共に歩んだ70年 手を携え未来へ 東京・北京などで本誌記念イベント

2023-08-26 18:00:00

王朝陽段非平=文佐渡多真子謝文=写真

『人民中国』日本語版は今年、創刊70周年を迎えた。70年、840号――この間、『人民中国』は常に中日友好を貫き、時代と中日関係のホットな話題に寄り添い、日本の社会に向けて真実で立体的で全面的な中国を示してきた。70年、2万5567日――『人民中国』は常に読者と共に歩み、中日関係が民から官へ、国交正常化から幅広い発展への道のり、そして両国民の心からの友好交流を共に見つめてきた。 

『人民中国』日本語版の創刊70周年を記念したイベントが、6月1521日、東京・長野・北京の各地で相次いで行われ、中日各界の友好人士が一堂に集まり、旧交を温め、将来を語り合った。 

記録と証言 

『人民中国』日本語版創刊70周年を祝う記念祝賀会が6月15日、都内のザ・プリンスパークタワー東京ホテルで開かれた。駐日本中国大使館の呉江浩大使や厚生労働副大臣・内閣府副大臣の伊佐進一衆議院議員が出席、祝辞を述べるとともに、中国外文局の杜占元局長がビデオ形式であいさつし、福田康夫元首相の祝辞が代読された。また外文局アジア太平洋広報センターの王衆一総編集長が特別講演を行った。 

「1953年、天安門広場で国慶節を祝う群衆の大行進」や「54年、武漢の長江大橋が完成、天然の堀が大通りに変身」「65年、中日青年友好大交流」「72年、田中角栄首相が訪中」「78年、中日平和友好条約締結」「90年、上海・浦東開発がスタート」「2008年、北京五輪開催」「17年、シェアバイクが人気爆発」……会場ではスライドショーで『人民中国』の70年にわたるニュース読面の写真を一枚一枚振り返り、『人民中国』による新中国の発展・変遷の記録を示し、中日関係の絶え間ない深化の証しを語った。 

懐かしい一枚一枚の画面が、多くの来場者の素晴らしい思い出をよみがえらせた。1973年から『人民中国』を購読する箱根ホテル小涌園元支配人の藤田基彦氏は、本誌との縁をこう語った。「藤田観光で働き始めた年に中国からのお客様を担当し、中国を知るために『人民中国』を読み始めました。貴誌は日中の友好交流を記録しており、両国に多くの読者がいます。昨年からは、寄稿による連載『揮毫でたどる日中往来』を始めたので、これを通して自分が経験した友好交流を永久に残していきたいと思います。現在であれ、将来の読者であれ、連載を読んで日中友好というのは決して簡単なことではないと知ってほしいし、励ましになればと思います」 

『人民中国』は歴史の証人であるだけでなく、歴史の推進者でもある。 

呉江浩大使は祝辞で次のように評価した。「中日関係の長期的な発展は、互いを正確に客観的に知ることが欠かせません。70年前、周恩来総理ら中国の古い世代の指導者の配慮と指導の下で『人民中国』日本語版が創刊されました。それから数十年、『人民中国』はその名の通り、常に人民が主人公である中国の発展に焦点を当て、人民が落ち着いて満ち足りた生活を送る中国の進歩を伝え、人民が共に豊かになるという中国の将来図を示してきました。また『中日友好を促進し、中国について日本の人々の理解を高める』という趣旨を常に守り、両国関係の回復と改善、発展を推進するために積極的な役割を果たしてきました」 

福田康夫元首相は、書面による祝辞で、『人民中国』の過去70年における日中友好促進に対して果たした大きな役割を高く評価した。「『人民中国』は日本人と中国人の心をつなげました。両国の人々が交流と理解を深めるために、民間の友情の橋を架けました」 

