周総理 日本留学時の住まいが「里帰り」 ―東京・中野で模型レプリカ贈呈式

2018-09-18 16:24:11

 

 

9月9日、東京・中野の創価学会中野文化会館は、人々の喜びで満ちあふれていた。

「中日平和友好条約」締結40周年と、池田大作氏の「日中国交正常化提言」発表50周年を記念し、日本の創価学会は中華日本学会と共に、この日、同会館で「周恩来総理の日本留学時の住まい―東京中野華洲園模型」のレプリカの贈呈式を行った。

同式典には、中華日本学会や中国社会科学院日本研究所、天津社会科学院、さらに北京大学や復旦大学、華東師範大学、河北大学、遼寧大学、東北師範大学、広東外語外貿大学など、中国の主要な日本研究機関や大学の責任者と、創価学会の東京・中野総区の代表ら計300人余りが出席した。

また、両国を代表して、創価学会の寺崎広嗣副会長、長岡良幸渉外局局長、同会東京・中野総区の石橋正至総区長、中国の全国政治協商会議委員で中華日本学会常務副会長の高洪氏があいさつに立った。

続いて、レプリカを覆った幕がゆっくりめくられると、会場の感動は最高潮に達した。多くの来賓がレプリカを取り囲み、記念写真を撮った。車椅子に乗ったお年寄りは、レプリカを見つめながら涙を流していた。

今から約100年前の1917年の秋、19歳の周恩来は天津の南開中学を卒業し、日本に留学する。東京に到着後、中野の華洲園と呼ばれる地域のある農家で暮らし始める。当時の華洲園は、騒々しい都心からも遠く、何軒かの家があるだけで、周囲は花と緑に囲まれ、道の両側には桜並木があったという。1972年の中日国交正常化の調印式で、周総理は「中野は大きく変わっただろう。私は若いとき、そこに住んでいた」と日本の記者に語ったことがある。

1992年5月、中日国交正常化20周年を記念するとともに、中日友好事業に尽くした先人たちをしのぶため、創価学会の東京・中野区青年部の関係者たちが一つの取材を始めた。彼らは、史料や現地の調査から、現在の創価学会中野文化会館(東中野5丁目)一帯が当時の「華洲園」であり、そこにあった民家に多くの留学生が暮らしていたことを突き止めた。

時は流れ、「華洲園」の周辺は大きく変わった。しかし創価学会では、先人への敬意を持ちながら数々の困難を乗り越え、調査に力を注いだ結果、ついに「華洲園」が周恩来の日本留学時の住まいがあったところだと確認した。さらに、史料に基づいて「周恩来総理の日本留学時の住まい―東京中野華洲園模型」を丹精込めて作り上げ、彼の中野での生活の足跡を再現した。

創価学会の代表は1995年、天津市を訪れ、彼らが製作した「周恩来総理の日本留学時の住まい―東京中野華洲園模型」を、同市内にある「周恩来氏の青年時代の天津革命活動記念館」(元南開中学記念館)に寄贈した。

中華日本学会の日本研究刊行物代表団が昨年、日本を訪問した際、創価学会の代表はこのエピソードを披露した。寄贈からもう20年。果たしてあの模型は、まだあそこにあるだろうか。「中日平和友好条約」締結40周年にあたる今年、この貴重な歴史的記憶を取り戻すため、中華日本学会は模型の行方の確認を天津社会科学院に頼んだ。

何度も探し回ったが、模型は「周恩来氏の青年時代の天津革命活動記念館」から見つからなかった。模型はどこに行ったのだろう。もしかしたら、天津の「周恩来・鄧穎超記念館」にあるのではと思って探しみたが、やはり館内の陳列品にもなかった。それでも天津社会科学院は諦めなかった。「努力は人を裏切らない」――たくさんの関係者の協力を得て、ついに模型は見つかった! 「周恩来・鄧穎超記念館」の文化保護部門にあったのだ。何度も話し合った末、天津社会科学院は同記念館の文化保護部門の協力を得て、3Dプリンター技術で「華洲園」模型の原寸大のレプリカを作成した。

レプリカの贈呈式では、20年以上前に周恩来の住まいを探し出し、模型を作り上げた青年たちにも、髪の毛に白いものが混じる人も少なくなかった。彼らは当時のことを思い出し、感動の涙を禁じえなかった。この中には、青島からわざわざ駆けつけた模型製作者の一人、近田善嗣さんと、模型を天津まで持って行った川崎一彦さんがいた。また、もう一人の模型製作者である押木千代乃さんも、車椅子でやって来た。彼女は何とか立ち上がり、模型を囲んで中国側の代表と記念写真を撮ろうとしていた。この中日友好を象徴する模型の前は、記念写真を撮ろうとする人であふれていた。

また贈呈式では、創価学会の寺崎広嗣副会長から、中日友好協会の元部長で北京大学日本研究センター顧問の賈蕙萱(かけいけん)女史に「創価学会栄誉賞」が授与された。

中日関係が大きな回復を見せるこの時期に、中華日本学会と天津社会科学院の北東アジア研究所と日本研究所が、創価学会の東京・中野総区に周恩来総理の日本留学時ゆかりの品を贈ったことは、中日の平和友好と周恩来総理の両国の関係発展に向けて果たした多大な貢献を記念するとともに、両国民の友好交流が代々引き継がれて行くことへの願いが込められている。

 

記念写真に納まる当時の模型製作者とレプリカ製作者の代表たち。 

 

周総理が留学時代に過ごした住まいの模型レプリカ

 

人民中国インターネット版 2018年8月18日

 

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