建築家·青山周平 デザインを通して見る・知る・感じる中国

2023-05-18 11:30:00

王衆一=聞き手 袁舒=構成

青山周平 プロフィール

1980年広島県生まれ、大阪大学、東京大学で建築を学んだ後、2005年より中国で事業を展開。14年、「B.L.U.E.建築デザイン事務所」を立ち上げ、翌年、テレビ番組『夢想改造家』(中国版『大改造!!劇的ビフォーアフター』)に初の外国人建築家として出演。北京を拠点に、中国各地の建築、インテリアデザインを手掛けている。 

北京で18年間にわたり建築デザインの仕事に携わる建築家の青山周平さん。異文化に対する客観的かつ冷静で敏感な観察眼を持ち、中国を深く掘り下げて理解していく姿勢で、中国の町、人、生活からインスピレーションをもらい、建築を通して現地の町づくりとライフスタイルの構築に寄与してきた。地方にも分け入って中国を観察してきた彼の目に映る中国像とはどんなものなのか、国境を越えたクリエーターの読み取る新時代のニーズとは何なのか、青山さんに話を聞いた。 


北京市朝陽区にあるB.L.U.E.建築デザイン事務所で、王衆一総編集長と胡同生活の心温まるエピソードについて語り合う青山周平さん(右)。事務所の壁やサイドボードには、同事務所がこれまで設計した建築の模型や材料が並べられている(写真・袁舒/人民中国)

――2008年を境に、中国の社会は目まぐるしく大きな変化を遂げましたね。05年に中国へ来て仕事、生活をする決意をしたきっかけは何ですか。中国のどこに魅力を感じたのでしょうか。また、それ以来中国社会の変化を目にしながら18年間この地で暮らしてきたわけですが、中国の変貌についてどんな印象を持たれましたか。町、人との出会いで記憶に残るエピソードをいくつか教えてください。 

青山周平 当時、北京ではオリンピック関連の建築プロジェクトが数多くありました。日本の雑誌でも中国の現代建築特集など取り上げられることが多くなり、中国で面白いことが起こりつつあるという印象はありました。僕も実際に見てみたいと思い、修士課程を修了して北京の建築会社で半年間実習した後、ここに残る決心をしました。 

北京の町の変化としては、雑然とした場所がなくなりつつある気がします。僕は雑然とした場所が好きで、それが原因で長い間胡同に住んでいたのですが、胡同の良さは設計者が設計したものでも都市管理する人が管理しているものでもなく、そこに生活している人が自分で作り上げている街の空間というところにあると思います。雑然だが自由であり、そこで生活している人のロジックが見えてくることが胡同の魅力ですね。しかし今は都市が近代化するにつれてそのような場所が減っています。 

人の変化でいうと、僕が来たばかりのときは、周りの人はほとんど日本に行ったことがなかったのですが、今では僕よりも日本に詳しい人がたくさんいますね。僕が行ったことのないような日本の地方に行ってたりもします。 

建築をやっていて一番面白いのは、プロジェクトをやることによって今の社会の変化を肌で感じられることだと思います。05年の頃は数十万平方の高層住宅や商業施設の開発プロジェクトが多かったんですが、今は北京や上海などの大都市のプロジェクトはもうあまりありません。逆に地方や田舎のプロジェクトが増えていて、プロジェクトの場所や規模が時代によって変わっていくこと自体、まさに中国の経済や社会の変化でもあると思います。 

――確かに雑然とした北京の古い路地や建物は人々に温もりを与える存在でもあったと思います。青山さんは胡同で10年間生活していたと伺いましたが、当時印象深かったエピソードやそこから得られた仕事に関するインスピレーションがあれば教えてください。 

青山 まず一般市民の私的空間と公的空間に対する考え方がとても面白いと思いました。胡同ではみんな十数平方とか30平方とかの小さな家に住んでいますが、彼らの実際の生活の場所は家の中だけでなく、庭や胡同の路地にまであふれ出ている状態でした。以前、僕の隣人は一日中ほとんど家の中にいなく、朝から外で歯を磨いて、外で携帯電話をいじって、ご飯も外で食べていて、家に戻る時間の方が少ない状態でした。そこでは家の中と外の境界がとても曖昧になっていました。 

よく言うのは「房子」(うち)と「家」(いえ)の違いですが、房子は目に見える、床や壁のある物理的な空間ですが、家は頭の中にある目に見えないライフスタイルみたいなものだと思います。だから房子は十数平方しかなくても、家や暮らしは庭や胡同まで延長された200平方、300平方ぐらいの範囲にあるんです。 

高層マンションだと房子と家の範囲がほぼ同じなので、例えば廊下にごみが落ちていても、誰も掃除はしない。みんなそこは自分の家ではなく、他人が管理するものだと考えているからでしょう。でも胡同では、僕の庭を隣人が一緒に掃除してくれたし、雨が降ってきたら、僕の洗濯物まで隣のおばちゃんが取り入れて畳んでくれました。近所の子どもも時々僕の家に入ってきて遊んでいきました。そのライフスタイルは今の若者たちの暮らしとすごく似ていると思いました。大都市では大きい住宅を買えないから、自分の房子は小さいけど、他の人とシェアして一緒に暮らすことによって家を大きくすることができるのです。 

