ホーチォ(赫哲)族
 

 人口は約4245人。

 主に黒竜江省の同江県、饒河県、撫遠県に集中して居住している。少数は付近の県の村に散在している。

 ホーチォ語を使用し、この言語アルタイ語系、満州・ツングース語派、満州語分支に属している。奇楞と赫真という二つの方言がある。今では50、60代以上の人たちだけがホーチォ語を話すことができ、その他の人たちは漢民族の人たちとなが年付き合ってきたため、漢語を使うようになっている。

 ホーチォ族は自民族の文字を持たず、漢字を使っている。

 ホーチォ族は以前からシャーマニズムを信奉し、万物に魂があると信じていたが、今では、シャーマニズムを信奉しないようになった。

 ホーチォ族は中国のながい歴史をもつ民族の一つで、その祖先は早くから黒龍江、松花江、ウスリー川という三つの河の流域で暮らしてきた。ホーチォ族の人たちは以前から魚の皮で作られた服を着、犬を連れていたため、「魚皮部」、「使犬部」と呼ばれた。明の時代においてはホーチォ族は女真の一分支であった。清の始め頃から「黒斤」、「黒其」、「赫真」、「奇楞」、「赫哲」などの呼称で文献の中に記載されている。新中国成立後、ホーチォ(赫哲)と呼ばれた。20世紀の初め、ホーチォ族社会の発展はまだ原始社会の末期父系氏族の段階にあり、木を削り、革を裂き、縄を結ぶやり方で物事を記録していた。日本帝国主義が中国を侵略した時、ホーチォ族、オロチョン族などの少数民族に対し野蛮な統治、人種絶滅政策を実行し、ホーチォ族の人口を激減させた。抗日戦争の終結前に絶滅の瀬戸際に追いやられることになった。新中国が成立した時はわずか300余人しか残っていなかった。新中国成立後、ホーチォ族の人びとは新しい人生のスタートを切った。なが年漁業にたずさわり、豊かな漁業の経験を蓄積している。同時に、農業、養殖業などの多角経営を展開することになったため、生活は豊かになっている。


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