峰々にこだます歌声 競技通じ誇りと友情を連なる手に
李家祺=文 VCG=写真
8月号の特集では、「村超(農村サッカースーパーリーグ)」で人気観光地となった貴州省黔東南ミャオ(苗)族トン(侗)族自治州(以下、黔東南州)の榕江県が紹介された。同州を訪れるなら、夏がいい。平均気温が20度余りで、猛暑日知らずの場所だからだ。
黔東南州は、中国南西部の雲貴高原から湘桂丘陵盆地への移行地帯に位置し、州内の地形と標高の差が大きいため、不思議な自然風景が広がっている。30余りの民族がここに代々混住し、それぞれの特色ある多彩な文化を生み出してきた。
多様なスポーツ文化
黔東南州では、ほとんどの村に独自のスポーツ文化がある。「村超」のほか、「村BA」、ドラゴンボート、闘牛、競馬などだ。
小さな村のバスケ大会
ある夏の日の正午。台江県台盤村党委員会前の「村BA」バスケットボールコートのスタンドは、午後4時の開会式を控え、すでに満員となっていた。
村BAとは、台盤村の農村バスケットボール大会のことで、同大会はSNSで人気になった後、NBA(北米のプロバスケットボールリーグ)やCBA(中国のプロバスケットボールリーグ)になぞらえて、ネットユーザーたちから親しみを込めてそう呼ばれるようになった。
村BAのコートは、二面がスカイブルーのスタンド、二面が建物に面した変わった構造をしている。山々に囲まれ、村で一番広い平地の上に建てられているように見える。緑色のコートの中央には「台盤」という大きな2文字がある。
トン族の伝統的な青い民族衣装を着た老婦人がドレッドヘアのヒップホップの「ファッションリーダー」たちと相席し、その周りには、ミャオ族の盛装を身にまとった少女や、日よけのかさをかぶった村民たちが座っている。遅れて来た人は席がないため、隅に適当にしゃがんでいる。さらに隣の民家には、「地の利」を生かし、広く見渡せる屋根に陣取っている村民もいる。
黔東南州では、祝日にスポーツイベントは付きものだ。
「ここには、『祝日には必ず試合があり、試合には必ずバスケットボールがある』という言葉があります」と話すのは、台盤村バスケットボール協会の岑江龍会長(39)だ。「バスケットボール大会は村民が自発的に組織したもので、長年開催され続けてきました」。岑さんは少年時代にバスケットボールを覚えて以来、大会を一度も見逃したことがない。
バスケットボールは早くも1930年代から、台江県一帯でプレイされてきた。同地で豊作を祈願して毎年開催される伝統的な祭り「六月六」吃新節(旧暦6月6日)では、バスケットボールの試合が一貫してハイライトの一つだ。
「昔は試合に景品なんてなくて、代わりにペナントが贈られていました。村で使われていた古い赤いシーツで作られたもので、毛筆の字を書ける人がその上に順位を書いたのです」。岑さんは「それでも、みんなとても誇りに感じていました」と振り返る。どの家庭も積極的に行動し、試合に参加したり、後方勤務を担当したりしていた。バスケットボールチームを編成して参会することは、各村の一大事になった。
「ナイスシュート!」。漫画『スラムダンク』の湘北高校と同じような赤いユニフォームを着た家族4人がスタンドで一斉に声を上げた。対戦するどちらのチームがきれいなシュートを決めても、彼らはいつも温かい声援を送る。「広東から遊びに来ました」とその一家のお父さん。「印象深いのは、ここの住民の参加意識がとても高いことですね。皆バスケットボールを趣味として、他のものと混同せず、まず楽しむことを第一に考えています。私たち県外の観客にも、純粋にバスケットボールを愛する気持ちが伝わってきます」
ドラゴンボートで結ぶ絆
毎年旧暦5月24日(新暦6月末~7月中上旬)は、黔東南州の母なる川――清水江の中流とその支流・バラ河沿いのミャオ族の村で行われる、年に一度の「ドラゴンボート祭り」だ。早朝、川沿いの各村からドラゴンボートが次々と塘壩村に集まり、支度を整えて出発を待っていた。
ドラゴンボートは長さ20~30㍍で、中央の母舟と両側の二つのやや小さい子舟が接合されて出来ている。船首には高くもたげた「龍首」、胴体は主に赤で、黄、白、緑のアクセントが付けられている。龍首には水牛の角の形をした大きな角があり、両側にはそれぞれ「風調雨順」「国泰民安」の文字が書かれている。これはミャオ族特有の「牛龍」の造形だ。
太陽が高く昇る頃、高らかなラッパが鳴り響き、レースが始まった。黄色い円錐形の竹の帽子をかぶった30人余りの漕ぎ手が両側の子舟の上にそれぞれ立ち、短いオールを持って腰をかがめて水を打つ。彼らは太鼓とどらのリズムに合わせて、一斉に「ハッ」「ハッ」と掛け声を上げ、力いっぱいボートを漕ぐ。オールは逆巻く波の花を上げ、ドラゴンボートは競いながら川をぐんぐん進んでいく。
「競う」といっても、実際には勝負よりも、村の内部、村同士の絆を結ぶことがドラゴンボート祭りの神髄だ。
「どんなに遠くに出掛けても、祝日には家に帰って、村の一族の人々と一緒に村のドラゴンボート大会に参加することが私たちの慣習です」とバラ河村のドラゴンボート製造技術伝承者の張天栄さん(73)。普段めったに見掛けない若者も、ドラゴンボート祭りになると一斉に帰郷する。
ドラゴンボートが沿岸の村を通ると、人々は岸に集まり、爆竹を鳴らして、ドラゴンボートを招いて酒と供物を「龍」に献上する。供物がカモやガチョウなら龍首に掛け、ブタやヒツジなどなら舟の上に載せる。岸にいる女性たちは、漕ぎ手の男性たちと積極的に祝いの歌を歌い合う。
太陽が西に沈むと、ドラゴンボート大会は終了し、供物を積んだドラゴンボートが色とりどりの旗を掲げ、ゆっくりと帰っていく。両岸の人々は再び岸に集まり、ドラゴンボートと漕ぎ手たちに別れを告げる。漕ぎ手たちはいつものように、こんな別れの歌を歌い始めた――。
「5月になったらやっと暇ができた 5月が終わればまた忙しい生活に戻る まぐわとちり取りを作り 急いで仕事をしよう 来年のこの時期 また川でドラゴンボートを漕ごう……」。高らかな歌声が川に乗って遠くまで流れていった。
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