鵜飼の技と民謡の調べ彩る 世界に名だたる水墨画世界
蔡夢瑶=文 vcg=写真
多くの中国人は小学校の国語の教科書で「桂林の山水 天下に甲たり」という詩句に触れ、桂林に憧れを抱く。実は民間では「陽朔の山水 桂林に甲たり」という言葉も伝わっている。陽朔県は広西チワン(壮)族自治区北東部、桂林市南部に位置している。地元の人々の母なる川・漓江は桂林の不思議な形の峰々の間を蛇行し、「天下に甲たる」美しい風景を陽朔の地に生み出している。
山水の間に 伝わる物語
いかだ下りで絶景満喫
陽朔の自然風景を楽しむなら、いかだに乗って漓江を下るのが一番人気の方法だ。漓江に漂ういかだの多くは日よけ付きで、竹製の寝椅子が設置され、2~4人が乗れるようになっている。広々としたいかだは安定して川を下っていく。船頭はいかだの後ろにあるモーターをつけて舟を速く走らせたり、モーターを止め、いかだが川の流れに従ってゆっくりと漂っていくようにしたりする。
寝椅子に横たわり、頬をなでる爽やかな風を感じながら、霧ににじんで濃淡がまばらな両岸の峰々の景色が後ろへ遠ざかっていくのを目にすると、「舟行碧波上 人在画中遊(舟は青い波の上を進み、人は絵の中を歩く)」という感慨を禁じ得ない。すれ違う舟に漢服や古代の侠客の衣装を着た観光客が乗っていることもある。立って笛を吹いたり、古風な徳利を持って酒を酌み交わしたりしている彼らにとって、古典的な水墨画のような陽朔の山水は絶好の天然のスタジオだ。偶然通り過ぎた大きな船が、山や人の影が落ちた青緑色の川面にさざ波を立てると、細かい水しぶきが足元に涼しさをもたらした。
船頭が沿岸の大小の峰々を親切に紹介してくれる。これは「壁に掛かる鯉」、あれは「観音を拝む童子」……地元の人々は山の特徴に基づいて想像力を膨らませる。遠くから見ると蓮の花のような峰は「碧蓮峰」、山の奇岩の形が亀に似ているのは「烏亀嶺」、山の壁面に色とりどりの紋様が交錯し、まるで9頭の馬が駆けているように見えるのは「九馬画山」と呼ばれている。船頭が地元に伝わる民謡を口ずさんだ。「馬を数える者よ、あなたの目には何頭の馬が映る?7頭なら榜眼(科挙試験の2位)に、9頭なら状元(同1位)になれる」。ここを訪れる観光客は想像力を働かせ、馬が何頭見えるかつい数えてしまう。
他にも、日の出を見るのに適した相公山、日没を見るのに適した老寨山などがある。陽朔の山は遠くから見るだけでなく、登るのにも適している。地面からほぼ垂直に立ち上がった峰々にはロッククライミングのルートが1000本近く隠されている。桂林の山水の「天下に甲たる」魅力を満喫するには、いかだに乗って陽朔の「水」を観賞するのも良いが、同地の「山」に登ったり、触れたりするのも良い選択肢となるだろう。
20元札の裏の漁師
いかだが興坪古鎮の域内に入り、九馬画山を過ぎると、川幅は徐々に広がり、水が透き通って川底が見えてきた。すぐ近くの河床には平らに敷かれた黄色い布のような巨大な石板がはっきりと見える。船頭が、ここが20元札の裏側に印刷されている景色だと教えてくれた。
2000年に発行された5セット目の人民元のうち、20元札の裏側には、まさに目の前の「黄布倒影」の風景が印刷されている。図案には小舟に乗った漁師の姿も描かれている。紙幣の裏にある絵のような風景と船上の漁師を探そうと陽朔を訪れる人は多い。
白いひげのおじいさんが一人、笠をかぶりみのを着て、岸辺近くのいかだに乗っていた。彼の手には竹ざおが握られ、上には黒い鵜がとまり、揺れに合わせて羽を広げたり閉じたりしている。ふと、おじいさんが竹ざおで水面を数回たたき、ざるから小魚を1匹取り出して遠くへ投げた。「よーし行け、1、2、3、それ」。低い掛け声に合わせ、鵜が息ぴったりに川に飛び込んだ。数秒後、鵜は魚をくわえて水面から飛び立ち、主人のもとに戻ってきた。岸ではシャッター音が何度も鳴り、多くの観光客がその様子をカメラに収めていた。
80代の黄月創さんは生まれも育ちも陽朔で、生涯漓江で漁をしてきた。昔、地元の人が魚を捕る方法には2種類あり、一つは漁網、もう一つは鵜だった。漁網で魚を捕るときは早朝3~4時にいかだで出発する。鵜で魚を捕るには、夕暮れ後、いかだの漁火やランプで光を追う魚類を引き付ける。いかだで出発すると、一晩戻れないのが一般的だった。地元の観光業の発展に伴い、黄さんと彼の家族は苦労して漁で生計を立てる必要がなくなった。そうして彼は「漁師モデル」に転業した。
1980年代、不意にテレビに出たことが、黄さんの「モデル生活」のきっかけとなった。
「あるとき、ふとテレビで自分の姿を見掛け、とても驚きました。それは広西の自然や文化に関するドキュメンタリー映画で、中に私が漓江でいかだに乗って漁をしているシーンがありました。家族は一目で私だと気付きましたが、私はいつ撮られたのか全く知りませんでした」。その後、ドキュメンタリーを見たフランス人カメラマンが彼を訪ねて興坪にやって来た。それから2人は7年間にわたって写真撮影を通じて交流を続けたという。
黄さんが持っている古いアルバムには、この数十年間に漓江で撮影された自分の写真が収められている。これらの写真は全て彼を撮影した写真愛好家たちからの贈り物だ。アルバムの最初のページには、国際的な撮影賞を受賞したオーストラリア人写真家による『帰宅』と題された作品が掲載されている。写真には、漓江の山水を背景に、2羽の鵜を担ぎ、ランプをつけたいかだに立ち、家に帰ろうとしている黄さんの姿が写っている。
黄さんは昼間、川辺で観光客と記念写真を撮る。彼が連れている2羽の鵜は今では毎日餌をいっぱい与えられ、漁をするのは観光客に技を見せるときだけだ。夜になると、黄さんはプロのカメラマンたちの撮影モデルになる。撮影時のポーズやアングルをより洗練させるため、関連書籍を借りて撮影のノウハウを独学し、撮影時の光やシャッターなどに関する専門知識まで説明できるようになった。黄さんが川で舟をこぐ姿は人民元の裏側の漁師のイメージと重なり合い、漓江の独特の風景となっている。多くの観光客が親しみを込めて彼を「20元札のおじいさん」と呼んでいる。
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