厚労副大臣・内閣府副大臣の伊佐進一氏は、これまでたびたび『人民中国』の取材を受けてきた。伊佐氏は次のように述べた。「日中関係において外交と政治は大きな役割を果たしました。しかし、両国関係を発展させる力は、主に民間交流・文化交流・若者の交流によります。残念ながら、この3年は新型コロナウイルスによる感染症が猛威を振るい、日中の民間交流は遮られました。しかし『人民中国』はこの間、常に中国の最新情報をタイムリーに日本に伝え続け、コロナ後の民間交流が復活する土台を築いたといえるでしょう」 

中国外文局の杜占元局長は、ビデオで祝辞を送り、『人民中国』の将来の発展に対して新たな希望を提起。また創刊70周年を新たな出発点とし、引き続き中日関係の大局に立脚し、アジア太平洋から全世界に目を向け、中日の相互理解と友情を増進し、両国関係の安定的で長期的な発展の推進のために、より大きな役割を果たすことを期待した。また同時に、さらに多くの日本の友人が『人民中国』に関心を持って支持し、本誌を通して立体的で全面的なありのままの中国を知ってくれるよう希望。今後の中日の友好事業において、『人民中国』と手を携え、交流と協力を強化し、両国民の友好交流という時代の素晴らしい物語を共に書き続けていきたいとした。 

元国連事務次長の明石康氏も同様の期待を込めた。「日中関係は兄弟のように断ち切ることができません。『人民中国』は日本の人々に中国の現状――中国の人々が何を考えているか、何に関心を持っているか、何を心配しているかを伝えています。『人民中国』が将来もさらに大きな役割を果たすことを望みます」 


王総編集長と握手する愛読者・山本勝巳氏の長女・華蓮ちゃん。『人民中国』は70年にわたり、読者と共に成長した

知り合い、触れ合う 

『人民中国』は1953年の創刊以来、雑誌というメディアで両国の人々が互いに知り合って交流し、理解し合うよう推し進めてきた。 

日中友好会館の中国側理事長の黄星原氏は、自らの経験と結び付け、このように述べた。「1980年代の初め、『人民中国』は(中国の)大学で日本語を専攻する学生の愛読誌でした。私たち外交官のキャリアにおいて、『人民中国』はなじみ深く、知識を更新してくれる側近秘書です。私は『人民中国』を通じ、朝日新聞の元論説委員で『人民中国』の日本人専門家の横堀克己氏をはじめ多くの尊敬すべき日本の友人と知り合いました」 

外文局アジア太平洋広報センターの王衆一総編集長は34年前、『人民中国』雑誌社に入社した。今回の記念祝賀会で王総編集長は、『人民中国』との出会いと本誌を通じた読者との触れ合いをテーマに特別講演を行った。 

「日本の社会を観察し流行語などを研究する面で、劉徳有氏はこれまで多くのヒントを与えてくれました。劉氏は以前、コラム『放談ざっくばらん』(原題『東張西望』)の中で『目黒の秋刀魚と西太后の窩々頭』というタイトルの文章を書きました。するとしばらくたって、私の東大時代の指導教官だった刈間文俊氏から、『黄色い大地と蘭の花』というタイトルの寄稿文を受け取りました。私に深く影響を与えたお二人が、はからずもこんな形で『人民中国』での出会いを果たし、思想の火花を散らしたのです。このときの体験から受けた感銘は今でも忘れられません」 

雑誌の編集制作も、文化の交流と融合の中で絶えず成長・変化した。王総編集長はこう振り返った。「原口純子さんは、かつて本誌でコラム『中国雑貨店』を執筆していました。原口さんは、日常生活の雑貨の中から多くの知恵と美を見つけました。原口さんはよくこう言っていました――生活を愛する目で中国を観察すると、多くの愛すべきものを見つけられます。私たちはこれにインスピレーションを得て、社会生活の細部に注目する多くのコラムを企画しました」 

