おじいちゃんレンタル

2019-02-02 10:22:15

滔紅単=文 砂威=イラスト

 

 定年後の私の最大の楽しみは孫と楽しく遊ぶことで、孫のためなら何でもしたし、彼の「牛」にもなった。この日曜日、小学校に通う孫が私に一つの任務を課した。交差点の横断歩道の脇に立ち、孫の同級生が私が道路を渡るのに手を貸すと言ったら、そのまま手を引かせて渡ってほしい、というものだった。良いだろう。孫を喜ばせるためなら、子どもの「思いやり行動」を助けるためなら、私は道端のほこりを吸っても構わない。

  車が行き交う交差点にたどり着いた時、足を休める暇もなく、2人の赤いネッカチーフを巻いた子どもが私の左右に現れ、「おじいちゃん、道路を渡るの? ここは車が多くて危ないから、僕たちが手を引いてあげるよ」と言った。私の答えを待たず、このほほ笑みを浮かべて奉仕する2人の子どもは、待ちきれないとばかりに私の手を引いて道路の向こう側に連れて行った。

  子どもは引いていた手をはずすと、敬礼をして「おじいちゃん、ありがとうございました。さようなら!」と言って駆け去った。私が「どうしてお礼を言うんだ」と訝しく思っていると、また2人の新顔のネッカチーフの子どもがやってきて、同じようなほほ笑みを浮かべて、甘い言葉に加えてこの上なく情熱のこもった行動で、あっという間に私を元の位置に引き戻した。横断歩道のそちらにも早々に待つ人がいたことを、どうして私が知っていようか。

  私はとうとう我慢できなくなり、私の手を引こうとした最後の一組の隊員に、「お二方にお願いしたいのだが、この年寄りを見逃してくれないかな。私はこの道を30分間に8回も往復したんだよ!」と言った。2人の子どもは困って、「じゃあ、僕たちはどんな良い行いをすればいいのかな?」と言った。「あっ、そうだ、おじいさんは疲れているだろうから、タクシーを呼ぶのを手伝うよ」

  私はタクシーに乗ってそそくさと家に逃げ帰った。もちろん料金は自分持ちだ。孫は私にどうだったかと聞いた。私は本当に運動になったよと答えた。孫は笑って、「おじいちゃん、お疲れ様でした。アルバイト代をあげるね」と言った。孫がお金を取り出している時、ちょうど彼の父がそれを見つけ、大いに怒り、「この悪ガキ、どこからお金を盗んだ!」と言った。孫は「盗んだんじゃないよ、これはちゃんとしたお金だよ。学校で道徳とマナーの勉強があって、その中の一つの宿題がお年寄りに親切にすることで、先生が今週は少なくとも1回はお年寄りに良い行いをするようにとみんなに言ったんだ。それを難しいと思った同級生が多くて、僕は彼らにおじいちゃんを貸してくれと頼まれ、道路を1回渡るごとに1元くれるって話になって……」と言った。

  息子はこれを聞くと、「馬鹿者、おじいちゃんを何だと思っているんだ。レンタルして使わせるとは」と言い、お仕置きしようとした。孫は私の後ろに慌てて隠れ、まったく悪びれる様子もなく、「僕だって、タダでやってもらったわけじゃないよ、おじいちゃんは8回道路を往復して16元もうけたから、おじいちゃんと山分けするつもりだったんだ」と言った。

 

翻訳にあたって

中国は夫婦共働き家庭がほとんどなので、孫の面倒を見るのは祖父母というケースが多い。この文章もそういった家庭におけるエピソードだ。

 原文の最初のセンテンス中に登場する「俯首甘为孙子牛」の中の「子牛」は、『春秋左氏伝』に出てくる「孺子牛」(子どもの牛)という言葉をもじったものだ。斉の景公は庶子を溺愛し、彼が望むことなら何でもしたが、ある時彼と遊んでいる際、牛のまねをして口に縄をくわえ、彼に引っ張らせていたものの、彼が転んだために景公は歯を折ってしまったという故事である。魯迅はこれを踏まえ、『自嘲』という漢詩で、「横眉冷対千夫指,俯首甘為孺子牛」(眉を横たえて冷やかに対す千夫の指、首を俯して甘んじて為る孺子の牛、つまり、眉一つ動かさず冷やかに世人の指弾に立ち向かい、一方家庭では首を下げて子どもの牛となって甘んじている)と詠んだ。さらに毛沢東がこの詩句の「千夫」を敵、孺子を「人民大衆」と解釈したため、「孺子牛」という言葉は「人民のために働く者」という意味を持つようになった。日本ではさしずめ「お馬さん」だろう。

 また、中国語の「文明」という言葉は、日本語における「文明」という言葉よりも広い意味で使われるため、「道徳」「マナー」「エチケット」などという言葉に置き換えるのがふさわしいことが多い。(福井ゆり子)

 

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