10周年迎えたPanda杯 4年ぶりの北京・蘇州・成都の旅

2024-12-23 13:42:00

王朝陽 李家祺 李一凡=文 Panda杯報道チーム=写真   

「Panda杯全日本青年作文コンクール」(以下、Panda杯)は今年で10周年を迎えた。本コンクールは人民中国雑誌社(現在の中国外文局アジア太平洋広報センター〈人民中国雑誌社、中国報道雑誌社〉)、駐日本中国大使館、日本科学協会が共催し、「わたしと中国」というテーマで1635歳の日本人を対象に作文を募り、受賞者を訪中研修に招待している。この10年で日本全国から6000人以上の若者が投稿し、自身と中国との縁を語り、中国の印象を分かち合ってきた。 

新型コロナウイルス感染症の影響を受けて、2020~22年まで受賞者の訪中活動は一時停止していた。しかし出会いの季節は必ず来るもので、今年、20年と21年度の受賞者計34人が中国を訪れ、数年ぶりの中国旅行を実現した。9月21日に北京の地を踏んだ訪中団は23日に北京で待ち望んだ表彰式に出席した。その後、2班に分かれ、それぞれ江蘇省蘇州と四川省成都へ向かい、28日に日本に帰国し、1週間の短い旅を終わらせた。 

風雨受けても変わらぬ初心 

14年に創設されたPanda杯は中日関係の浮き沈みや突然の新型コロナの流行を経験したが、これまでの10年間を振り返って、ずっと変わらなかったものは、交流と相互理解を切望する両国の若者の気持ちだ。Panda杯の成長を見守り、コンクールの審査員を務めてきた東日本国際大学客員教授の西園寺一晃氏はそれを強く理解している。9月20日に東京で行われたPanda杯2024訪中団壮行会10周年記念文集(日本語版)発表会で、西園寺氏は感慨深くこう語った。「この10年間の日中関係は次から次へ問題が起き、日本の中国報道も誤解と偏見が目立つが、Panda杯の投稿数は増え続け、本当の中国を知りたいと作文に強い願いを書き記す日本の若者が増えている」 

次の10年を切り開く今年のPanda杯は投稿数1014点という新記録を達成した。参加者の増加のほか、これまでの作文の内容を振り返ると、中国を見つめる日本の若者の眼差しが日に日に深くなっていることにも気付く。Panda杯の企画運営に携わり、審査員を務めるアジア太平洋広報センター特別顧問の王衆一氏は、9月23日に北京で開かれた10周年記念イベントで自らの経験を語った。「初期のコンクールの作文には、自らの経験や考えを客観的に共有し、中国をもっと理解し、中国人とより交流を深めたいという希望に満ちていた。近年では、現代中国の変化や社会の話題に積極的に注目している若者が増え続け、投稿内容が時代と共に発展していることが見て取れる」 

日本の若者と中国の心温まる物語や、中日関係に関する彼らの考えをさらに広めるために、主催側は今年、10年間の入選作品を一冊の本にまとめ、Panda杯10周年記念文集『わたしと中国』を出版した。日本語版出版記念式典で受賞者を代表して壇上で文集を受け取った髙野かずみさん(25)は、「手に取ってみると、この本の物理的な厚さ以上に、10年間の歴史と道のりの厚さを感じました」と述べた。 

「この5年間の中国で起きた変化を実際に体験したい」。訪中初日に団員たちと旅行の期待について語り合っていたとき、これまで上海に2回行ったことがある宮本芽依さん(24)は、今回の地方都市訪問によって、新型コロナで人の往来が阻害されていたために発生した中国理解の空白を埋めたいと述べた。コロナ後の中国を理解し観察することは、今年の多くの団員が重視していたものの一つだ。 

これもPanda杯が10年の成長を経て起きたもう一つの変化を表している。多くの団員たちにとって訪中は初めてのことではなく、中国語を操れる人もいれば、仕事や留学で中国に暮らしたことのある人、中国人の友達と長期間連絡を取り続けている人もいる。そのため、今年の訪中は彼ら「中国通」にとって、久々の再会となる発見の旅でもあった。 

二つの顔を持つ蘇州 

蘇州班の浅野仁那さん(22)は中国ドラマ好きで、中国の現代女性の生活に焦点を当てた『三十而已』(邦題:30女の思うこと上海女子物語)を見てから、そのドラマのロケ地となった古色蒼然とした蘇州の町並みに憧れを抱いた。蘇州班の一員として世界文化遺産である滄浪亭、同里古鎮、平江路などを見学し、ドラマに出てきた水郷の昔ながらの趣を味わった彼女は、「ドラマで見たのと本当に同じです。こんな風流な光景が今もここまできれいに残っているなんて、とても感動しました」と語った。 

