた。しかしその後、彼の水泳人生は低迷期に突入する。17年から20年にかけて記録に特に大きな進展はなく、大会で惨敗を喫することもしばしばあった。「ずっと真面目にトレーニングしていたのに、何も成長しなかった」と当時を振り返る。
しばらく途方に暮れ、自分を疑ってから、覃選手は自己変革を求めるようになった。22年、「バタフライの女王」と呼ばれる張雨霏選手を育てたコーチの崔登栄さんに師事し、技術面で新たなトレーニング方法を模索した。「これまでは、飛び込み前のコアストレングストレーニング、小筋群(腕、肩、ふくらはぎなど)のコントロール、大筋群(大胸筋、広背筋など)の鍛え方など、そこまで細かくやってきませんでした。昔はあまり知らなかったですが、いまではどれも個別に鍛えています」。当時の冬季トレーニングでは、自身の基礎能力の向上に重点を置き、体を一回り大きくし、体重を5㌔増やし、バーベルスクワットで200㌔挙げられるようになった。また崔さんにアーティスティックスイミングのコーチを呼んでもらい、そのトレーニングがコアストレングスを高めることになった。
この1年間のトレーニングは目覚ましい効果を上げ、今年に入り、覃選手は脅威の活躍を見せた。全国春季水泳選手権大会では、男子平泳ぎの50、100、200㍍で3冠に輝き、男子50㍍平泳ぎのアジア新記録を樹立した。そのすぐあとの全国水泳トーナメントでは再び、男子平泳ぎの100と200㍍で優勝し、男子100㍍平泳ぎのアジア記録を塗り替えた。
衝撃の世界デビュー
福岡大会が来ると、覃選手は勝つことが自分の目標だと断言した。「負けすぎたから、これ以上負けたくない。ここに来たのは、他の誰にも負けたくないからだ」。彼にとって4度目の世界選手権大会だった。昨年のブダペストで行われた世界水泳選手権大会で、男子200㍍平泳ぎと男子200㍍個人メドレーではともに1回戦負けを喫した。大会後、胸に多くのことが去来し、内面が成熟した。「今まで仕事をするような気持ちで水泳に臨んでいましたが、子どもの頃の気持ちに返って水泳を楽しみ、過程を大事にしています」
男子100㍍平泳ぎでアジア記録を塗り替える成績で優勝した覃選手は、その2日後の男子50㍍平泳ぎでも1位となった。続く男子200㍍平泳ぎは得意種目ではなかったものの、抜群のコンディションで前世界記録保持者のスタブルティクック選手(オーストラリア)を抑え、優勝に輝き、世界記録を0秒47縮めた。爆発力が必要な50㍍とスタミナが試される200㍍の両立は容易なことではない。3タイトルを独占した覃選手は喜びに浸った。試合後、コースロープに腕をかけて、感情を吐き出すように叫んだ。
アジアにおいて、男子平泳ぎはずっと日本人選手の得意分野だった。特に北島康介さんは2008年北京オリンピックと12年ロンドンオリンピックの男子平泳ぎ100㍍と200㍍で金メダルを獲得し、世界記録を何度も塗り替えた。彼の引退後、日本水泳には小関、渡辺一平選手ら花形選手が現れ、18年にインドネシアのジャカルタで行われたアジア競技大会で、小関、渡辺両選手は男子200㍍で金銀メダルを獲得し、覃選手は2人の日本人選手にあと一歩というところで銅メダルだった。そのときから、日本人選手に勝つことが覃選手の野望となった。今年の福岡大会で、北島さんから賞を授与されたことは覃選手にとって大きな意味を持っている。「北島さんはアジアの平泳ぎを代表した人物で、小さい頃に彼の試合映像を見たことがあります」。現在、覃選手は同一の世界選手権の男子平泳ぎ3種目で優勝するという北島選手もできなかった快挙を成し遂げた。そして彼の背後には、中国男子平泳ぎ種目全体のレベルの向上がある。
福岡大会の男子平泳ぎの各種目で、中国チームは2人ずつ決勝戦に進出した。50㍍では覃選手が金メダル、孫佳俊選手が銅メダルを、100㍍では覃選手が金メダル、閻子貝選手が6位に、200㍍では覃選手が金メダル、18歳の董志豪選手がジュニア世界記録を更新して4位になった。そして今年の杭州アジア競技大会は、覃選手と中国男子平泳ぎ選手が自身の成長を示す舞台となった。覃選手と中国男子平泳ぎ選手が自身の成長を示す舞台となるのは想像に難くない。
覃選手は身近な2人のチームメイトに特に感謝している。「彼らとのがなければ、今日の成績はありません。全国春季水泳選手権大会以降、試合の映像を何度も見返して、閻子貝や孫佳俊選手たちのスタートやターンを細かいところまで研究しました」
今後、覃選手が追い越す目標は、英国の平泳ぎの天才アダム・ピーティー選手ただ一人だ。健康上の理由で今年の福岡大会を欠場したが、現在の男子平泳ぎ短距離で最強の選手だ。今年の福岡大会で覃選手の100㍍の優勝タイムは57秒69だったが、歴代第15位の成績にすぎず、1~14位までの記録はいずれもピーティー選手のものだ。50㍍も同様で、覃選手の26秒20というタイムは歴代第7位で、1~6位までの記録はいずれもピーティー選手のもの。それもあって、覃選手はピーティー選手との真っ向勝負にこれ以上ない期待を寄せている。「金メダルは獲得したらもう過去のものです。飾ることしかできず、身につけて重荷にすることはできません。一試合ごとに全く新しい挑戦だと思っています。外国人は私の『』(中国語読み)という名字を発音できず、『キング』という発音で呼びますが、今回成績が良かったこととは単なる偶然の一致です。『世界の平泳ぎの王』と呼ばれるのにはまだ早すぎます。オリンピックが私の究極の目標です」。彼は自信に満ちた表情で答えた。「全て順調にいけば、男子平泳ぎの50㍍と100㍍の世界記録を必ず塗り替えてみせます」。その日が来るのは来年のパリオリンピックかもしれない。
試合中の覃選手(vcg)