清らかなナシの花咲く 項羽と劉邦「決戦の地」

2024-06-18 16:30:00

花の香りもたらす春風 

広大なナシの花の海で 

清明節の時期、山県内では40万ムー(1ムーは約0067)以上のナシの花が争うように咲き乱れる。その間をそぞろ歩くと、真っ白な花が雲や雪のように視界全体を覆う。 

また年に一度の山県の梨花祭の時期がやって来た。花の海で写真撮影をしようと漢服を着た観光客が絶え間なく訪れる。秋の収穫が便利になるように、ナシの木の枝はほとんど低く切りそろえられているため、観光客は見上げることなく美しい花の風景を楽しめる。 

今年の第29回梨花祭で、地元の人たちは続々とやって来る観光客のために、さまざまな民俗や無形文化遺産のパフォーマンスを準備した。数人の青年がナシの花の下でチャルメラを吹き、舞台衣装の役者が降りしきる花びらと共に地元の伝統劇「四平調」を歌う。花柄の服を着た地元の人は、竹馬に乗って、歌い踊りながら「竹馬旱船」のパフォーマンスを行う。 

これらの伝統芸能やストリートダンス、エレキギター演奏、漢服ショーなど、市民が自ら進んで行ったパフォーマンスは、山県独自の花見の方法となった。 

ナシの木の王様 

「これは私たちのナシの木の王様です。樹齢300年以上で、現在、年間生産量は1500にも達しています」。山県副県長の許雷侠さんがそう言って、数人でやっと抱えられるほどの太さのナシの木の前に足を止めた。 

「先日、果実栽培の農家が授粉をしました。花蕊(かずい)が黒くなっているのが授粉を終えた花です」。許さんが、低く垂れている一本の枝を丁寧に支え、花蕊を指しながら説明してくれた。 

中秋節の前後になると、これらの授粉したナシの花は皆、果肉たっぷりの黄金色のナシになる。その頃は農家が一番忙しい時期でもある。 

だが、許さんにとって、多忙の序曲は春節後から既に鳴り始めていた。梨花祭の準備作業のような大きな仕事もあれば、観光エリアの渡し舟の積載能力の確認、清掃作業、観光客のおもてなしなど細々とした仕事もある。仕事の大小を問わず、全て厳密にチェックしなければならない。 

「『山のナシの皮は薄くて、地面に落ちたら見つからない』とよく言われます。山のナシは実が大きくて種が小さく、皮が薄く、ジューシーで、さくさくとして甘いことで有名です。薬用の価値も高くて、古代の薬物書『本草綱目』では、『果物の中では甘露のようにみずみずしくおいしい、薬の中では醍醐のように貴重である』とたたえられています」。このように、彼女は毎日何回も観光客に説明している。 

「ナシで作ったシロップを毎日飲んでいます。そうしないと喉が耐えられなくなってしまいます」 

漢方では、ナシは熱を下げ、喉を潤すといった効果があると考えられている。山のナシを煮込んで作ったシロップは人を魅了する琥珀色だ。一口飲めば、清らかな甘味の中にナシの香りが包まれた液体が喉に入り、潤いと涼しさを感じられる。 

「梨を食べませんか。甘いですよ!」。ナシの木の下で、農家の人が、小さなザボン大のナシを籠から取り出し、熱心に呼び掛けていた。近年、鮮度を保つ技術や運送技術などがどんどん発展し、ナシの保存と輸出は大いに便利になった。現在では、四季を通じて、全国各地で甘くておいしい山のナシが購入できる。 

遠くまで知れ渡っているナシのほか、山ではアンズ、サクランボ、ネクタリン、オウトウなど各種の果樹が植えられており、果樹園の面積は100万ムーに上っている。山のオウトウの缶詰めは、日本、韓国、米国、フランスなどにまで輸出販売され、世界に向かう宿州の新たな「名刺」となっている。 

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 天高くそびえる古木のある蕭県の皇藏峪から、春風が遠く離れた香りをもたらす山の梨花祭まで、歩んでみると、昔から今まで途切れず前進発展してきた町の筋道を目撃したような感じがする。1000年前の古い河は、中原の中心地と江南の豊かな地域をつなぎ、チャンスと発展をもたらす黄金の水路となった。1960年代末、淮河の整備のため、宿州の人々は、町の北部に古い河にほぼ並行する新しい川を掘った。現在、その新しい河の両岸には緑地帯が広がり、川をまたぐ大橋には車両が絶え間なく往来している。それはかつて古い河に船や車が集まっていた光景と重なり、この町の1000年変わらない活気に満ちた生命力を人々に伝えているようだ。 

 

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