「七・七」に考える戦後80年
「謝罪をどこまで続けるのか」を巡って
戦後80年を迎えて「『戦後』は終わったのか」と論題を立てて特集した紙面に「もう謝罪は不要 新秩序を」という掲題の「インタビュー稿」が掲載されました。かつて日本と中国の研究者、識者によって行われた「日中歴史共同研究」において日本側で重要な役割を果たした日本の政治外交史を専門とする政治学者の論考でした。そこでは「石破首相は80年談話の代わりに、国民へのメッセージを出す方針のようですが、もう『おわび』の要素は入れる必要はないと思います。歴史を伝えることと、いつまでも謝罪を続けることは同じではありません。戦後80年に意味があるとすれば、歴史を正しく知り、今後の日本がなすべきことを考える機会にすることではないでしょうか」と語っています。多分多くの読者が賛意を抱いたことだろうと思います。
しかし、至極「真っ当な」論点のように響きますが、冷静に考えてみましょう。謝罪が必要かどうかは加害の側が決めることのできる問題でしょうか。そうではありませんね。被害を受けた側が、加害の側の言動や立ち居振る舞いを見て、「もう謝罪はいい」と言うまで必要な態度なのです。真から、あるいは心から(同じシンという音ですが二つは繋がっています)「間違ったことをした」と思っているなら、加害の側が「いつまで謝罪が必要なのか」などと言い立てることではないのです。これは、とにかく謝っておけばいいといった無責任極まりないことを言っているのではありません。すでに、当時生まれてもいなかった戦後世代が社会のほとんどを占める時代です。そんな世代に言葉上だけで「謝る」ことを説いてもただ空虚が募るだけです。そうではなく、すなわち謝るか謝らないかではなく、中国はじめアジアの人々に対する侵略と支配の歴史に対して、戦後の時代を生きる人間としてどう責任を自覚するのかという問題なのです。それは現在および未来に向けて日本がどういう道を歩むのかという問題と切り離せない課題としてあるのです。過去たどった歴史に責任を自覚するがゆえに、現在および将来の日本のあり方に対して責任を負い、責任を果たしていく、それがここでいう責任の意味です。過去の加害の歴史に対する責任を忘れずにいることが何よりも大事だということをこそ語るべきではないのか、これでは最も大事なことが抜け落ちてしまうのではないかと感じたのでした。
石破首相の「検証」と中国・アジアのこれから
そこで、石破首相の「メッセージ」問題です。これは今年年初に国会の衆議院予算委員会で石破茂首相が、2025年が戦後80年の節目であることを踏まえて「なぜあの戦争を始めたのか。なぜ避けることができなかったのか。検証するのは80年の今年が極めて大事だ」と語ったことに端を発するものでした。さらに3月末、先の大戦の激戦地となった硫黄島を訪れた石破氏が日米合同の慰霊式に出席した後「どうすれば平和を築くことができるか、過去の検証とともに未来への思いを込めてわれわれは考えていきたい」と考えを明らかにしました。
しかし、自民党内では「首相談話」の発出に対して反対論が出るだけでなく、石破首相の言う「検証」についても強い反対論が続出しました。自民党内の反対論の旗頭となっている「日本の尊厳と国益を護(まも)る会」の主張するところは、「政府が植民地支配への『反省とおわび』を表明した戦後50年の村山富市首相談話(1995年)により『わが国の尊厳は不当に汚され国益を損なった』と批判。戦後70年の安倍晋三首相談話(2015年)で謝罪外交を終えたとして、『先の大戦の検証という重大事はわずか数カ月でできるものではない』と反対した」というものです。さらに「会」の代表を務める青山繁晴参議院議員は記者団に「『中国や韓国などに対し、わが国を非難する口実を再び与える可能性が高い』と懸念を示した」というのです(いずれも時事通信5月7日)。読みながら言葉を失いました。
石破首相が最終的にどう対処するのか、この稿の執筆時点では見通せませんが、{しん し}真摯に検証に取り組めば、日本が侵略に対する責任、加害責任に対して、どう責任を果たしてきたのかという問題と真正面から向き合わなければならなくなると言うべきでしょう。さらに、中国およびアジアの人々と手を携えて平和構築に向けての共同の努力こそが大事だということが見えてこなくてはならないはずです。つまり、現在の日本の私たちの「戦争と平和」への向き合い方が鋭く問われることになります。
しかし、例えば、中谷元・防衛相が3月末のヘグセス米国防長官との会談で「中国への対抗を念頭に、東シナ海や南シナ海、朝鮮半島を中心とした地域を一体の『戦域』としてとらえ、日米が同志国とともに防衛協力を強化する『ワンシアター(一つの戦域)』構想を伝えていた」(朝日4月15日)といった動きを目にすると、事態はまったく逆のベクトルで進んでいると言わざるを得ません。
「七・七」を契機に、過去の戦争の加害の歴史といかに真摯に向き合うのか、そのことをもとに中国・アジアの人々とどう手を携えて生きるのか、「敗戦」から80年の来月に向かう今こそ、深めて考えなければと切に思います。それが日本人としての本当の誇りと尊厳をより高める道だと信じます。
木村知義 (きむら ともよし)
1948年生。1970年日本放送協会(NHK)入局。アナウンサーとして主にニュース・報道番組を担当し、中国・アジアをテーマにした番組の企画、取材、放送に取り組む。2008年NHK退職後、北東アジア動態研究会主宰。
人民中国インターネット版
上一页1 |