歴史をかがみに台湾問題の復習を

2024-05-31 16:31:00

虚構の「台湾有事」論の復習 

次に復習が必要なのは「台湾有事」論です。現在の「台湾有事」論の主な発端は、2021年にさかのぼります。 

(1)21年3月2日、米上院軍事委員会でハーバート・レイモンド・マクマスター将軍(元トランプ政権国家安全保障担当大統領補佐官)が「22年以降が台湾にとって最大の危機を迎える時期になる」と警鐘を鳴らす。 

(2)3月9日、4月末に退任を控えたフィリップ・デービッドソン米インド太平洋軍司令官が「彼ら(中国)は、ルールにのっとった国際秩序におけるわが国のリーダーとしての役割に取って代わろうという野心を強めていると私は憂慮している。50年までにだ……」と発言。「台湾がその野心の目標の一つであることは間違いない。その脅威は向こう10年、実際には今後6年で明らかになると思う」と語る。 

(3)3月23日には、インド太平洋軍司令官に就くジョン・アキリーノ海軍大将が上院軍事委員会の指名承認公聴会で「この問題(中国の台湾侵攻)は大方の想定よりも間近に迫っている」と証言。  

日本のメディアはこれらの発言をその都度大きく報じ、中国の「台湾侵攻」が一気に「現実味」を帯びて論じられるようになったのでした。ただし、最も重要な、その根拠が問われることなく、でした。また、デービッドソン将軍が、オーストラリアと日本に配備予定のイージス・システムに加え、攻撃兵器に予算をつけるよう議会に求めた(AFP通信21年3月10日)ことは顧みられることはありませんでした。 

根拠が語られないこと、あるいは軍事予算を増額、拡充するよう注文を付けるといった経緯を冷静に見据えれば、一連の「台湾有事」論はまさしく「つくられた有事論」であり、「虚構」であることが分かるものでした。現に、米軍制服組トップのマーク・ミリー統合参謀本部議長は、同じ年の6月17日、米議会上院歳出委員会の公聴会で、中国が台湾に軍事侵攻する可能性を巡って、台湾は依然として中国の核心的利益として位置付けられているが「軍事的に行おうとする意図や動機は現時点でほとんど見られない」と述べて「近い将来に行われる可能性はおそらく低い」と証言したのでした。 

こうして復習すると、その後日本で政治家や戦略研究者によって繰り返し語られる「台湾有事」の浅薄さが見えてきます。 

そして、この稿の筆を執る直前の5月17日、米国のエマニュエル駐日大使が与那国島、石垣島を訪問したニュースが伝えられました。駐日大使が米軍機で南西諸島の民間空港に降り立ったという「衝撃のニュース」でした。 

ここで思い起こすのは21年末、共同通信が伝えたスクープです。 

「台湾有事、南西諸島を米軍拠点に」という見出しのこの記事は「複数の日本政府関係者」の証言を基に「(台湾)有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県から沖縄県の南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置くとしており、住民が戦闘に巻き込まれる可能性が高い」と伝えました。さらに「年明け(22年)の外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で正式な計画策定に向けた作業開始に合意する見通し」としました。端的に言えば、「台湾有事」を想定した日米両軍による「戦争計画」というべきものです。 

日米同盟が「対中国軍事同盟」化の色を濃くしながら一段と強化、加速するという、日本にとって大きな歴史的「転換点」に私たちが立ち至っていることを告げ知らされたのでした。 

日中関係に関わる復習とは 

そこで、日中関係における復習です。 

1972年9月29日北京において署名された「日中共同声明」では、第2項で「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」とし、続く第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」としたことはすでによく知られていることです。 

「ポツダム宣言」の第八項においては「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルべク」と規定していて、その「カイロ宣言」では、台湾、膨湖諸島は「中華民国」(当時)に返還することが記されていました。中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府と承認するのであれば、カイロ宣言にいう「中華民国」とは中華人民共和国が継承したことになり、カイロ宣言の履行をうたっているポツダム宣言第八項に基づく立場とは、中華人民共和国への台湾の返還を認める立場を意味するという論理になります。重要なことは、台湾が中国唯一の合法政府・中華人民共和国政府に返還されるのを日本が認めるということは「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」は認めない、すなわち、日本が中国の内政問題である「台湾」に介入することがあってはならないという認識を日中で共有したことにあります。今になって、「理解」したことは「同意」したことを意味しないなどという、まさに三百代言さながらの「言い訳」がまかり通る現在の日本の世情に、今こそ、前述の「上海コミュニケ」と合わせて真摯に復習することを迫られていると痛感するのは筆者だけではないと思います。 

米国の戦後世界戦略に関して 

こうして復習を重ねてきて突き当たるのは、「台湾問題」とは詰まるところ、第2次世界大戦後の米国の世界戦略に深く根差す問題だということです。 

49年10月1日の中華人民共和国成立からそれほど時を経ていない50年1月、米国のトルーマン大統領が、米国は中国に介入せず、今後、国民党政権に対する軍事援助や助言などを行わないとする「中国内政不介入声明」を発しながら、その後一気に反転していく過程について復習することはほとんどないと言ってもいいでしょう。さらに、51年10月、当時の吉田首相が国会で「上海に在外事務所を設置することを検討している」と答弁したことを巡って米国の強い「反応」を呼び込み、12月に当時の米国のダレス国務長官に宛てた「吉田書簡」を出さざるを得なくなったこと、そして、翌52年4月に「中華民国」を相手としていわゆる「日華平和条約」締結に至ったのは、そうした米国の「圧力」の所産というべきものだったことはほとんど記憶の外という状況にあります。 

また、日本の敗戦処理に関わるサンフランシスコ講和会議に「中華民国」を招こうという米国に、いち早く中華人民共和国を承認していた英国が反対したことで、日本は米国の指嗾の下で単独講和の道を歩み、別途、「中華民国」との間で「平和条約」を結ぶことで「敗戦処理」を済ませたという「虚構」によることになったこと、そのことが日中国交正常化への道において、どれほどの深刻な「障害」となったのかなど、私たちが改めて深く復習することがとても大事になっていると言えます。すなわち、「台湾問題」の由来、根源を知ることなく、何とどう向き合うべきなのか、何に立ち向かうべきなのか、その解決は的を射たものになり得ないということです。 

道に迷いそうになったときには、歴史をかがみとして、真摯に復習することこそが、何よりも大事だと痛感する時代状況だと考えます。 

人民中国インターネット版

 

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