僕は新しいものが好きなので、胡同に住んでいたのも、そこが古いからではなく、常に未来の暮らしが見えてくることに引かれたからです。胡同というライフスタイルは近代的な理念にも翻訳できて、新しいインスピレーションがいっぱい転がっているんですね。 

そして胡同では人間と自然が平等に共存している感覚が鮮明です。例えば胡同の屋根のデザインは絶妙で、夏は太陽が高いから強い日差しは屋根に遮られて部屋に入ってきませんが、冬は太陽が低いので光が家の奥まで入って部屋を暖かくしてくれます。胡同では自然のリズムと建物の形が呼応し合っているんです。こうした胡同が秘めている昔ながらの知恵はすごく面白いし、僕も積極的にプロジェクトの中に取り入れています。 


「400ボックス」のボックスの外側は本棚や収納、テレビキャビネットなどの家具の役割を果たし、食事は公共スペースに設けられたダイニングエリアで取ることができる(写真・本人提供)

――青山さんが現在実践している、生活空間を共有し、人々が助け合い、自然と友好的に付き合っていくというプロジェクトのコンセプトは中国以外でも示唆的な意味を持つと思われますか。これは東洋に共通する考え方ですが、人類の発展の方向性にも寄与していると言えるでしょうか。 

青山 人と自然の関係は世界的なトレンドで、東洋的な自然観は世界的に普遍的価値があると思います。西洋では人がいかに理性を使って自然をコントロールしていくかを重視しますが、東洋ではもっと人と自然が一体的で協働的です。例えば、北京の頤和園とパリのベルサイユ宮殿を比較すると、どちらも首都の近郊にある貴族がかつて暮らした場所ですが、ベルサイユ宮殿は軸線が整っていて、人の理性を強調して造られています。でも頤和園は自然の要素が強く、山や水、自然の形に合わせながら建物と人が存在しています。人と自然が平等に存在するという考え方はやはり東洋的で、特に中国古代建築に多く見られますが、環境問題や自然と人間がいかに共存すべきかが大きなテーマとなる今の時代、多くの国でそうした考えが生まれています。空調や断熱材などの新しい技術によって自然を征服するより、人と自然の共存が未来の建築の形なのではないかと思います。 

――北京を代表とする北方都市と南部の町は気候も文化的雰囲気も大きく異なると思いますが、プロジェクトを展開するに当たってそれぞれの町の歴史、文化、生活哲学の異同をどう読み取っているのでしょうか。 

青山 僕が最近やっているプロジェクトは田舎の村や地方の小さな町が多いです。だから、中国人が普段行かないような所にも行っていて、プロジェクトを進めるためにその場所をしっかり観察しています。例えば、最近行った山西省の五台山は土が多くて黄色い印象でしたが、蘇州は水がたくさん流れていて、海南は島の風情たっぷり。中国は日本よりも気候の差も文化の差も激しいので、各地の町の雰囲気や温度、日差しやそこに植わる植物を感じながらプロジェクトを進めると、全部僕が設計しているのに、場所によって全然違う建物が出来上がり、とても面白いです。 

そして福建省の泉州は僕にとって大事なプロジェクトのある場所で、そこでは若者たちの新しいシェアハウスのような「400ボックス」というプロジェクトをやりました。具体的に言うと、動く箱を使ったデザインで、個人の住む空間はベッドが入った6平方の箱ですが、箱の外は公的空間で、共用のキッチンやリビングがあります。これも「房子」は小さいけど、一緒に暮らすことで「家」は大きくなるという胡同から得られたコンセプトです。 

福建省はもともと宗教や家族のつながりの文化がとても強く根付いている地域で、そこで逆に血のつながりがないけど一緒に暮らすという新しい家族の在り方を模索できたのはとても面白い体験です。 

――家族と一緒に北京で暮らす体験はどのような感じですか。日頃タオバオ(淘宝)や美団など、ネットショッピングや「外売」(食品デリバリーサービス)のアプリをよく使いますか。中国の映画にも興味があると伺いましたが、映画やドラマを通して中国社会への理解が深まることはありますか。長く中国で生活して、日本に帰国した際に逆に違和感を感じることはあるでしょうか。 

青山 「外売」は便利なので僕も日頃よく利用していて、事務所にいるときなどはよくスタッフと一緒に出前をとっています。日本ではウーバーイーツなどがありますが、中国の出前ほど普及していなく、タクシーサービスなどもそうですが、スマホを使った生活では中国の方が圧倒的に便利で効率的です。日本では7080年代に出来上がった社会システムの力が強いので、それを壊していかないと新しいライフスタイルは生まれない。それに比べて中国は近年高度成長に伴ってインターネットをバックグラウンドに新しい社会システムが形成されているので、新しい便利な生活が実現しているのだと思います。 