蘇州班が今回の行程で最も期待したイベントはやはり、自動運転体験だった。団員は高速鉄道の蘇州北駅から小型自動運転バスRobo-bus(ロボバス)に乗り、蘇州市相城区の高鉄新城エリアを一周した。「運転席にいる保安要員は足を自由にしていて、ハンドルも握っていないから、本当にバスが自分で走っている」。訪中団が感心する中、ロボバスは定められた体験コースを静かに進む。信号機を正確に見分けられるだけではなく、通行人や車、カラーコーンなどまで自動で避けられる。 

「自動運転バスの保安要員になるには?」「市民向けの自動運転バスの一日の本数は?」。乗車中、団員たちは矢継ぎ早に質問した。バスを降り、まだ物足りない様子の久米村花菜さん(23)は「自動運転で近未来感を体験できました。中国はハイテク方面の成長がすさまじいです」と興奮気味に語った。 

続いて一行は長江デルタ国際研究開発コミュニティーの展示センターや長江デルタインテリジェントコネクテッドビークル(ICV)産業モデルエリアのインテリジェントコントロールセンターなどを訪れ、現地の発展の歴史、スペーシャルプランニング、中日産業協力、ICV産業の発展の成果や未来に向けた計画などを学び、高鉄新城エリアの実際の道路状況の収集データに基づき構築されたVR運転シミュレーターを興味津々な様子で体験した。 

日本のコンサルティング会社で働く花島寿貴さん(23)は、中国の発展計画は大学で少し学んだが、今回の見学で中国、特に蘇州のハイテク分野の発展状況と将来の計画についてより具体的に知ることができたと語った。上海に半年間留学したことがある原萌華さん(24)は、「これらは蘇州に来ないと深く知り得ないことだと思います。蘇州についてあまり詳しくなかったですが、今回の旅で蘇州の今後の発展に注目したくなりました」 

知識欲と探検欲を満たした若者の中には、メモ帳やスマホに自身が見聞きした情報を書き残す人も少なくなかった。中山裕貴さん(25)と久保田智幸さん(23)は昼間のタイトなスケジュールを終わらせた後、自分たちだけで高速鉄道に乗り、近距離の旅に出た。「もともと鉄道に興味があり、中国の高速鉄道はすごいスピードで成長していると聞いたので、実際に乗ってみたかったんです。加速は速いし、揺れは少ないから乗り心地が良かったです。この二つを同時に達成できる技術レベルの高さに驚きました」と中山さんは語った。 

4日間の短い蘇州の旅で、現地の伝統的な刺しゅう技法を体験した森楽歩さん(21)はこう語った。「現地で有名な伝統工芸品の『双面繍』と同じく、蘇州は現代的でハイテク感満載な一方、長い歴史を持つ町並みと古代から受け継がれる芸術もあります。昔と今が交差していて、なんとも言えない趣を感じます」 

パンダだけではない成都 

成都班は出発前に今回の旅で一番見たいものとして、ほぼ全員がパンダを上げた。 

「すごくかわいい!」。中国パンダ保護研究センター都江堰基地に来た団員たちは愛くるしいパンダに心を奪われ、「かわいい!」を連呼しながらスマホやカメラで写真を撮り続けた。阿部羅良枝さん(25)は、気だるげに岩にもたれながらマイペースに竹を食べては止まりまた食べるパンダを録画した。「帰国したら父に見せます。自由気ままに竹を食べるパンダと普段ソファーで寝転がっている父の姿がそっくりなんです」 

「こんなに間近でたくさんのパンダを見られるとは思ってもいませんでした。広々とした自然に囲まれた空間で自由に暮らす姿を見られてとても良かったです」。成瀬流奈さん(26)はパンダに癒やされながら、ガイドが説明する中国のパンダ保護の取り組みに熱心に耳を傾けていた。「10年前は動物園で来園者がパンダを抱っこできたようですが、パンダのストレスになるので今は駄目になりました。これこそ本当のパンダファーストだと思います」と彼女は称賛した。 

成都旅行が終わる頃、一行が成都で一番印象深かったものはすでにパンダからそれぞれ別なものになっていた。三国志マニアの笹邉健さん(38)は木々がうっそうと茂る武侯祠で、子どもの頃大好きだった武将馬超の像を探し、再来年に四川に来て三国志ゆかりの歴史的スポットを回る計画を立てた。川崎裕紀さん(30)は美しい自然の中にそびえる都江堰水利施設で古代人の知恵に感服し、この遺物が今なお現地に恵みをもたらしていることに驚嘆した。加藤佳瑞弘さん(23)は神秘的な三星堆遺跡で、展示品に施された生命力あふれる大胆かつシンプルな紋様のとりことなり、青銅大仮面がデザインされたTシャツをお土産に買った。海外出向しようか悩んでいた服部大芽さん(26)は、四川一汽トヨタ自動車で同社の日本人社員にアドバイスを乞い、「人生初の海外勤務が成都でとても幸せです」という心温まる答えをもらい、海外で暮らす決心がついた。成瀬さんは四川省無形文化遺産保護センターであこがれの中国伝統楽器古琴を練習し、巴蜀琴派伝承者の指導の下、迫力満点の『滄海一声笑』を弾いた。 