講演の最後、映画『ニューシネマパラダイス』のテーマ音楽が流れる中、王総編集長は、過去34年にわたり交流のあった中日両国の多くの良き師・良き友の写真をスクリーンで紹介。来場者たちはその中に自身の姿を探し、思い出を語り合っていた。 

細川敬子さんは、この写真の中から父・神宮寺敬氏の姿を見つけた。歴代の『人民中国』のスタッフと共に収まった写真の中で、神宮寺氏はひときわ背が高くがっしりとした壮年の姿から、白髪が目立つ老人へと次第に変わっていった。 

「第2次世界大戦後、父は中国から日本に帰国しました。父は『毛沢東選集』を読み終わった後、新中国の様子をとても知りたくなりました。しかしあの頃は、それは決して簡単なことではありませんでした。そこで父は友人を通じ、日本語で新中国の発展を紹介する一冊の雑誌――『人民中国』を知りました。そのときから生涯にわたる購読が始まったのです」。そう回想する細川さんは感無量の様子でこう続けた。「父はかつて『人民中国』の読者代表として中国に招かれたことがあります。父は中国を訪問中、当時の康大川総編集長と一つの約束を交わしました。それは、毎月『人民中国』に読者のお便りを送る、というものでした。その約束を父は生涯守り通しました。新型コロナで交流が中断したこの3年を除き、父は毎年秋になると中国への旅に出て、北京にある御誌を訪れました」 

今は亡き本誌コラムニスト・江原規由氏の夫人・孔江さんは、体調がすぐれず今回のイベント参加を見合わせた。しかし友人を通して中継で会場の様子を見ると、特別講演を真剣に聞き入った後、感動的な感想を送ってきた。「主人は幸いにも王総編集長など志を同じくする友人の方々と出会い、共に日中関係の促進のために精いっぱい働くことができました。夫は今日、きっと空の上から私たちを見守り、『人民中国』が創刊70周年を迎えたことを祝福していると思います」 

時代と共に進歩 

時代の発展に伴い、『人民中国』のメディア形式は紙媒体から次第にインターネット、ソーシャルメディアへと徐々に広がり、内容も日増しに多様化している。さらに、より多くのメディアを通して両国の人々の交流をつなぎ始めようとしている。 

東京都日中友好協会の伊藤洋平理事長は、一貫して中日の青年交流事業に携わってきた。『人民中国』のさまざまな新たな試みに対して、伊藤氏は次のように思いを語った。「若者のニーズを把握する面で、私たちには互いに多くの啓発がありました。日中友好協会は、これまで何度も日本の学生を集めて『人民中国』編集部への訪問交流を行ってきました。そのたびに記者や編集者は、本誌のどんな内容に興味を持っているかと、学生に熱心に聞いていました。今後は、どのようにしてより良い青少年交流を行い、友好の精神を後世に引き継いでいくかを『人民中国』と一緒に考えていきたいと思っています」 

Panda杯全日本青年作文コンクールは、『人民中国』と駐日本中国大使館、日本科学協会が主催するハイレベルの中日青年交流の場だ。習近平国家主席が2019年6月、コンクールの入賞者である中島大地氏からの手紙に返信して以来、Panda杯は日本の若者が「私と中国」を語る有名なコンクールへと一段とステップアップ。現代の中日の若者が相互理解を深めるために交流の場を提供している。 

森ビル特別顧問の星屋秀幸氏は、Panda杯の創設以来、応募作文の審査委員を務めている。星屋氏はこう願いを語った。「作文を読んで、私は日本の若者の中国に対する熱い思いと戸惑いを知る一方で、若者らの未来への夢を感じ、大変意義があると考えています。『人民中国』が永遠に日中の青年の懸け橋となるよう願います」 

同コンクールの受賞者の山本勝巳氏は、Panda杯を通して『人民中国』と縁を結んだ日本の若者の一人だ。山本氏はその縁をこう振り返った。「私たち一家と『人民中国』は深い友情で結ばれています。一番忘れられないのは、2020年の初めに、私たちが『人民中国』を通して中国に200枚余りの医療用マスクを寄付したことです。そして、その年の5月に日本でもマスクが不足する状況が出始めると、『人民中国』はすぐに中国の友人たちが集めたマスクを私たちに送ってくれたのです」 

