串焼き味わい聊斎を聴く 窯火と瑠璃きらめく古都
悠久の斉文化の系譜
周村古商城にある「旱碼頭(陸の港)」の扁額を掲げる牌楼。これは、内陸の商業拠点として栄えた周村古商城の別称だ
淄博の歴史は、およそ8000年前の新石器時代・後李文化にまでさかのぼることができる。西周時代(前1046~前771年)には、諸侯国である斉がここに都を置いた。やがて春秋時代(前770~前476年)になると、周王朝は衰退へと向かい、諸侯は互いに争い、覇権を競い合った。
まさにこの時期、斉国は周辺諸国の侵入を防ぐため、後に「斉の長城」と呼ばれる軍事防御施設の建設に着手した。斉長城は、中国に現存し、かつ明確な遺構が確認できる最古の長城であり、1987年には世界文化遺産に登録された。学界では、その建設は春秋期に始まり戦国期に完成したとされ、前後170年以上を要したと考えられている。その歴史は、最も著名な北京の長城景勝地である八達嶺長城(明代長城)よりもおよそ2000年も古い。

淄博市内に残る斉長城の遺構は、主に市南部に分布し、全長は約110㌔に及ぶ。初夏の陽光が長城を柔らかな色に染め、山麓には村々が点在し、緑豊かな林が広がる。静かにたたずむ斉長城は、この地が戦火の時代を越え、安らかな風景へと移り変わってきた歴史を、黙して見守り続けている。
火と土が生み出す芸術
斉長城の麓に位置する博山区顔神鎮では、毎週火曜日から金曜日にかけて、見事な瑠璃吹きの技が披露されている。職人は1㍍以上もある吹き竿を真っ赤に溶けた瑠璃の中へ差し入れ、回し、引き上げ、再び回転させる。すると粘性のある瑠璃があめ細工のように竿に絡みつく。取り上げた瑠璃を台の上で均一に転がしながら冷ましつつ、竿を回転させ、反対側から息を吹き込んで膨らませ、さらにピンセットで細やかに形を整えていく。その一連の流れるような動きに、見学する観光客からは驚きの声が絶えない。
博山は「瑠璃の里」として知られる。元末明初には21基の古い瑠璃窯が存在し、中国における最初期の大規模生産拠点とされている。清代には、淄博の職人たちがしばしば都へ召され、「御用職人」として宮廷向けの瑠璃器を制作した。
瑠璃と陶磁はいずれも、火と土が生み出す芸術である。科学史の分野では、世界最古の瑠璃は、陶工が釉薬を施す過程で偶然発見されたものと考えられている。また古来、瑠璃の生産は陶磁と密接に結び付いて発展してきた。

後李遺跡から出土した土器の研究によれば、すでに紀元前6000年以上前には、淄博の先民が砂を混ぜた丸底土器を製作していたことが確認されている。
さらに顔神鎮は、淄博地域における重要な陶磁の生産地でもある。史料によれば、明・清時代(1368~1912年)には、この地に170基以上の円窯が存在し、博山六大窯場の中でも最大規模を誇っていた。ここで焼かれた雨点釉や茶葉末釉などの名高い陶磁器は、国内外で高い評価を得ていた。新中国成立後には、当時国内最大規模を誇った山東博山陶磁工場もここに設立された。
今日の淄博は、いわゆる「博物館ブーム」の波に乗り、陶磁や瑠璃に関する多様な博物館を通じて、生きた地域文化の展示ネットワークを築き上げている。
「まず手に持っている道具で、小さく土を切り取ってみましょう」。淄博陶磁瑠璃博物館の体験ホールに入ると、陶芸の講師がろくろ成形や造形の方法を実演している。十数人の子どもたちが長机の両側に並び、真剣な表情で一つ一つの工程を追っている。
「以前は淄博に来ても、景色を見たり食事を楽しんだりするだけでした」。隣市の浜州から娘を連れて訪れた張さんはそう語る。「今では博物館見学も欠かせないものになりました。歴史的な文化財や質の高い展示を鑑賞できるだけでなく、さまざまな体験プログラムもあり、私も子どももとても気に入っています」
山東最大級の生糸取引市場
春秋戦国時代、斉の都・臨淄は中国随一の工商業集積地であり、手工業が極めて盛んであった。その後、同地域の各地はそれぞれ異なる発展の道を歩んだが、中でも周村は厚い手工業の基盤と交通上の優位性を背景に、やがて北方屈指の商業都市として栄えた。
現在の周村古商城は、大街・絲市街・銀子街の3本の古い商業街から成る。絲市街と銀子街の交差点には六角形の石碑が立ち、「今日無税」の4文字が刻まれている。この石碑は、周村の商業発展に大きく貢献した歴史人物・李化熙の逸話を伝えるものである。
1654年、清朝の重臣であった李化熙は官職を辞して帰郷し、周村で一部の豪商が市場を独占し、さらに官府が名目を設けて過重な税を徴収しているため、正常な取引秩序が維持できなくなっている現状を目の当たりにした。そこで彼は自ら市場の税を全て負担し、石碑を立ててこれを告示した。その結果、周村は中国史上初の「免税区」となったのである。「免税」は全国各地の商人を引き寄せ、周村は一躍、全国的に名の知れた商業都市へと発展した。
一般に山東省は小麦など乾燥に強い作物を中心とする農業大省という印象が強く、養蚕は江南の水郷に多いとされる。しかし実際には、斉国の時代から桑を植え蚕を飼うことは当地の重要な生業であった。数千年にわたり、周村産の絹はシルクロードを通じて中央アジアや欧州へ運ばれると同時に、蓬莱や青島の港から海外へも輸出され、陸と海のシルクロード双方の重要な結節点となっていた。明・清時代には、全長730㍍に及ぶ絲市街は山東最大級の生糸取引市場として繁栄した。
今日、石畳の道を歩けば観光客が絶えず行き交い、沿道には整然と並ぶ灰色れんがの建物が続く。大染坊や瑞蚨祥、英美煙草公司など、かつて名をはせた商舗の旧跡が軒を連ね、往時の商人が集い車馬が絶えなかった盛況を思い起こさせる。
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