千年の時超え残る古建築 独特な各種麺料理に舌鼓
舌で感じる炭水化物の天国
応県木塔の見学を終えた後、観光エリアの正門を出ると斜め向かいにあるのが、地元で有名な「応県涼粉店」だ。
応県涼粉は、ジャガイモのでんぷんを使って作られる滑らかでコシのある半透明の伝統的な軽食。地元の人々は「涼粉は『こする』ことでその神髄が引き出される」という。
店に入って注文を済ませると、店員が冷たい水から涼粉の塊を取り出し、いくつか穴の開いた丸いおたまのような専用のおろし器を使って涼粉を削り、小さな塊にしてお碗に盛り付ける。そこにゴマ油、ラー油、ネギのみじん切りなどで味付けをし、さらに干し豆腐とゆで卵を同じようにおろし器で削って加えれば、一杯の涼粉の出来上がりだ。
出来たての涼粉を手に席に着くと、隣に座っていた地元の客が「応県の涼粉は、飲むように食べるんだよ」と親切に教えてくれた。その姿をまねして、スプーンで涼粉と具材、そして調味汁をしっかりと混ぜ合わせ、スープごと口に運ぶと、非常に滑らかな口当たりで、スープの酸味と塩味が絶妙なバランスで舌をくすぐる。
朔州は寒冷な気候で、農業と牧畜業が入り交ざって発展してきた地域なので、雑穀を使った麺類が人々の食卓の定番となっている。涼粉のほかにも、耐寒性の強いオーツ麦(9)を使った麺料理も人気があり、その中でも蜂の巣のような外見をした「莜麺窩窩」は全国にその名をはせる名産品だ。
莜麺窩窩はまず、熱湯をオーツ麦粉に注ぎ入れ、注ぎながら箸でかき混ぜ、雪片状にする。少し冷めたら、手で練り上げて滑らかな生地にする。そして、生地をひとつまみ取って、滑らかな石板にこすり付けるようにして薄く延ばし、はがす動作のついでに手の指に巻き付けて丸め、立てた状態でせいろにびっしり並べていく。並べ終えたものを約10分蒸せば、熱々の莜麺窩窩の出来上がりだ。ラム肉のそぼろが入ったタレや、野菜の入ったタレにつけて食べると、その独特の風味が口の中に広がり、なんとも言えないおいしさが楽しめる。
数千年
朔州市の北東部に位置する懐仁は、陶土資源が豊富で、陶磁器製造の歴史は春秋時代(紀元前770~前476年)までさかのぼることができる。現在、懐仁は中国北方地域最大の日用陶磁器の産地の一つであり、およそ6万人が陶磁器関連の仕事に従事している。
懐仁にある億家親陶瓷有限公司のスマート生産工場に入ると、作業員の数は少なく、生産ラインではロボットアームが忙しそうに動き回っている。
「技術革新こそが伝統産業のアップグレードの鍵です」と、同社の責任者である陳臘平さんは語る。近年、同社は全自動生産ラインを20本導入し、技術装備とオート化の水準を全面的に向上させた。また、基礎実験室の強化や技術・管理スタッフの育成に力を入れ、革新能力の向上にも努めている。現在、億家親陶瓷有限公司は年間1億個以上の日用陶磁器を生産し、12項目の特許を取得している。
一方で、こうした技術革新と並行して、手作り陶磁器の伝統技術も受け継がれている。
懐仁出身の李増平さん(65)は、一族の中で4代目に当たる磁器職人で、人生のほとんどを「窯変釉」の研究にささげてきた。
「窯変釉」とは、陶器を焼く過程で、温度や湿度、釉薬の配合などの影響で、釉薬の色が予測不可能な変化を遂げる技法で、「入窯一色、出窯万彩」(窯に入れるときは一色だが、窯から出すときは多彩になる)という神秘的な効果が得られる。
この予期できない変化のために、窯変釉の焼成は成功率が低く、廃棄になることも少なくない。李さんも、幾度となく失敗を重ねてきたが、長年の試行錯誤の末、ついに窯変釉の技術を確立した。
60歳を過ぎた今でも、李さんは毎朝8時半には必ず作業場に姿を現す。「この仕事は根気がなければできません。やりたがる人が少ないんですよ」。それでも、彼にとって喜ばしいのは、息子の李瑞峰さんと娘の李瑞妮さんが、すでにこの技術を受け継ぎ、5代目の陶器職人として活躍していることだ。さらに、朔州陶瓷技術職業学院とも協力関係を結んだ。「もっと多くの学生にこの芸術を伝えていきたいですね」と李さんは未来への希望を語った。
途絶えぬ窯の火
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