寄贈した者と受け取った者は全く知らない同士だったが、『人民中国』が築いた同舟共済(力を合わせて困難を克服する)という友情に山本氏は大変感動した。「日進月歩で発展する中国において、『人民中国』は読者と共に歩む雑誌として、引き続きPanda杯や読者イベントなどの交流の場を設け、中日の友好の心をつないでいってほしいです。これこそ『人民中国』にしかできないことです」と山本氏は力を込めた。 

大切な読者との絆 

91歳の読者である小林泰氏は、病が癒えてまだ日が浅かったにもかかわらず、祝賀会の会場に足を運んだ。実は、今回が『人民中国』創刊祝賀会への5回目の参加だった。また、以前に『人民中国』の表紙写真を撮っていたカメラマンの佐渡多真子氏は、わざわざ名古屋から参加。来場者が楽しく語り合う貴重な瞬間を一つ一つレンズに収めた。さらに、かつて『人民中国』で働いた日本人専門家や、『人民中国』の取材を受けた学者も会場に駆け付け、祝福と期待を述べていた。 

祝賀会が幕を閉じると、外文局アジア太平洋広報センターの記念訪日団は、名残惜しげに読者や友人を見送った。後日、多くの人からの素晴らしい祝福を抱えて長野県を訪れ、同地の読者と心温まる交流を行った。 

 

『人民中国』と日本各地の読者との交流の伝統は、60年前にさかのぼる。外文出版社(現・外文局)の羅俊社長が率いる訪日団が63年6月4日、東京で創刊10周年を記念する祝賀会を開催した。その際、広島から始まり、宇部、北九州、福岡、雲仙、熊本、松山、大阪、神戸、和歌山、京都、名古屋、熱海、箱根、山形、仙台、青森、札幌、旭川、函館、小樽、泊村など30カ所以上の市町村を巡って交流と視察を行い、期間は1カ月半にも及んだ。 

この間、訪日団は100回以上も座談会を開き、熱心な読者や各界の人々と深く交流し、幅広く意見を聴取した。これ以後、読者と密接につながり、友情を深めることが『人民中国』の変わらぬ姿勢となった。 

「歴代の東京支局長は皆、仕事の合間に日本各地の読者の集まりに参加し、訪日団も日本に来るたびに必ず地方の読者と座談会を持ちました」と、王総編集長は読者との交流を大切にしていた『人民中国』の伝統を振り返った。「座談会では、読者から雑誌を読んだ感想を直接聞くほか、最新の中国事情について講義を頼まれることもありました。一番喜ばれたテーマは、中国の映画や文化、流行語です。読者のニーズと意見は、私たちには最も貴重な財産であり、私たちは読者と親しくつながるというこの伝統をしっかりと受け継いでいきます」 

長野県読者会の茂木博会長は、60歳の時に読者会に参加した。茂木氏はしみじみとこう話した。「『人民中国』は中国の発展状況を総合的に紹介してくれ、さまざまな情報が得られます。読者会の会長となって、私の人生もさらに豊かになりました。『人民中国』が今後も大きく発展し、日中の文化交流や人の交流に大きく貢献されるよう心から願っています」 

長野県日中友好協会の西堀正司副会長は、次のように変わらない意欲を述べた。「70年にわたって『人民中国』が読者に愛され、社会に貢献できたのは、非常に得難いことです。私はもう83歳で、体力も以前ほどではありませんが、でも変わらずに頑張って『人民中国』と共にコロナ後の時代の日中交流に尽くしたいと思います」 

 

