座談会 トランプ2・0と中日韓協力
謝罪より台湾問題の正視を
木村 第2次世界大戦終結80周年を迎える今年、日中韓にとっては非常に重く、かつ難しい「歴史問題」というテーマが存在しています。3月の3カ国外相会議で王毅外交部長は「歴史を正視し、未来に向かう」と発言されました。これはつまり、歴史としっかり向き合うということを忘れてはならないということだと思います。この歴史問題について、3カ国はいかに乗り越えていくべきだと思われますか。
白鳥 日本が隣国で多大な犠牲を出してしまったのは帝国主義の時代でしたが、それが敗戦によって終わっても、アジアにおける帝国主義の時代は1940年代の終わり頃まで続きました。それ以降は新しい冷戦構造を経て、今は地域主義の時代に入ってきているのだろう、と思っています。そんな中でわれわれは「ゼロ時間」を示すような区切りを示していかないといけないのではと思っています。つまり今後の歴史認識を共有する上で、歴史問題をどこかで線引きする必要性が日中韓に求められているのでは、ということです。もちろんその旗振りを行うのは日本なのだろうと思っております。
富坂 私が気になっているのは、選挙で政治家を選ぶ国でしかも先進国、そして今まで国際秩序をリードしてきたような国において、軒並み経済的な問題で政権に圧力がかかっているという点です。例えば欧州では極右勢力の台頭が顕著です。イタリアはメローニ政権になってからあまり変わっていませんが、フランスやドイツで右派勢力の力が伸びている状況に対する身構えをどうするかは、難しいことだと感じています。
今起きていることの問題は「トランプ問題」と捉えることもできますが、例えば関税にしても無駄な行為だというのはトランプ1・0でもよく分かっていたはずです。散々議論が出ていたものの、バイデン政権に代わっても対中関税は維持されました。なぜかというと選挙対策だからです。経済を人質に取られている政治の危うさが出てきています。世界を危険な時代に戻さないという意味での歴史の重要性について語るのであれば、当時なぜあのような状況になったのかというと、大衆の熱狂と安全保障が区別できなかったからではないでしょうか。そして、これも非常に危険な兆候ですが、国連が全く機能していません。ガザの状態は、昔のいわゆる「満洲事変」やエチオピア論争にも重なる権威の失墜を表しています。
ですから、世界の状況はすでに危険水域に入ってきていると考えて良いと思います。それをなんとか正面から捉えていこうという動きが世界にあるかというと、やはりどちらかというと目の前の権力奪取に振り回されて、政治家たちにそんな余裕はありません。
日本も残念ながら戦後を振り返るという時に、中国に謝るか、韓国に謝るかということばかり論争して、なぜ戦争が起きたのかというメカニズムの問題には目を向けようとしていません。私はこの歴史問題と現状に関しては、残念ながら絶望的な気持ちでいるという以外なにも言えません。
田代 歴史問題について経営者たちとの会合で皆さんが言うのは、とにかく内閣総理大臣の靖国参拝だけはやめてほしいということです。あれをやられるたびに、中国の現地では各企業が自分たちで謝って回らなければいけなくなると。どう見ても愛国者とは思えないような人たちが、保守層の票欲しさに参拝しているだけのことなのです。しかもこうした反応は中国だけではなく東南アジアでもどこでも、火が付くような反応が起きるそうです。
歴史問題を掘り返しているのは実は日本の側なのです。その一方で、歴史問題を乗り越えて仕事しているのは、政治とは無関係で、その国にとって不可欠な事業をしているような人たちです。例えば映画監督の岩井俊二さんは中国や韓国で半ば神格化されるほど圧倒的な人気があり、映画作品が中国で劇場公開されると中国全土1万スクリーンで同時に上映されました。仮に公開初日に各スクリーンの前に平均100人が座ったとすると、その時点で100万人動員です。日本でこのような数字は絶対にありえません。昨年行われた上海国際映画祭に岩井監督が参加しましたが、上海の20歳前後の若い人たちが宿舎のホテルのロビーで熱心に岩井監督を出待ち・入り待ちしていました。そうした光景を見ていると、日本の優れたアートがアジアの若い人たちを引きつけ、結果として歴史問題を乗り越えていくのだなあと思われました。
しかし歴史問題が世代を乗り越えて今も続いているのは、日本人が頑張ってそう仕向けているからだと思います。そしてそれは日本にとって、米国に対しひたすら従属し隷従することを合理化してくれるのです。富坂さん同様、私も絶望的な気持ちになります。一方で、岩井さんをはじめとした優れた芸術家たちが、いかに重要な仕事をしているかということも痛感しています。
郭 今年は第2次世界大戦終結80周年と言いますけれども、実は日本と韓国の国交正常化も60周年になります。今年はそういった意味で言うと大きな節目にあるのですが、では今の日韓両国で何かこの節目にこの60年間を振り返りましょうという動きがあるかというと、正直ありません。新しい大統領の李在明はインタビューで日韓問題について「領土問題や歴史問題については原則対応する」と発言しています。日本はドイツに学べということです。最近は多少トーンダウンしているとはいえ、こうした問題について聞かれるとこう発言せざるを得ないというところでしょう。