初めて成都を訪れた粕本亜美さん(21)はこの数日間の思いを「春」という言葉で叙情的に締めくくった。成都はとても温かく、エネルギッシュだがやかましくなく、発芽したての植物のような優しさがあるように感じたという。「太古里が特に良かったです。おしゃれで現代的な夜景が見えるのに、にぎやかな夜市もあって生活感にあふれています。露店でおいしいものをたくさん食べたし、お店の人も親切でした。ピリ辛を頼んだのに、食べたら超激辛でした。さすが四川ですね」と粕本さんは笑った。 

一期一会でない友情を 

8日間の訪中旅行で若者たちは中国の悠久の歴史、輝かしい文化、人と自然が調和した環境に触れ、地方都市の日進月歩の現代化と開放的な対外交流を目の当たりにした。しかし豊かで濃い体験の中で、ほとんどの団員の一番記憶に残ったのは意外にも「学生交流」だった。 

中国に8回来たことがある荒井智晴さん(37)にとって、中国人学生との交流は初めてのことではないが、今回の成都外国語学院の学生との交流は非常に新鮮だった。「数年間続いた新型コロナのせいで、学生たちが最初に交流した日本人が私だったんです。だから日本の良い印象を残さなくてはいけないと思い、とても緊張しました。日本人の日本語教師から学んだことも、日本に留学したこともないにもかかわらず、学生たちはとても流ちょうな日本語で話し掛けてくれて、その努力と上達ぶりに深く感心しました」。交流の最後、荒井さんは新しくできた中国の友達へ、日本に来たときにはぜひとももてなしたいと述べた。 

「4年前にPanda杯に投稿したのは、自分の気持ちを整理するためでした」。そう語るのは貴州大学で日本語教師をしていた作間温子さん(31)だ。新型コロナによって任期があと半年残っていたのに日本に戻らなくてはならず、以降はオンライン授業で進めたため、未練が残る結果になった。「当時は作文で自分と中国の縁を書き残したいという思いしかなかったです。まさかその4年後に再び中国に来られるなんて。ウイーチャットのモーメンツに久しぶりに成都での体験をアップしたところ、瞬く間に昔の学生たちから『いいね』をもらいました。今回訪中したことで、中国との距離が改めて縮み、まだ多くのことで中国との友情が続けられると実感しました」 

「訪中交流は楽しさだけを求めるのではなく、今後により多くの協力の機会をつくるのが大事です」。数え切れないほど中国に来ている木村吉貴さん(36)は、団員たちとの会話でよくこの言葉を口にした。そして自身もその交流理念に基づいて行動した。日本語学部の学生との交流で、学生たちが卒業後の進路に悩んでいることに気付くと、自身が所属する北海道医療大学と成都外国語学院との間に交流のルートを結ぶことができるとすぐに提案した。「帰国したら真っ先に本校の看護福祉学部の資料をまとめて成都外国語学院に送ります。学生たちにはより多くの選択肢があってほしいです」 

友好の種を育み、未来へより多くの協力の果実を実らせ、より多くの若者が中日友好事業に積極的に関わるよう奨励することはPanda杯不変の初心だ。2014年の受賞者で、習近平国家主席から返信をもらった中島大地さん(31)は現在、出版業界で働き、Panda杯と中日交流の経験に基づく小説を執筆した。その小説は日本で暮らす中国人高校生が主人公で、中国で流行している曲やグルメなど多くの中国要素が取り入れられている。交流の場所としてのPanda杯の役割について、自身の経験を交えてこう話す。「訪中交流で中国の友達がたくさんできたことも、視野が広がったことも、人生でかけがえのない貴重な宝物となりました」。15年受賞者で現在大学教員の讃井知さん(31)も、Panda杯の訪中旅行で新しい発見をし、多文化共生などにより関心を深めるようになったと語る。 

駐日本中国大使館の施泳公使は今回のPanda杯壮行会で、「ますます多くの日本の若者がPanda杯に参加し、中国の若者と手を取り合って友好の使者となり、中日友好の木に絶えず果実を実らせることを期待しています」と語った。公使が寄せた期待のように、新たな10年に向けて、Panda杯はこれまでと同様、日本の若者が中国に近づき、中国を理解し、中国を知るプラットフォームになるだろう。 

人民中国インターネット版

 

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