僕は普段休日も仕事で忙しいことが多いのですが、映画館には足を運ぶようにしています。映画を観るときに一番興味があるのは、その映画がなぜこの時代に中国で撮られたのか、なぜこの時代にみんながこの映画を観るのかということ。それが今の社会に存在しているけどまだ見えてない潜在意識であって、それをうまく捉えて形にしていくのが僕の仕事の上でもとても大事なことだと思います。 

王小帥監督の『地久天長』という映画があるのですが、その中で印象的だったのが、主人公が昔暮らしていた家に戻りドアを開けると、家具が全て昔のまま置いてあり、それを見た瞬間思い出が一気にこみ上げてくるシーンでした。僕はずっと建物や物質が記憶を保存すると考えていて、例えば、僕が今広島の実家に帰ると子どもの頃使っていた机も当時のまま置いてあり、そこで自分は実家とのつながりを感じるのですが、今の中国の都会に生活する人たちは実家に帰っても昔の家がなく、新しい町や住宅になっていることが多いです。そういう意味では「家」を失ってしまったのが今の都会暮らしの人々の潜在意識でもあると思うので、僕が建物を造るときは、ただ住宅を造るのではなく、人々が記憶を保存できるような物理的なとっかかりをつくれたらと思っています。 

――近年、バーチャル世界の迅速な発展によって実空間へのニーズが低下し、「AI脅威論」も大きな話題になっています。その中で建築はどのような影響を受けると思われますか。また、このような時代における人の重要性は何だと思いますか。 

青山 今考えるべきなのはAIにできないことが何なのかだと思います。昔から技術の発展に伴って人間の価値と仕事のスタイルは大きく変わってきました。今回もその一つで、人間にしかできないことが何なのかを考えると、偶然性に任せることや、人と自然が平等に仕事をすること、手で作ること、それらを生かした建築はまだなかなか人工知能では実現できないと思います。 

僕の事務所では最近、パソコンを一切使わず、図面も描かず、デザインから施工まで全部手作業で造ることにチャレンジしています。例えば、古い木材をたくさん使ったインテリア。木材の形や状態はコントロールできないので、木を一本一本見ながら、ふさわしい場所に置いてあげる。これは人間が頭を使ってコントロールするのではなく、自然の不自然さや標準状態がないことを生かしながら造っていくプロセスで、これによってパソコンにはできないデザインが出来上がります。 

20世紀以降、現代建築の機能主義が主流となり、建築家は理性的に、ロジカルに、科学的に設計するべきだと考えられてきました。しかしそれはAIの得意分野なので、理性やロジックでばかり考えていてもAIには勝てないと思います。だからこれからは人の体や感性に任せた偶然性や曖昧さ、皮膚が触れたときの感覚など、簡単に数値化できないものを重視していく必要があると思います。ロジックではなく偶然、理性ではなく感性、頭ではなく体。そういう価値が今後どんどん重要になっていくと思うので、そういう建築を僕は造りたいと考えているし、そこにこそ人間性は現れるものだと思います。 


南京で間もなく完成する新プロジェクトの模型を紹介する青山さん(写真・王衆一/人民中国)

――中国にいる日本人建築士というバックグラウンドを生かし、人々のライススタイルや時代のニーズの変化なども踏まえて、これからやってみたいことは何ですか。また、中国が秘めている可能性と中国で事業を展開する良さとは何だと思いますか。 

青山 今後は北京を拠点にしながらアジア各国や欧州などさらに多くの異文化圏でも仕事をしたいと思っています。中国の経済発展とグローバル化に伴い、多くの中国人がビジネスや交流で海外へ進出し、建築プロジェクトも海外進出の機会が増えました。例えば、「一帯一路」沿線国のバングラデシュに中国企業が進出した際、現地に工場や学校を造るプロジェクトの話が出ましたが、そういう意味で僕たちの仕事の可能性も広がっています。 

中国にはさまざまな企業やメーカーがあるので、実現させたいアイデアがあればすぐにでも試せます。例えば、石材を扱う規模世界一の企業は中国にあり、ガラスや照明などを作るメーカーは広東に集まっていて、景徳鎮に行けばオリジナルのタイルが作れます。また、日本や欧州などでは手作業のコストが高騰しているので、なるべく人の手を使わず、工場で組み合わせた既製品を使うようにしているのですが、中国では既製品を使わなくても、そんなにコストは上がりません。さまざまな分野の材料に先端の科学技術からローカルの古い技術まで全て混在していて、それらをうまく取り入れていけば、どんどん新しいものができる気がします。そういう意味で中国は、新しいことに挑戦したり、手で作る温もりを再現するのに一番適した場所だと思います。 

また、クリエーターにとっての中国の良さは、いいアイデアやデザインがあれば、ルールはある程度柔軟に対応してくれること。それは日本と対照的で、自由な発想の支えになっています。ルールを守ることが前提条件ではなく、あくまでいいモノを作るのが前提条件というところが、デザイナーとしての冒険心を満足させてくれます。 

僕は中国を拠点にしているので、中国という場所と、中国で暮らした経験と、日本で勉強した建築の知識をうまくごちゃ混ぜにして、そこから生まれる僕にしかできない作品をこれからも作り出していきたいです。 

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