無形文化遺産の若き継承者

2024-05-17 11:58:00

段非平=文 

国は世界で無形文化遺産が最も多い国であり、全国各地にある各レベルの重要な無形文化遺産は10万件を超える。そのうち、江蘇省昆山地方の伝統歌劇昆曲や影絵芝居の皮影劇、太極拳など43件がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産として登録されており、その数も世界第1位だ。 

しかし、その伝統文化技術の継承のほとんどは、家族や師弟による伝承に頼っている。もしくは、長く「秘伝」とされて誰にも知られていないか、高尚過ぎて継承者の力が及ばないためか、多くが途絶存続の危機にひんしている。そんな中、喜ばしいことに、近年はますます多くの若者が無形文化遺産が持つ独特の魅力を感じるようになり、はつらつと生気あふれる若者たちが、革新的な芸術表現により古い技術芸能の新たな物語を語っている。 

大胆な革新こそ伝統を守る 

無形文化遺産の主な継承者は、国が認めた無形文化遺産の技と芸術の守護者だ。古い世代から重責を受け継いだ若い継承者たちは、今では伝統を堅守すると同時に、伝承の新たなビジョンを持っている。 

「実は学生時代、母親は私に『継承』の考えを植え付けようとしていたんです。でも当時、私は母の切り紙細工の継承を拒んでいました」。広州切り絵細工の継承者の練暁紅さん(34)はこう振り返った。大学卒業後、練さんはゲーム会社に勤めた。ところが数年後、母親の代わりに切り絵を教えることになり、初めて切り絵を継承する考えが芽生えた。 

「あの日は母の体調がすぐれず、代わりに私が切り絵の授業に出ました。ところが教室で、子どもたちが伝統文化にとても熱心なのに気付き、彼らの目が輝いているのを見たのです。帰宅後、もし無形文化遺産の継承者の子である私が母親の技を受け継がなければ、将来子どもたちは、博物館の陳列ケースの中でしか切り絵細工を見ることができなくなってしまう――ずっとそう考え続けました」 

その後、母親が『丹鳳朝陽』(赤い鳳の丹鳳(タンポウ)と朝日、めでたい意味)という切り絵作品の創作時に、何度も作り直す姿を見て、練さんは今本気で切り絵の無形文化遺産の継承に身を投じようと決意した。「作品は十分に精巧でしたが、丹鳳の尾羽の毛が美しくなびいていないという細かなことを理由に、母は5回も作り直したのです。その執念に感動し、無形文化遺産を伝えるためにあれほど打ち込んでも、なぜ何の恨みや後悔を抱かないのか――私も分かりました」 

無形文化遺産の継承者となった練さんは、母親と共に切り絵作品を作り、その出張講座にも参加する他、文化クリエーティブデザインのチームを立ち上げ、無形文化遺産の商品化について刷新し始めた。切り絵芸術に人生をかけた母親と異なり、練さんは切り絵の活用先のさらなる広がりを重視している。練さんはチームを率いて、アロマ切り絵キャンドルや拡張現実(AR)切り絵カレンダー、切り絵衣装などの商品を開発し、無形文化遺産のより近現代化、若者化を図っている。 

AR切り絵カレンダーは、練さんの文化クリエーティブチームの代表作品だ。このカレンダーは、陰暦の季節を表す二十四節気をタイムラインに、一つの節気のページをめくるたびに、中国の伝統建築の切り絵が出て来る仕組みだ。スマホのAR機能を使って建物の切り絵をスキャンすると、AR動画がポップアップし、その節気の由来を説明してくれる。 

初回制作分の10万冊は、1111日の「独身の日」セールの発売開始から1時間以内に売り切れ、練さんにとって大きな励ましとなった。その後、練さんと男性向けアパレルブランドが提携し、切り絵の要素をファッションデザインに取り込んだ。 

普通、切り絵は単色だが、服装のデザインをより豊かにするために、デザインチームは重ね刷り方式を採用。最後に「カラーの切り絵」が現われるスタイルにした。「このデザインの衣料品はよく売れて、しかも顧客のほとんどが若者です。私たちはさまざまな革新を行っており、その目的は若者の興味を引くためです。若者は無形文化遺産継承にとって重要な力です。彼らに受け入れられて初めて無形文化遺産はより長く、より遠くへ受け継がれていきます」と練さんは力を込めた。 

      ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ ◇ ◇  ◇ 

練さんと同じように、「90後」(1990年代生まれ)で透かしが入った玲瓏磁器の伝統技術の継承者である呂雅さん(30)も、絶え間ない革新を通じて多くの人々に無形文化遺産を理解してもらい、好きになってもらっている。この他にも呂さんは、玲瓏磁器を海外に広め世界にその美しさを紹介するという高い目標を自らに課した。 

玲瓏磁器は江西省景徳鎮の四大名磁器の一つで、「穴だらけだが一滴も水漏れしない」という表現が、この磁器にぴったりのイメージだ。玲瓏磁器が採用しているのは破壊的な工芸技術と言われる。まず完成した磁器に小さな穴を彫り、上薬(うわぐすり)を塗り込め、絵付けをした後に焼成するもので、その制作は非常に難しい。そのため、玲瓏磁器の技術は数百年にわたって受け継がれてきたが、現在に伝わる作品は少なく、その知名度も低い。 

陶磁器作りの家系に生まれ、小さい頃から陶磁器芸術の薫陶を受けた呂さんは、早くから「青年職人」の称号を受けた。また長年にわたる海外留学の経験により、その視野も大きく広がった。呂さんは、伝統を打破して革新するという試みを常に続けてきており、現代人の美的感覚に合った作品作りを通じ、この昔ながらの技が広がることを願っている。 

呂さんは、絶え間ない上薬の調整や100回以上もの焼成テストを経て、ついにカラーの玲瓏上薬を創り出した。また、飲むことも回転させることもできる「こまコップ」や、倒れない「起き上がりこぼしカップ」などの革新的な商品をチームと一緒に創り出してきた。 

「日本で開かれた国際展覧会に参加したとき、多くの外国人ゲストやサプライヤーがみんな玲瓏磁器を気に入って手放さず、どうやって創り出したのか、どうしてこんな絶品が今までなかったのかと、ずっと私は質問を受けました。世界の舞台で外国人に玲瓏磁器の魅力を示すことができ、これまでになかった誇りを感じました」と呂さんは胸を張った。 

その後、呂さんは玲瓏磁器の製品を数十カ国地域に向けて販売し続けた。呂さんによれば、無形文化遺産の技術を使った商品をより海外に広めるためには、まず外国の風土や人の気質を知ることが必要だという。さらに中国の伝統的な要素との結合を通じ、外国の美的感覚に合致する作品を創り出さなければならないという。「私は、もっと多くの国の人々に玲瓏磁器を知ってもらいたいし、今後も引き続き世界に向けて中国磁器の魅力を発信し、中国文化の物語を語っていきたいと思います」 

123下一页
関連文章