峰々にこだます歌声 競技通じ誇りと友情を連なる手に
代々受け継ぐ古い調べ
「春の素晴らしい日には 高峰の木の葉が輝き カッコウが声を上げて歌う カッコウ カッコウと声を上げて歌う……」
早朝、黎平県九龍村の山の麓の水辺に建てられた高床式の木造建築から、「トン族大歌」の長く響く澄み切った歌声が聞こえてきた。
黎平県はトン族大歌の発祥地の一つだ。呉梅香さん(48)は九龍村のトン族大歌チームのリーダーで、九龍村と隣の中羅村は2日後に対歌(歌の掛け合い)を行う約束をしている。ちょうど田植え後で、農家の人々に暇ができる時期とあって、朝早くから、彼女はチームメンバーと共に輪になって座り、歌の練習を始めた。
春秋戦国時代に生まれたトン族大歌は、多声部、無伴奏、自然和声の古い歌唱芸術であり、2009年にユネスコの世界無形文化遺産に登録された。トン族大歌は、トン族の人々の日常生活や生産活動に由来しており、鳥のさえずり、虫の鳴き声、山や水の音を模倣しているのが特徴。黎平県のほぼ全ての村に村民が自発的に結成した歌唱チームがあり、通常は性別と年齢に基づいてさまざまなチームに分かれているが、その大多数は女性のチームである。
呉さんは13歳から歌を学び始めた。「弟子入りは簡単で、先生の家に行って歌を学びたいと言ったら、教えてくれました。儀式的なものもレッスン料もありませんでした」
トン族には固有の文字がなく、トン族大歌も口伝えで代々受け継がれてきた。使われている言葉の多くは古いトン族の言葉で、理解するのは非常に難しい。
また、高音部の調子は極めて高く、発音の正確さも求められるため、当時まだ幼かった呉さんにとっては大きな挑戦だった。呉さんがいつまでも忘れられないのは、これ以上勉強を続けられない、と先生に何度も頭を下げ、恐る恐る(9)話したとき、先生からもらった励ましの言葉だ。「梅香さん、うちの家系は代々トン族大歌を受け継いできました。あなたの世代で伝承を途切れさせるわけにはいかない。私は自分の中にある歌を全部あなたに伝えました。あなたはそれをしっかり受け取って、伝え続けてください!」
何日も準備してきた対歌の日がついに来た。
昼食後、メンバーたちは腰まである長い髪を結って大きなまげにし、銀のかんざしを挿し、花形の銀の髪飾りをつけた。下には伝統的なプリーツのスカートと刺しゅうのあるレギンス、花の刺しゅうの靴を履いた。そうして、隣村に向かって出発した。
中羅村の入り口で、同村のトン族大歌チームはすでに長椅子に「攔門酒」を並べていた。九龍村の大歌チームが近づいてくると、彼女たちは「攔路歌」を歌い始めた。
「ああ 親戚よ 花が咲いても散っても あなたが来るのを待っている 今日このような出迎え 気に入ってくれただろうか」
「ああ 親戚よ 花が咲いても散っても あなたに会いに来たい……」。相手の歌が終わると、九龍村の大歌チームもすぐに歌で答えた。
何度か歌の掛け合いをした後、中羅村のメンバーたちは歓声を上げ、杯を掲げて「対戦相手」に差し出し、笑顔で「乾杯!」と叫んだ。「飲み干したら村に入りましょう!」
その後、皆で長椅子を村の入り口から移動し、2チームのメンバーは肩を並べ、わいわい話しながら、村に向かって歩き出した……。
夜のとばりが降りると、中羅村の鼓楼(トン族の人々は村をつくる前に必ず鼓楼を建てる。鼓楼はトン族の村の団結・繁栄のシンボル)の中央に赤々とかがり火がともされた。「ホスト」である中羅村の人々はかがり火のそばに長テーブルを置き、その上に料理をいっぱい並べた。日中、対歌を歌い続けたメンバーたちは名残が尽きない(10)ようで、長テーブルに向かい合って座った後、中羅村のメンバーが杯を掲げて「敬酒歌」を歌い出すと、九龍村のメンバーは他の村民と一緒に手拍子を打って伴奏した。
ごちそうを食べ、皆の頬がほんのりと赤く染まった。村の男性が立ち上がって、大きな声で話し始めた。「今日は本当に楽しかった! 二つの村がますます良くなっていくことを願っています! この鼓楼をもっと立派にしていきましょう!」。酒のせいでろれつが少し回っていなかったが、それがかえって好意的な笑いと歓声を集めていた。
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