要するに歴史問題を正面から語るのは、日中韓どこの国においてもハードルが高いということなのだと思います。しかし経済や安全、文化、社会方面に対話の範囲を広げると、急に交流が膨らみます。間口を広げたいのであれば、歴史問題を正面から語るにはまだ機が熟していないと言えるのではないでしょうか。ですから、それ以外のジャンルでの交流で入口を変えつつ、時間をかけてゆっくり議論し、お互いの信頼関係ができたところで、改めて歴史問題を見直しましょうというのがあるべき姿だと思います。
また、今年の第2次世界大戦終結80周年関連については、国連が改めて80年間を総括する、あるいは第2次世界大戦を国連としてどう総括するかを発表すれば、戦勝国である米国も踏み込んで議論するでしょうし、非常に右傾化しているとはいえドイツも戦争責任を認めてはいますので、国連の場で議論することについては反対しないでしょう。そこでちゃんと総括をし、何がこの第2次世界大戦を引き起こし、結局どういう悲惨な状況を起こしたのかということがはっきりすれば、その中で日本が望むような安全保障理事国への道も議論できるでしょう。
熊 そもそも歴史問題がどのように提起されたかというと、中日両国の関係に即してみれば、日本は1945年までの約半世紀にわたって中国に「進出」、中国では「侵略」「拡張」と呼ばれる行為を行ってきました。19世紀末に起きた甲午戦争(日本では「日清戦争」)で、中国は日本に膨大な賠償金を支払って台湾まで割譲を余儀なくされました。ですから中国国民には被害者意識が非常に強く、それが長く続いています。
対して日本には「東アジアの解放戦争」という言説もありますし、米国から2度にわたって原子爆弾を落とされたという被害者意識が比較的強いように思います。よって日本国内の「被害」と「加害」を比較した場合、被害者意識が強いかもしれません。毎年8月15日前後に増える報道内容からもその傾向が見られ、日本がなぜそのような結末になったかという原因については、あまり議論されません。よって日本の民衆の中にも、日本は被害者だ、東アジアを「解放」しようと思ったのにこんな結末になったという意識が強いと思います。かつ、日本の政治家の中にも、同様の意識を持っている人は決して少なくありません。もちろん学者を中心にあれは侵略戦争で日本は加害者だ、反省すべきだと言う人も大勢いるということは中国人も知っています。ただし、あくまでも国を代表するのは政治家と政府で、学者の言論よりも声が大きいため拡散もしやすいのです。中国はそのような傾向を警戒しています。
2番目は日本の歴史認識問題についてです。戦後は事実を正直に認め、侵略は確かにあったと言い続けてきた政治家もいますが、安倍晋三は首相在任中に「謝罪しすぎて日本の国民が自尊心を損なってしまう」という主旨を内容とする、いわゆる「安倍談話」を2015年に発表し、今後は謝罪をやめると表明しました。日本人にとっての歴史認識は確かに加害者と被害者の両方がありますが、加害者の立場で歴史問題に終止符を打って今後は謝罪しないと言っても、これは被害者の了解を得ていなければ成立できない話なのではないでしょうか。中国や韓国から見るとこれはまだ終わっていない話なのです。
中国にもそろそろこの歴史問題について話し続けなくてもよいのではという認識があると、私も感じています。しかし、王毅外交部長はなぜ今のタイミングで「歴史を正視し、未来に向かう」と提言したかというと、一つの事件がもとになっているのではないかと思われます。
今年、日本のある地方議員の、1972年に結ばれた日中共同声明は法的拘束力があるかという問い合わせに対し、日本政府は「法的拘束力がない」と答えたようです。共同声明の中で最も重要なのは、「台湾は中華人民共和国の一部である」というポツダム宣言の第8条に基づく部分です。しかし共同声明に法的拘束力がなければ、日本はこれを認めなくてもよいということになってしまいます。
この共同声明は確かに両国政府間で交わされたもので、日本国会での承認手続きを取っていませんが、その後、中日平和友好条約を結ぶときにはその内容をそのまま盛り込んでおり、国会の承認も受けたのですから、法的約束力があるはずです。
政治家には法律が分かる人が多いはずなのに、なぜ地方議員への回答には平和友好条約のことを付け加えて説明しないのかと、私は不思議に思っています。このことは、日本は中国大陸と台湾地区の統一に対して干渉の余地を残そうという企みの現れなのでは、という疑念を中国国内に生みました。王毅外交部長の「歴史を正視する」発言は、歴史を正視し、日本に割譲されていた台湾が中国に戻ったことを素直に認めていただきたい、と言いたいのではと私は推測しています。
よって、歴史問題について中国が求めているのは、恐らく謝罪を求めるよりもさらに重要なことがあると私は見ています。しかし一部与党指導部や政府内で重職を務めたことのある政治家は、台湾に対してさまざまな行動を起こしていますし、今までなかった、政府レベルしかできない対台湾交流さえ行われています。これらに対し、中国は非常に警戒しています。
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