交流会の終了後、記念訪日団は、『人民中国』の師であり友でもある専門家の故金田直次郎氏の墓参りのため、群馬県前橋市に向かった。金田氏は1982年から91年と、2010年から1年間の二度にわたり『人民中国』に勤め、計10年を中国で過ごした。だが2012年4月、金田氏は残念ながら病気で亡くなり、スタッフは深く悲しんだ。金田氏の中国への熱愛、仕事に対する真剣さ、同僚に対する熱意と誠意は、一緒に仕事をした『人民中国』のスタッフ全員にとって忘れられないものだ。 

金田氏の墓参りに訪れた際、一行は金田氏も含めて池田亮一氏や菅沼不二男氏、戎家実氏、村山孚氏、横堀克己氏など、『人民中国』と中国の日本に向けた広報事業に対して積極的に貢献してくれた多くの日本人専門家を追想し、敬意を表した。 

訪日団は金田氏の墓前に祝賀会で飾られた生花をささげ、国内の同僚たちから託された白酒(中国焼酎)の「二鍋頭」とナッツなどのおつまみを並べた。北京の「二鍋頭」は、金田氏一番のお気に入りの白酒で、時間があるときには本誌の若いスタッフとグラスを傾け、中国の発展や記事の企画などについておしゃべりを楽しんだ。そして、こうした日常の付き合いの中から多くのアイデアが生まれた。 

ゆるやかに立ち上る線香の煙とともに、痩せて素朴な、あの金田氏が私たちの前に現れたようだった。おなじみの誠実な笑みを浮かべ、記念祝賀会が大盛況だったという記念訪日団の報告に熱心に耳を傾け、日本に中国を紹介し、中日交流を促進する仕事にさらに努めるよう皆を無言で励ました――。 

評価と展望 

東京での記念祝賀会から6日後の6月21日、北京の中国外文局で「正しさを守りながら革新しさらに輝かしい成果へ」をテーマに記念座談会が開かれた。座談会には、外文局の高岸明副局長兼総編集長や中日友好協会の常務副会長で元駐日本中国大使の程永華氏、元国務院中日経済交流会事務局長の張雲方氏、それに『人民中国』雑誌社の古参幹部やスタッフ代表、外文局アジア太平洋センターの職員代表ら約80人が出席した。 


北京で開かれた『人民中国』創刊70周年の記念座談会に出席した関係者やゲストら

あいさつに立った外文局副局長兼総編集長の高岸明氏は、「『人民中国』の70年は、日本に真実の中国の説明をすることに力を尽くした70年であり、中日の友好人士が手を携え心を一つにして中日友好を推し進めた70年であり、『人民中国』の代々の人々が初心と使命を固く守り、絶えず革新と発展を続けた70年である」と述べ、『人民中国』が現代の中日関係の発展を促進するために果たした、ユニークでかけがえのない積極的な役割を高く評価した。また『人民中国』の人々は、代々にわたって使命を担い、現実に即して実務に励み、改革・革新を行い、仕事を愛し専心し、団結し協力する精神をつくり上げてきた。これらの貴重な精神は、『人民中国』が70年かけて磨き上げた歴史の重みを感じさせる伝統であり、また今後の事業の発展を支える原動力であると指摘した。 

新たな情勢の下で、いかにより良い日本向けの広報を展開するかという点について、高氏は次の五つの期待を述べた。①中日友好の信念を揺るぎなく推し進め、中日関係の大局に貢献する②リソースを共有するメカニズムを深化させ、日本向け広報のシナジー(相乗)効果をつくり上げる③事業の革新能力を向上させ、『人民中国』のブランド力を高める④人材育成を加速し、日本向け広報で実力ある若手を養成する⑤両国の人脈資源を開拓し、友好協力の声を広げていく。 

