手塚治虫の助手黒川慶次郎 中国の若き創作者にエール

2024-07-22 15:05:00

葛偉=文写真提供

JR高田馬場駅早稲田口から高架下まで『鉄腕アトム』の壁画が続いている。さらに同駅の発車メロディーもまた『鉄腕アトム』のテーマ曲だ。この駅が日本漫画界の巨匠手治虫ゆかりの地であることがうかがえる。それもそのはず、手は1968年に高田馬場で株式会社手プロダクションを設立し、氏の漫画もこの地の顔となっている。 

実は筆者は高田馬場に、育英学堂という日本の大学を受験する中国人高校生向けの塾を構えているのだが、その塾の賃貸人が手治虫の助手だった黒川慶次郎さん(81)だ。黒川さんは日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』の制作に参加した、日本テレビアニメ業界の先駆者の一人であり、後に『W3』『リボンの騎士』『巨人の星』『ムーミン』、劇場映画『ルパン三世』などのプロデューサーを務めた、有名なアニメプロデューサー兼作家でもある。黒川さんのオフィスはうちの塾の上だ。そのようなアニメ業界の大先輩が近所に住んでいるものだから、何かにつけていつもお邪魔させてもらっている。黒川さんはとても気さくな方で、われわれの取材も快く受けてくれた。 

葛偉 黒川さんがアニメ業界に入ったきっかけはなんでしょうか? 

黒川慶次郎 私が若い頃、日本は戦後でした。当時テレビが出てきたばかりで、テレビ番組という概念はなく、アニメ業界もありませんでした。その頃、映画とテレビの発展を見て、自分もその仕事をしたいと思いました。ちょうどそのとき、手塚治虫さんがアニメ制作会社を立ち上げることを聞き、履歴書を出したら、手塚さんの助手として採用されました。 

テレビアニメの制作なんか当時誰も分からなくて、全ての仕事は手探りでしなければならなかったです。テレビで放送される30分1話の動画を作るのに、300~400人の共同作業が必要です。原画や脚本や音楽など、一人で 

はこなせない仕事量です。それが仕事の細分化と結び付いて、徐々に専門的な人材を作り上げていきました。私たちも模索しながらようやく一つの作品を仕上げたのです。私が最初にやった仕事は、先輩の作品に線をなぞることでした。同期の多くは、現在この業界の先輩として活躍しています。

(筆者注:黒川さんの同期は富野由悠季氏、浦上靖夫氏、平田敏夫氏、林重行氏、北野英明氏、明田川進氏ら全員日本アニメ業界の大御所) 

 手塚治虫氏は日本アニメの創始者ですが、手塚氏の助手だった黒川さんにとって氏はどんな方でしたか。 

黒川 手塚さんを一言で表すと、「大きな巨人」です。一般的に漫画家は自身の代表作を持っています。例えば、鳥山明さんなら『ドラゴンボール』、高橋陽一さんなら『キャプテン翼』を連想します。でも、手塚さんの場合、どの作品が代表作なのか言えないです。手塚さんは生涯に700作品を生み出し、約15万枚の絵を描いています。作品も各種テーマに及び、アイデアが無限に湧いていたようでした。 

手塚さんは医学部出身で、大阪帝国大学附属医学専門部を卒業しています。若いとき戦争を経験しましたので、人の死をよく目にしました。そのため、手塚さんの多くの作品には哲学的な考えが含まれています。最も代表的な作品は『火の鳥』でしょう。この作品は未完成ですが、手塚さんの考えを集大成した作品と言えます。 

私たちから見れば、手塚さんは漫画家にならなくても医者として衣食住に困らなかったでしょうが、当時は先が見えないマンガアニメの道を選んでいます。でも、手塚さんは自分の考えをマンガの形で表現したかったのでしょう。ですから、「大きな巨人」としか言い表せないと思います。 

 黒川さんが手掛けた作品の中で、一番満足しているのはなんですか? 

黒川 ほとんどの作品に満足していますが、もちろん好きの度合いは違います。一番好きな作品は、『ムーミン』です。北欧の児童文学作家トーベヤンソンの絵本を原作にし、作風も非常に斬新な作品です。また、日本のマンガアニメ史上、海外の児童文学を原作とした初のアニメ作品でもあります。 

 黒川さんはかつて上海大学と浙江大学の教壇に立ったことがありますが、中国に対する印象はどうですか? 

黒川 私が中国の大学で講師として働いていたのは1996~2003年までで、中国の学生はとても優秀ですが将来何をしたいのかよく分からない印象を受けました。先輩たちはどんな仕事をしているのかと聞いたら、映画会社に就職して、映画のポスターに色を塗る仕事をしていると教えてくれました。でも、マンガアニメは基本的にみんな好きでした。 

中国は将来的にマンガアニメ産業の巨大なマーケットになると感じました。その頃はまだできていなかったので、私たちがそのマーケットを作ろうと思いました。2000年以降は中国に長期的に滞在して、中国の各地へ行ったり、中国と日本の共同制作のアニメ映画を作ったりして、2009年には上海で講演もしました。 

 今どんな仕事に携わっていますか。 

黒川 ここ数年、コロナウイルスの影響で海外に行く機会が減りました。今は主に池沢早人師さんの『サーキットの狼』の著作権を管理しています。また、昔の仲間と漫画塾をやっています。主にマンガとその制作の流れに興味を持つ中国や東南アジアのネットユーザーに向けて、日本のマンガ制作の流れとエピソードをオンラインで説明します。今第1回を制作中で、中国語版も同時にBilibili(中国の動画プラットフォーム)に投稿されます。 

 日本のマンガアニメ業界では、多くの若者が低収入の底辺労働者で、有名作家になる人は非常に少ないです。それを見て、この業界で働きたいと思っている多くの若者がしり込みしています。この状況についてどう思いますか? 

