鵜飼の技と民謡の調べ彩る 世界に名だたる水墨画世界

2024-03-14 14:45:00

漓江に流れる漁火と歌声

夜霧を進む金色の龍 

 黄さんのように、今では陽朔の漁師の多くが漁業で生計を立てることをやめた。鵜を使った昔ながらの漁の技術を伝えていこうと、現地では1999年からほぼ毎年、漓江漁火祭を開催している。期間中には大規模な鵜飼漁大会が行われる。 

 夜のとばりが下りると、漁師たちは次々といかだをこぎ、いかだの先に掛けたランプで魚を引き付け、網を下ろしてその群れを取り囲んだ。続いて、鵜が1羽ずつ川に飛び込む。漁師たちがいかだの上で声を上げ、オールで水面をたたくと、鵜は矢のように水中を泳ぎ回り、魚をくわえて水面に姿を現した。漁師は鵜がくわえてきた魚を慣れた手つきで口から取り出し、籠に入れた。籠はすぐに大小も種類もさまざまな魚でいっぱいになった。 

 捕れたての新鮮で大きな鯉はうろこを落とす必要がなく、油で炒めてから、ビールと各種調味料を入れて蒸すと、陽朔の名物料理「ビール魚」となる。身は外が香ばしく中は柔らかく、皮は黄金色で、濃厚な汁が口いっぱいに広がる。臭みはなく、カリッと焦げ目がついてうろこまで食べられる。 

 鵜による漁の伝統には数百年の歴史がある。少ない場合は八、九隻のいかだと数十羽の鵜、多い場合は数十隻のいかだと100羽以上の鵜が参加する。いかだが川の上を漂い、きらめく明かりが揺れる水面に映って、まるで龍が泳ぎ回っているようだ。川岸の人々の声、水面をたたく音、これらが一体となって、「陽朔八景」の一つに数えられる「漓江漁火」の風景をつくり上げている。 

 昨年の最終日には、68隻のいかだで構成された長さ約1の金色の「巨龍」が、漓江の支流遇龍河を曲がりくねりながら進み、水上の夜霧に覆われて、夢のような光景を見せ、第23回漓江漁火祭の到来を人々に告げた。数百年続いた「漓江漁火」のにぎわいが再び人々の眼前に現れたのだった。 

千年響きわたる山歌 

 「山歌を歌おう こっちで歌ってあっちで合わせて……」。このような美しい山歌(民謡)の掛け合いも漓江漁火祭の目玉だ。山歌は中国南西部に住む人々が心を交わし合う重要な方法の一つ。陽朔に住んでいる漢族、チワン族、ヤオ(瑶)族、ミャオ(苗)族などの民族はそれぞれ独自の風習を持つが、その共通点は、山歌の掛け合いが得意なことだ。 

 毎年旧暦8月15日(中秋節)の夜にはチワン族の山歌会が開かれる。若い男女が数人ずつグループになり、木の葉を吹いたり山歌を歌ったりして、歌声で気持ちを伝え合う。山歌といえば、「劉三姐」の物語を紹介しなければならない。 

 劉三姐はチワン族の民間伝説に登場する美しい女性で、早くも宋代の随筆に登場し、山歌の編曲や歌唱が得意で「歌仙」とたたえられていた。劉三姐が山歌を通じて悪い地主の勢力に大胆に対抗したという伝説を基にした映画『劉三姐』は、陽朔で撮影され、1960年に公開された後、大きな話題となった。映画の中の山歌は中国全土で広く歌われ、陽朔の美しい山水も人々の記憶の中に深く焼き付けられた。 

 今では、張芸謀(チャンイーモウ)氏ら著名監督が総合プロデューサーを務めた中国初の大規模な山水実景公演『印象 劉三姐』が、陽朔の山水で構築された天然舞台で上演されている。聞き慣れた旋律が周囲2ほどの漓江流域と12の峰々の間を流れ、千年伝わる古い伝説が自然の変幻と科学技術の光と影に溶け込んで、全く新しい形で漓江に響きわたっている。 

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