神戸のお嬢様・タンタンに捧ぐひまわりの花束
文・写真=远藤英湖
「ずーっといっしょにおりたいがー ふたりっキリンでおりたいがー サイナラするのはつらいおん 君がおらん・・・うう、たまらん」。私の頭の中で王子動物園の楽しげなテーマソングがずっと鳴り響いている。貴女がいなくなった日常になかなか慣れない。
入園ゲート前のタンタンの作品、拡大すると一枚一枚がタンタンの写真
神戸・王子動物園のジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」が3月31日に28歳で天国へ旅立った。人間なら100歳近い高齢のパンダだった。阪神・淡路大震災で傷ついた市民を元気づけるため2000年に中国・四川省から来日。短い手足と優雅な仕草から「神戸のお嬢様」と親しまれ、復興のシンボルとなり人々を太陽のように照らしてくれた。
ストレッチタンタン(撮影:二木繁美)
おにぎりタンタン(撮影:二木繁美)
私がタンタンの存在を知ったのは2020年秋だった。「神戸に可愛い子がいるよ」との妹のひと言で手に取った写真集。表紙を飾るシャイな表情のタンタン。「なんて愛くるしい子パンダちゃん!」と虜(とりこ)になったら、おばあちゃんパンダだった。動物園公式Twitterの「#きょうのタンタン」や、女性パンダライターが連載する「水曜日のお嬢様」で見るタンタンに夢中に。パンダ川柳(川柳:日本語の定型詩)を詠み、彼女の咀嚼(そしゃく)音にうっとりし、しまいには、語尾にお嬢様風の「~なの」をつける“タンタン語”で話すほど、「タンタンワールド」にはまってしまった。
飼育員さん手作りの「ひな祭り」のプレゼント(神戸市立王子動物園公式Xより)
1年後、念願叶って王子動物園へ。初めて会ったタンタンは、部屋の中でちょこんと座り、右手をなめなめしていた。横になって片足を上げる「ストレッチタンタン」、三角形の座り姿「おにぎりタンタン」、タイヤにすっぽりと収まり笹を食べる「タイヤタンタン」…。彼女に会うため神戸に移住する人も。「故郷のおばあちゃんに会ったみたいにホッとする」のだと。我を忘れて何度も何度も観覧列に並んだ。
飼育員の梅元良次さん(左)と吉田憲一さん
私がタンタンと会えたのはこの時だけである。それが、どうして毎日遠くから想い続けるほど彼女に引き込まれてしまったのだろうか。
凛とした爽やかな瞳が美しく、可愛くて上品で、お茶目で賢くて、歳を重ねるほど魅力が増す女性。我が子とパートナーの死、重度の心臓病といった波瀾万丈の一生を強く生き抜き、いつも人々を元気づけ、深く愛されてきた女性。“人生”のほとんどを日本で過ごし、日中友好にも長年頑張ってきてくれた大先輩としての姿。100歳近くまで皆に希望と喜び、勇気を与え続けてくれた尊い「励まし」の生涯に、自身の理想の女性像を見たからだと思う。タンタンに出会えたこと自体が私の大きな幸福だった。
血圧測定を頑張るありし日のタンタン(神戸市立王子動物園公式Xより)
追悼式の5月10日。紺碧の空。私はタンタンが暮らしていたパンダ館を訪れた。それまでに寄せられた献花は約5000だという。花が手向けられた寝台にはタンタンが上り下りできるようなスペースが空けてあった。飼育員さんが特別栽培していたネマガリタケ(根曲竹)、投薬治療に使ったフライパンとさとうきびジュース、ブラッシングに使ったブラシ“黄色”などが彼女の写真の前に。皆の深い愛情が静かな空間に凝縮されていた。私は日本各地から集まっていたファンと一緒に泣き、慰め合い、感情を共有した。思い出の中でタンタンとずっと会い続けるつもりだ。
タンタンが暮らしていた部屋。今まで寄せられた献花は約5000
献花台には、とりわけひまわりが多い。「ひまわりを見てタンタンの存在を感じてほしい」と、飼育員さんが昨年タンタンのフンを肥料にし、パンダ館の屋上にひまわりを咲かせた。その種がタンタンの誕生日にファンに配られ、今、皆が一生懸命育てている物語が背景にある。皆を笑顔にする「タンタンのひまわり」の輪が、仲良く大きく広がっていく様子が目に浮かんだ。
追悼式でタンタンに歌を捧げる子どもたち
夕刻になり、閉園を知らせる音楽が優しく流れてきた。後ろ髪をひかれる思いでパンダ館をそっと振り返る。そよ風に揺れる屋上のひまわりたち。タンタンが微笑み、手を振っているように見えた。「私はずーっとここにいるなの。また来てね」。
パンダ館の庭の前でタンタンに思いを馳せる東京の女性
称賛と感謝――心に描いたひまわりの花束をタンタンに捧げ、私は動物園を後にした。タンタンと彼女に縁したすべての人々の幸福を願い、日中友好への思いをさらに深めながら…。
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