中日友好協会常務副会長で元駐日本中国大使の程永華氏は次のように強調した。「習近平主席は『物語を語ることは国際広報で最も良い方法だ』と指摘した。中日の間には、エコや低炭素の実現、人口高齢化への対応などといった共通の関心と利益がある。また相通じる東洋文化や東洋の知恵など、共鳴・共感できるところがある。日本の人々が読んで、見て中国を理解するための重要な『窓』として、『人民中国』が日本の民衆の関心に立脚し、中国人民の生活に着目し、深みと厚み、そして温かみのある題材・物語を通し、日本の民衆に真実で立体的、そして全面的な中国を示すことを希望する」 

さらに程氏は次のような希望を語った。「『人民中国』にはこれからも日本の人々に歓迎されるような内容を、分かりやすく細やかな文章で描いていってほしい。日本の国民、特に若い世代が中国の発展・チャンス・未来に注目し、中日の人と文化の交流や互恵協力に積極的に身を投じるように正面から導いてほしい。また、中日友好が秘める大きな力を絶えず引き出し、両国関係の素晴らしい未来を共に切り開いていってほしい」 

アジア太平洋広報センターの王総編集長は、92歳となる元文化部副部長・劉徳有氏の書面による祝辞を代読した。劉氏はその中で次のように指摘した。「『人民中国』の価値は、正しさを守り揺るぎなく革新することにある。それは、雑誌が常に旺盛な生命力を保ち続けられる保証でもある。近年、中日関係には深刻で複雑、巨大な変化が起きている。しかし私たちは、中日の友好と発展を維持し推進する健全な力がまだ存在していることを見て取るべきだ。特に新たな若い力が成長しており、彼らは『人民中国』読者の予備軍である。私たちは、こうした若者を特に重視し、心を込めて育てる必要がある。多くの日本人は中国の状況をよく知らない。私たちがなすべきことは、こうした人たちに中国のイメージをきちんと示し、中国の声を広く伝え、中国の物語を上手に語ることだ」 

日増しに厳しく複雑化する国際世論という難題に、メディアの責任は重大だと言える。元国務院中日経済交流会事務局長の張雲方氏は、日本や世界各国の中国に対する全面的な理解をいかに深め、差し迫る情勢を緩和するかは、中国の対外交流の窓口でプラットフォームとしての『人民中国』が当然負うべき責任であると考える。さらに張氏はこう提起した。「国と国との関係は動くものだが、人々の交流は永久不変だ。等身大の中国を紹介すると同時に、多彩な世界・文明を持つアジアと本当の日本の姿を中国の読者に紹介すべきだ。中日両国の世代にわたる友好の理念を、田畑に流れる水のように中日両国の人々の心の大地に絶えず注いでいってほしい」 

回顧と責任 

記念座談会の交流セッションでは、『人民中国』の職員を代表して8人が相次いで発言した。そこで、『人民中国』が達成した輝かしい成果や、深く心に刻むべき良き伝統、感動的な奮闘のエピソードを振り返った。さらに自身の仕事と結び付け、『人民中国』が今後さらなる発展を遂げるための提案を行った。 

元『人民中国』雑誌社社長の沈文玉氏は、代々の『人民中国』スタッフの奮闘ぶりをよどみなく振り返った。全員が若き日の熱気とあふれる思いを胸に、その名を新中国の外国向け広報事業の「無名英雄碑」に刻み、対外広報担当者の栄光と責任を担ったとした。 

退職した職員の代表・劉世昭氏は『人民中国』のカメラマンだった。35年の在職中、劉氏は祖国の全国各地を走破し、写真で時代の記憶を留めた。劉氏は沈興大記者と共に1981年、延べ404日かけて5000㌔余りを自転車で巡り、北京と杭州を結ぶ京杭大運河の沿道の5377町村を取材した。劉氏は自らの経験を通じて、『人民中国』が現地取材によって、リアルで生き生きとした社会の様相や人民の生活を読者に紹介していることを示した。 

実務を担う中堅職員の代表として、『人民中国』編集部の銭海澎部長とメディア融合発展部の王浩部長は、それぞれ『人民中国』という大家族に加わって約20年の思いを披露した。 