黒川 この業界の先駆者として、このことはもちろん知っています。確かに現状はその通りです。この問題にはさまざまな原因がありますが、一つの主な原因は、アニメ番組制作における重要なクライアントはテレビ局で、テレビ局がプロジェクトを立ち上げてからアニメ制作会社に企画制作を依頼するという構図があるからです。しかし近年、テレビの視聴率が年々低下しており、テレビを見る人が少なくなり、人々の趣味も多様化した結果、テレビ局もアニメ制作にあまり資金を出さなくなってしまい、アニメ制作会社も人件費を削るため、一部のコンテンツを中国のアニメ制作会社に委託するなどしかなくなっています。そのため、現在のマンガアニメ産業は若者には厳しいです。 

ところで、趣味の多様化によって、テレビを見る人は減りましたが、お金を払って動画サイトでアニメを見る人は増えています。中国にはBilibiliやWeTVなど、海外にはNetflix(ネットフリックス)やDisney+(ディズニープラス)などのプラットフォームがあります。昨年Netflixが制作した浦沢直樹さんの『PLUTO プルートゥ』の原作は、実は手塚さんの『鉄腕アトム』にある『地上最大のロボット』なんです。その内容は非常に奥深く、手塚さんらしさが出ています。これからこのような動画プラットフォームが台頭するとともに、作品にお金を出してもいいという人が集まり、より多くの優れた作品が作られると思います。 

 マンガアニメが好きで、アニメ監督を目指している中国の学生に何かアドバイスはありますか。 

黒川 手塚さんが以前おっしゃっていたことですが、アニメ監督になるための一番良い習慣は、良い映画をたくさん見て、良い音楽をたくさん聞いて、良い絵をたくさん鑑賞することです。つまり、自分のものを作り出すには、数多くのコンテンツをインプットしなければなりません。それらの優れた作品は、シーンに対する記憶を豊かにしてくれますので、創作時にそれらの記憶が自然に湧いてきます。 

もちろん、優秀なアニメ監督はそう簡単になれるものではなく、10年に1人いれば良い方です。 

 優秀なアニメ監督といえば、近年、新海誠監督の作品、例えば『君の名は』『天気の子』『すずめの戸締まり』などは人気が非常に高いです。昔のアニメ監督の作品と比べると、これらの作品の表現内容は少し異なっていると感じますが、黒川さんから見て、ここ数年人気のある作品は以前の作品とどういうところが違うと思いますか。 

黒川 新海誠監督の作品はリアリティーを非常に重視していますので、その映像は風景映画のようにきれいで、リアルです。動画にならなくても、きっと美しい作品に違いないです。でも、戦争を経験した先駆者たちの作品と比べて、人間の死生観、戦争への反省といった哲学的な部分の表現にはあまり関心がなく、映像の美しさと個人的な感情の表現を重視していると思います。それは時代が変わり、現在の観客がこのような映画を好むようになったからでしょう。 

(筆者注 新海誠監督の作品の他に、近年、日本の有名なアニメ映画は、『名探偵コナン』『ドラゴンボール』『鬼滅の刃』などがあり、いずれも100億円以上の興行収入を記録し、最近の劇場版『機動戦士ガンダムSEED』も興行収入40億円を突破している。これらの作品は深い哲学的な問いを求めず、映像美と音楽の伝達力に焦点を当てているかもしれない) 

 黒川さんの著書『ディオニソスの子供たち』(三浦麗名義)を拝読しましたが、日本の元レーシングドライバー高橋国光氏をモチーフにした物語だと思いました。 

黒川 そうです。高橋さんは日本のレース界の伝説的な人物で、世界的にも有名なバイクレーサーです。日本国内で四輪レースに転向してからも、好成績を残しました。本田宗一郎さんに頼まれて、ホンダチームに移籍し、1970年代以降は日産で活躍し、ずっとポルシェチームと競い合ってきました。日本では大変伝説的なレーサーです。 

その本は高橋さんの前半生をベースに書いたものです。時間があれば後半生についても書きたいと思っていましたが、残念ながら、高橋さんは2022年に他界しましたので、書いても本人が読むことはできません。 

 今後また中国に来ますか? 

黒川 もちろんです。中国に対してとてもいい印象を持っています。常々思っていることですが、国と国との間には政治と経済的な紛争があるかもしれませんが、一時的に関係が悪くなることは当たり前です。でも、文化には国境がありません。マンガアニメは日本から生まれたものですが、一国だけの文化と見なしてはいけません。手塚さんは、中国の万籟鳴氏の『鉄扇姫』というアニメも参考にしていました。手塚さんは10代の頃にそのアニメを見たときから、ずっと感銘を受けていたのです。そして、いつか日本もこんな素晴らしいアニメを作れたらと思い、マンガアニメ制作の道に進んだのです。手塚さんは万籟鳴氏を自分の精神的な恩師としていました。ですから、それぞれの長所を吸収し、絶えず改良し、人々に好まれる内容を作ってこそ文化だと言えます。中国には巨大なマーケットがあり、もちろん独自の好みと文化もありますから、独自のマンガアニメを制作してほしいと強く望んでいます。体調の許す限り、機会があれば、ぜひ中国に行きたいです。 

人民中国インターネット版

 

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