銭部長は、70年の道のりを歩んだ『人民中国』は、中日関係の浮沈を経験したが、さざ波が立とうとも動ぜず自然体で対応してきたとした。この落ち着きの背景には、伝統がもたらす自信と革新が与える活力、揺るぎない中日友好の信念によって培われた底力があったと話す。 

また王部長は、『人民中国』を、成熟し博学で落ち着き、品位を保ちユーモアも失わず、日本の読者にうむことなく中国の物語を語る――そんな一人の教養ある中年に例えた。また、雑誌の拡充と業務の革新により、『人民中国』という日本に向けた広報の「老樹」は、今も絶えず「新芽」が出続けていると、二人は声をそろえた。 

『人民中国』の一読者から本誌スタッフとなった日本人専門家の籠川可奈子氏は、次のように語った。異国の地での仕事は簡単ではないが、『人民中国』というこの大きな家庭はたくさんの温もりとサポートを与えてくれた。また『人民中国』の記事で、本当の中国に触れ、知ることができた。より多くの日本の読者が、『人民中国』という「懸け橋」を通して魅力あふれる中国を知ることを期待している。 

『人民中国』編集部の蔡夢瑶編集部員は、入社してまだ4年という若いスタッフだが、先輩たちが伝えてきた「人民中国の精神」を強く感じ、自分を鼓舞してきた。彼女は、「足を使って良いニュースを書く」ことや「人の温もりのあるレポートを読者に届ける」ことの奥深い意味を悟った。そして、この思いを胸に絶えず自身を叱咤し、成長させてきたという。 

外文局は2021年、人民中国雑誌社と中国報道雑誌社という土台の上に、アジア太平洋広報センターを立ち上げた。これは、以前の『人民中国』が新時代において融合と発展を加速し、日本向け広報を拡充するために設置された新たなプラットフォームだ。一緒に仕事に励む仲間として、『中国報道』編集部の徐豪部長とビジュアルデザイン部の韋万里副部長も、『人民中国』の70歳の誕生日を祝福し、二人の目に映る『人民中国』を語った。 

徐部長から見ると、『人民中国』日本語版が70年の荒波を乗り越え、現在まで途切れたことがないのは、その「本分を守り」、「革新」と「寛容」をしっかり果たしたからだ。この三つにより、『人民中国』は中日関係の歴史の歩みの記録者、目撃者、観察者となり、その輝かしい歴史を創った。韋副部長は、紙媒体である雑誌が生き残っていく道は、読者に「ロマンチック」な読書体験をもたらすことだという。韋副部長は今後、写真とデザインの二つの「言語」的な手掛かりを作ることに力を入れ、ユニークかつ魅力的な雑誌のビジュアルスタイルを確立し、読者のニーズと期待にもっと応えるよう努めていきたいとした。 

熱い思いがあふれた祝辞と活気に満ちた交流の終了後、アジア太平洋広報センターの陳文戈主任が最後にこう締めくくった。70年来、『人民中国』が懸命に奮闘する中で示してきた――使命を担い、現実に即して実務に励み、改革・革新を行い、研さん・模索と団結・協力する精神を私たちは必ず受け継ぎ、発展させなければならない。習主席が示した広報についての「四つの力」(取材力・眼力・知力・ペンの力)を実践する中で作り出された、正しく、確実で、飾らない文章スタイルを、私たちは大いに発揚していかなければならない。皆が共に努力すれば、『人民中国』という老舗の大看板は、新時代の国際広報事業においてさらに異彩を放つと信じる。 

創刊70周年は節目であり、また新たな始まりでもある。新時代において、『人民中国』は引き続き心を一つに奮闘し、中日両国民の友好の新たなページを書きつづることに努めていく。そして、中日関係の安定して長期的な発展を推し進めるために、より積極的な役割を果たし、中国が世界に進出し世界が中国を理解するために、新たにより大きな貢献を果たしていく。

関連文章